成長のアプローチ

言われたことをやる
余計なことをやらない・言わない
結果として効率が良い
学校での評価は高いし
たぶん家でも良い子

成長のアプローチは
やり過ぎないように
少しずつ要求値に向かっていく。

こんな人は
いわゆる「コスパがいい」
薄利多売の製品を作る
ルーチーンワークが多い仕事に向いている。
たぶん。

言われてもいない余計なことをやる
失敗も多い面倒な子
結果として効率は悪い
学校での評価は低いかもしれないし
家では面倒で心配な子

成長のアプローチは
急にドカンとやって
やり過ぎた分を削るように
最適値に向かう。

こんな人は
人の心を動かす
付加価値の大きい
クリエイティブな仕事に向いている。
たぶん。

これを入れ替えてしまうと
ちょっと面倒なことになる。

薄利多売でルーチーンが多い仕事に
後者を投入すると
「なに余計なことやってんだ!」
と理解されないことが多い。

付加価値が高くクリエイティブな仕事に
前者を投入すると
「言われたことしかできないのか!」
となりやすい。

もちろん前者も後者も
どちらも社会には必要なのだろうから
どちらにも成長できるような環境があってしかるべき。

ただ、時流によって二者のいずれが
より必要とされるかは変わってくるので
それに合わせた環境の変化は必要だろう。

今の人を育てる環境は
恐らく前者を育てるための
やり方と物差ししか持っていない。

多くの若者達は
そんなことは百も承知で
損しないようにするにはどうしたらいいのか
と模索している。
たぶん。

でも、そういうのに適合できない
やり過ぎ野郎もいるわけで
その場合は悩むこともあるかもしれません。

でも、そんなやり過ぎ野郎が社会に出て
自分が動けるフィールドを得たら
そりゃぁ楽しいでしょうね。

やはり学校向きとか社会向き
というのはあると思っていて

どちら向きとも言えないタイプは
まぁどちらでもボチボチなのかもしれませんし

どちらもソコソコうまくやっちゃう
そんなタイプもいるでしょう。

でも、どちらかに向いているタイプは
学校と社会で全く逆の評価となる
そんなことが多いと思います。

最近は、学校では目立たず無難に過ごして
社会に出たら行き詰まっちゃうケースが多いのかな。

学校で勉強はできたのだけど
仕事が全くできない
というケースも耳にします。

夢工房では
「こりゃ、学校向きじゃねぇなぁ」
というのが理想型だったりします。

そんな資質を大事にしていきたい。
きっと本人はもちろん
世のため人のためになるから。

それはかつての価値観だったのです

この記事を書いていて
薄々気付いていたのですが

今の学生達の親御さんとか先生とかの世代
つまり私の世代でもあるのですが

実は、高度経済成長とか
バブル経済とか
その辺の世代だったりすると
まさに
「言われたことをやっていれば何とかなる」
という世代なのですよね。

で、どういう価値観を持っていたかというと

頑張って勉強して
良い学校に入って
良い会社に入れば…

楽ができる!

なんて思っていた世代です。
実際、当時はそんなこともあったのです。
言われたことをやっていれば
そこそこお金をもらえました。
というか
人によっては「そこそこ」どころか
結構もらえたのです。

だから若い世代に
自分の価値観で伝えてしまうのでしょう。
確かにそんな時代もあったのです。

皆と同じように
言われたことをやっていれば良かった時代

今考えてみると
あれはかなり特殊だったのかもしれませんし
発展する過程での必然だったのかもしれません。

今は全くそんなことは無いですね。

そもそも
学校で頑張って勉強して
社会に出たら楽をするって…
じゃぁ一体何のための勉強だったの?
という話になっちゃいますし

楽しちゃうってことは
存在価値が無くなっちゃうってことで
かなりの高確率でハッピーでは無くなります。

さらに
一所懸命勉強して
収益を上げている大きな会社に入って
楽して安定した生活を…
というのは理屈が破綻しています。

なんでその会社は収益を上げられるかって
頑張ってるからに決まってるじゃないですか。
自分だけはそこで楽をできると?
そりゃ無いでしょう。

一応言っておきますが
私は
「言われたことをやっていれば何とかなる」
という路線には乗れませんでした。
出来が悪かったし
そういうのを楽しめなかったから。

でも、脱線野郎で良かったな
なんて思っています。
貴重な経験が沢山できましたから。
後悔もしていないし
負け惜しみでもありません。

やり方は色々ありますよ。


精神論について

以前は
「精神論(根性論)ではどうにもならん」
みたいなことを聞いた覚えがありますが
最近ではあまり聞きませんね。

根性ある人が減ったから?

まぁ、そうかもしれませんが
「そういうのじゃどうにもならん」
というのが常識になっているからかもしれません。

精神論じゃどうにもならんなら
何ならどうにかなるのかな?

理論?とか知識?

それは嘘です。

理論や知識はもちろん大事ですが
理屈で人が動くなら
学生達は全員がもっとお勉強ができるようになっていて
全員がいわゆる一流大学に行っているでしょう。

でも、ひょっとしたら
お勉強する必要性に関するロジックが
理論として成立しないのかもしれませんが。

まぁ、その辺は置いておいても
「頭では分かっているけどできない(やる気になれない)」
というのは誰でも経験があるでしょう。
私なんて年がら年中ありますよ。

なんでそんなことになっちゃうかというと
そもそも「やるかやらないか」なんてのは
気持ちの問題だからです。
心の問題です。

「やる気になれない」
なんて、読めばそのまんまじゃないですか。

もちろん言った本人は
それが理由になると思っているし
それを聞いた人は
「じゃぁしょうがないなぁ」
なんて言ったりするくらいだから
理由としては市民権を得ているというか
ちゃんと成立しているみたいですよね。

あと、我々の周りにある製品。

周囲には多種多様な製品があるでしょう。
これ、全部人が作ろうと「思って」作ったものですよ。

頭の中に豊かな知識があったら
いつの間にか自然と物体になって目の前に現れた
みたいなものは一つもありません。

我々の心を動かすほどの素晴らしい製品は
ほぼ間違い無く
熱いパッションが根源にあります。

そこに、知識とか経験とか工夫とか
実現するために必要なものが動員されて
形になるのです。

自分が望むものを形にするために
知識や経験が無ければ
調べたり試したりして
足りないものを身に付けるのです。

学生時代に学んだ知識や経験だけを動員して
製品ができるはずはありません。
そんなの当たり前でしょう。

もちろん精神「だけ」じゃ
どうにもならんのですけどね。

でも、パッションを起点にして
必要な知識や経験を掴みに行く
という行動に繋がることはあるけど

知識を起点にして
行動に移行するのは
あまり無いのかぁと思います。
もちろんゼロではないでしょうけど
少ないですよね。

ずいぶん前の話ですが
海外のFormula SAEの大会で
現地の学生と雑談をしているときに
何気なく
「良いクルマ作るのに何が一番大事だと思う?」
って聞いたのですよ。

そうしたら
「そんなのガッツに決まってんだろ!」
って即答しましたよ。

精神論って
昔の日本人の専売特許で時代遅れな価値観だ
って思ってましたか?

ひょっとしたら
今の日本人が失っている
最もクリティカルなことの一つかもしれませんよ。