播いた種の芽が出る

人は意識せずとも無意識な行動を取るわけなので
無意識だからといっても
何もしていないわけではない。

なので、無意識だからといって
何も起きないわけではない。

無意識でも種を播いていて
その種の芽が出て成長すると
いずれは刈り取らなければならない。

望んでもいないのに
困難が降りかかってきて
その対応に忙殺される

というような状態は
そういうことが原因であることが多いのだけど
「そんなもんだ」
と思っていれば
その仕組みと状況は放置されるわけで
同じことを延々と繰り返すことになる。

でも、意識的に種を播けば
いつかそれ相応の芽を出す。
相応の結果が出る。

未来の希望のために
ビジョンを描いて
そのためのことをやっておけば
相応のことが起きるのは当然。

昔々、子供の頃に
そんなようなことを言われた気がする。

けれど、その時は
「…だから勉強しなさい」
のような話で

勉強が苦手で嫌いな自分は
全く腹に落ちなかった。

「たら」「れば」は無いけれど
その時に「勉強」ではなく
自分の好きなことだったら
一体何が起きたのだろう?

いやいや
好きなことは言われなくてもやっていたな。

なので、今頃になって言語化できたということか。

こういう話は
「忙しくて、そんな事をやっている暇は無い」
ということになることも多いのだけど
結局は、やりたくないのですよね。
今のままにしたいのだと思います。

気持ちは分かるけど
そんな風にしてしまうから
相応のことが起きるのだけど

未来に起きることよりも
今、手元にあることがが大事なら
そうならざるを得ないでしょう。

今、この瞬間にベストを尽くす
というのは大事なところなので
判断が難しいかもしれませんが

「何のために」が無ければ
そもそも「今、この瞬間」は無意味です。

気付けなければ見えない 見えないものは使えない

当たり前のものには気付きにくい
代表的なのは環境とか。

空気は我々の周囲を常に取り囲んでいるけど
全く意識できないし
重力は常に我々に働いているけど
全く意識できない

日々我々が
意識せずに享受しているもの
意識せずにやっていること、言っていること
それによって起きることも
当然ながら意識の外にあるので
意外にも
一体何が原因で何が起きてるのかすら
分からないことも多いはず。

例えば
日本は少子高齢化社会になってきて
景気も低迷してきて
困ったことになるのなら
仕事の付加価値を高めて
利益率を上げたらいい。

そのためには
独自性とか希少性がカギになるので
そこには日本人ならではのやり方を
導入して特化すればいいじゃん!?

なのですが
一体何が我々の強みなのか
これが分からなかったりする。

だって、日本人としての営みを
意識せずにやっているから
自分でも何をやっているのか良く分からない。
極端な言い方ですが。

そんな当たり前のことは
見えないし気付けない
だから利用できない。

夢工房でもこれが課題です。

過去20年以上、あれこれやってきて
色んなものが蓄積してきたのだけど
長くやればやるほど、継続したものが
自然になって、当たり前になって
見えなくなってくる。

確実にそこにあるのだけれど見えない。

見えないそれは
慣性力として常に働いているわけで
放っておいても常に働きかけている。

これが継続というもののダークサイドなのでしょうね。

一体何が強みで
一体何が惰性なのか

ちょっと深呼吸して幽体離脱して
冷静に考えないとね。

こういうのを「意識の棚卸し」とでも言うべきなのかな。

ちょうど今、資産の棚卸しをやっているのですが
夢工房には過去の資産が山ほどあって
当たり前のものが見えなくて難儀してます。

学生の近未来像 2

前回の記事から1年経ちました。

計画に対して実績はどうか?
というのも大事ですが
時勢に合わせてというか
未来を予測して目標設定を調整しないとね。

というわけで
現在はどう思っているかというお話しです。
基本的なスジは変わりませんが。

この春に入ってきた大量の1年生は
意外とモチベーションが高かったりして
これは良い意味で予想外でした。

そして、ちょっと気になること。

ひょっとすると年齢層が高い方が
コロナ自粛の影響が大きいというか
引きずっている気がするのですが
どうなのでしょう?

というのも
新入生達は高校生活は
まるまる自粛生活だったのですが
大学では、そこから解放された反動が出て
アクティブになっているように見えます。

対して、大学で自粛生活を送った上級生達は
何となく勢いが戻らないようにも見えます。

さらに、大学の教職員はどうかというと
より勢いが戻らないように見えるのです。

技術の現場の皆さんはどうでしょうか?
これ、卒業生達にも聞いてみることにします。

ただやはり
学生達の活動からは
恐怖に対しての反応のような余韻を感じます。

これは死への恐怖におののいている
という感じではなく
余計なことをしたりして
それに対するネガティブなリアクションを避けるために
より保守的な思考、行動を取るような雰囲気を感じるのです。

良い見方をするなら
より真面目になっているようにも感じます。
大人しいです。

脱線しない、やり過ぎない
守りに入っている
そんな感じです。

とはいえ、1年生達は自粛の反動をうまく活かせば
かなりのジャンプアップが可能な気もするのです。

実践経験を積みながら(積んでからではありません)
本気のチャレンジができるようになれば
定型的な知識ではカバーできない暗黙知の領域を
バリバリ強化していける気もします。

さて、長くなってしまいましたが
大事なのは、少子高齢化の今後を見据えて
彼らがどのように成長すべきか
というところです。

世の中には色々なタイプがいて欲しいのですが
この調子で行くと
単一思考で守りに入る者が大多数になる
と私は読んでいるのですが
どうでしょうか?

だって、彼らを導く年代が
守りに入っていたらそうならざるを得ませんから。

守りに入ると
狭い領域を守りたくなります。
なので、専門領域を深掘りする人材には困らないでしょう。

あと、真面目に指示に従う者
これも沢山いると思います。

個人的には、それをやっちゃうとお先真っ暗だと思うのですが
恐らくそうならざるを得ないのではないでしょうか。
潜在意識の中心に「守り」がセットされていたら仕方ないと思います。

将来的に必要になってくるのは
レアな人材です。
夢工房の使命はそこにあります。
マジョリティに準じたらお終いです。

今後、少子化になるのなら
パワーとスピードは
ますます重要になってきます。

となったら答えは簡単。
色々できる本気のチャレンジャーとなること。

ここまで色々書いてきましたが
結局は時勢は関係ないじゃん!
という落ちでした。