潜水艦は飛べるか?

ビジョンを描いて未来を仮定して
それが及ぼす影響や効果を想像した時に
得られる感情がモチベーションの源泉となる
と思っています。

で、その時に
どれだけワクワクするかが
自分にとっての価値の大きさで
その大きさがモチベーションの高さを決める
そんな感じではないかな。

それらが頭の中にあるうちは
「見えないもの」なのですが
見えないうちは実現が難しいので
いわゆる「見える化」をして
具体的な行動に落とし込んでいくわけです。

この「見える化」は
チームで動くときは特に重要です。
だって、他人の頭の中なんて分かりませんから。

ですが!

問題は、激しくワクワクするような
ビジョンを、未来を想像することができるのか?
そんなゴールを設定できるのか?
というところだったりするのではないでしょうか。

理想的なのは
自らとんでもないゴールを設定して
そのワクワクするパワーで
ムチャクチャ頑張れる
といった感じなのですが

たぶん近年、そういうタイプは絶滅危惧種なのかもしれません。

だって、そんなのがいたらどう思われますか?

うるさくて目障りで面倒
そう思われませんか?

なので
できるだけ当たり障りなく
目立たないように行動する
そんな風になっちゃってることが
多いのではないでしょうか。

もちろん意識はしていなくて
習慣として。

それなら周囲は安心です。

親や先生からしてみれば
変なことを言ったりやったりしないので
面倒がなくて安心です。

友達だって、自分と差が付かないので
安心していられます。

学生のうちはそれで良いでしょう。
本当は良くないけど。

学校では、それでやってはいけるどころか
それでテストの成績が良ければ最高評価です。

でも、社会に出たらどうするんですかね?

学生のうちは目立たないように
潜水艦のように生活して
社会に出たら大空に向かって急上昇!

…なんてできません。
潜水艦の慣性力は強大で
そう簡単には変われませんし
そもそも海から出ることなんて想像もできません。
想像できないことは実現できません。

例えば
いわゆる良い子の場合
理性的で常識的なゴールを設定しようとするわけですが
それは今までの習慣からきています。潜水艦の慣性力です。
当然ながらそれでワクワクすることはありません。
安心するためのゴール設定ですから。
もちろんそれでモチベーションは上がらないわけです。

当然ながら、周囲は別にそれによって
何がどうなるわけでも無かったりしますので
「チームで価値を生み出す」
というような行動には繋がっていかないのはもちろん
お客さんをワクワクさせるような仕事にも繋がっていかないでしょう。

と色々言ってきましたが
これ、別に当人に言いたいわけではなかったりするのです。

本人がこういう状況を自覚しているなら
それは何とかすべきで
ぜひ頑張って欲しいのですが

前にも似たような話をしていますけど
そうなっちゃう環境を作ってきたのは誰なんですか?
という話なのですよ。

間違いなく年長者なのですよね。

年長者が若者達を理想通りに仕上げようとした結果でしょう?
もちろん、そのしわ寄せがあらぬところに出てきたりしているでしょうけど。

学生のうちは
「言われたとおりにやれ!」

社会に出たら
「言われないとやらないのか!?」
ですから。

まぁ、しょうがないといえばしょうがないのかもしれませんが。

じゃぁどうするの?
ってのが実に難しいところなのですが
彼らに「ああせいこうせい」するのではなく
彼らが描いたビジョンに向けて実現するチャンスを与えて
とにかく色々経験させてあげる必要がある。

そして
「深く静かに潜行しなくていいんだ。
飛んじゃってもいいんだ」
と思えるようになって欲しい。

と、まるで人にお願いしているような表現になりましたけど
実は自分に向けて言ってます。
さて、どうしましょうか?

年長者に責任がある
ってことは
年長者が「人ごと」じゃなくて「自分ごと」にするということで
それは「できる」に繋がっていくのですから、まんざらでもないですよ。

リスクとか しょうもない過去だってリソースだ

今の自分はどうなのか?
という視点を持てるかどうか
という話しなのですが

どうもこれ
それまでの育ち方というか生き方というか
過去が恵まれすぎていると
そういう視点を持てないのではないか
そんな気がするのですが、どうなのでしょう。

物心ともに満たされて
リスク無く、不安無く生きてきたら
現状を疑う必要なんて無いですものね。

さらに言うなら
そういう状態の者に対して
「ハングリーになれ!」とか
無理言わないでくださいよ
ってな話です。

そもそも、生まれてから
いかにハングリーにならずに済むか
という環境で育ってきて
急にそんなことを言われてもね。

成功者に大きな失敗を経験した人とか
不遇の人生を歩んできた人とか
そんなケースが結構あるのは
当然と言えば当然なのかもしれません。

そこで、自分に降りかかってきた境遇に対して
どう思ってどう対処するかでその後が決まるのでしょうね。

なので、しょうもない過去ってのは
まんざら捨てたものではなかったりするのではないか
なんて思ったりしています。

そういう経験に対して
後悔とか恨みとか
そんな感情が頭の中を占有していたら
前に進む余裕なんて無くなるでしょうけど

それを受け止めて、受け入れて
その先に進むことができれば
むしろ武器にすらなると思います。

例えば、戦後に頑張った世代の人達は
それこそ命が掛かっている状態で
その状態から何とかしなければならなかったわけで
選択の余地がない状況で
まさに、やるしかない状態だったわけですよね。
「ハングリーになれ!」
どころじゃなくて
「ハングリーなのは当然で、やらなきゃ死んじまう」
みたいな。

それこそ必死でやったわけだから
それなりの大きな成果を残したわけで
「やればできる」を体現したわけですよね。
そういう経験をした人は強いです。

じゃ、何のリスクも不自由も無く生きてきた者は
どうにもならんのか?
ということになるのですが…

まぁ、どうにもならんこともあるでしょう。
というか、そういう場合が多いのかもしれない。
時代が時代なので仕方ないだろうし
それが今ですよね。

けれど、どんな状況であろうと
現状に対して高い理想をセットできれば
相対的に現状は不十分な状態
つまりハングリーな状態になるわけで
それができるかどうかが
成長とか成功のカギになるのではないかな。
もちろん本人次第なのですが。

やはり環境か。

一応言っておきますが
夢工房の連中は、比較的ハングリーです。
なんだか良く分かりませんが
結構モチベーションの高い連中が集まってます。

そんな彼らをさらにハングリーにしたいのです。

視座とか自己変容とかのお話し

やっていることがうまくいくためには
別に最初からうまくいく必要は無いのですよね。

特に初めてチャレンジすることならなおさらで
むしろ最初はうまく行かないのが当然。

なので、まずはやってみて
どうしたらうまくいくのかな?
と工夫することが大事なのです…が!

今の自分はどうなのか?
という視点を持っているのか否か
その自己評価の結果を行動に移せるのか?
それがその後を決めるわけです。

それが無いと
うまく行きそうもないやり方で
いつまでもズルズル行ってしまったり
同じような失敗を繰り返したり
そんなことになります。

それは当然なことなのですが…

自分の現状を見る視点
つまり「視座」ってヤツですが
最初は無いものなのでしょうか?
無いでしょうね。

では、何かをきっかけにそういう
ものの見方ができるようになるのか?

ならない場合はなぜなのか?

そんなことが今日、ふと気になりました。

「これでいいのか?」
と自らに問い、変化する
いわゆる自己変容ってヤツですかね。

ネットで検索すれば色々出てくるのですが
そういう情報って
本人が自己変容を求めているなら参考になるのですが
どうしたらそこに至るか
という情報はありません。

まぁ、良く探せばあるのでしょうけど
今気付きました。

そんなことを考えてるってことは
誰かを変容させたいのだけど
そんなの外力じゃ無理なわけで

結局は本人が欲しないと無理ですね。

求めよ、さらば与えられん
ですよ。

となると、やはりカギになるのは環境ですね。
うん、結局はそういうことだ。

どうも当人を見てしまうと
直接いじりたくなってしまう。

そういうのも時と場合によっては必要なのだろうけど
やはり環境をどうすべきか
というところに注力すべきなのでしょうね。

視座が低くて自己変容できない学生は
結局のところ
そんなことを望んでいないわけです。
だからそうなっている。
超シンプルです。

なので、現状から変化したくなる何かが必要なのですが
それはやはり環境でしょうね。
それしかない。

学生には
「視座を変えなきゃ」
みたいな話をするのですが
自分の視座を変えることを忘れてはイカンですね。