思いは実現する 2

ずっと前に書いた記事の続編というかなんというか

今回はあまりポジティブな出だしではありませんが
思いは実現するというテーマです。

世の中皆が大きな夢を持っているかというと
意外とそんなことはなくて
むしろそんなもの意識していないよ
という方が多かったりするのかもしれません。

意識はしていないけど
では、無意識ではどうか?

もちろん無意識なものだから
良く分からないのですが
行動から紐解くことができます。

例えば
意識せずに、ついつい安全パイを取ってしまうとか
意識せずに、面倒を回避することが多いとか
程度にもよるとは思いますが
そういうことから心の中の無意識君が
どのような望みを持っているのかを
大方推測できると思います。

この場合、意識的に思ってはいないので
「思い」と言うのはどうかとも思いますが
他人から見たら、当人が望んでいるようにしか見えないでしょう。

この無意識が望んでいることは
意識的に望んでいることよりもはるかに強力です。

なぜかというと
無意識は自動的に常に発動しているので
自分でも気付かないうちに行動をしているのです。

無為意識君が、リスク回避したければ
自動的にそうする。

面倒くさいことを回避したければ
自動的にそうする。

もちろん、そうしたなりの結果は出るわけで
無意識君が望んでいる思い
大抵は叶っちゃうのですね。

問題なのは、意識では別のことを望んでいる場合です。

残念ながら意識は
しょっちゅう発動しているわけではないので
簡単に無意識君に圧倒されます。
しかも気付かないうちに。

なので、頭で考えている望みを実現したかったら
無意識君を味方に付けるしかないのです。

方法は
熱意を持って頑張って大好きになって継続する
そんな感じでしょう。

とにかく習慣にしてしまうことです。
無意識君は習慣ですから
ヤツを上書きしてしまおうということです。

それができたら強いですよ。
良い意味で「思いは実現する」ということになるでしょうね。

これまた根本的に重要なこと

何をもって自分の限界とするか
「これ以上いけない」
というポイントというか閾値(しきいち)というか
そういうのは目に見えません。

なので、限界までプッシュするというのは
人によってはとても難しかったりします。

逆方向の
落ちるところまで落ちて
「これ以上(以下というべき?)はマズイ」
という一線も目に見えないので分かりにくい。

さらに、これを決めるのは自由だし
意識しないこともできる。

上も下も良く分からないのです。
さらにこれらのレベルは個人差がある。

限界は、突破してみないと分かりません。
限界を超えるのを恐れて
小刻みにいやっていると
いつになっても限界は見えません。

なので、失敗を恐れたり
無駄な労力を払うことを恐れていると
いつになっても限界は分らなくて
往々にして限界のはるか下の方に
停滞することになります。

下限に関して言うなら
譲れない一線を高く設定しているなら
早めに上昇に転じることができるでしょうけど

何も考えていなければ
落ちるとことまで落ちるでしょう。

高い目標設定などはもちろん重要なのですが
やはり本気度というか熱意が
どれだけ高く大きいのか
それが重要なのでしょうね。
根本的に。

ああ、やはりこういうの
授業じゃ無理なんだよなぁ。


うまくいく方法が見えた

今日は新たな気付きを得ましたよ。
というか、以前から考えていたことに整理が付いた
というか、確信を得ました。

生きていれば、色んな出来事に遭遇します。

困難な業務
降りかかる災難
などなど

一方的に何かが起きる場合もあれば
自分から突入することもあるでしょう。

その遭遇する出来事に向き合ったときに
どう思うかが大事で
その出来事に対する解釈がその後を決める

ということに改めて気付きました。

向き合った出来事に対して
ネガティブな解釈をしたら
大抵はうまくいかないのです。

嫌なことなんてやりたくないから
うまくいくはず無いですよね。

雨のレースでもお話ししましたが
ものごとに対する考え方を変えると成果は変わります。

困難な仕事をアサインされても
何かをやらかしてしまっても

それはネガティブなことではない
マイナスではないのだ
と思えれば
取り組み方が変わって
成果が変わります。

当然でしょう?

取り組むことが困難でも
「これを乗り越えたらきっと良いことがあるぞ!」
と思えれば
何とかしようと思うでしょう。

実際良いことあるのです。
成長するから。

それを信じられるかどうかがカギでしょうね。

辛かったり苦しかったりすると
そこに疑いを持って逃げ出したくなるけど
それをやっちゃうと「振り出しに戻る」になります。

向き合うものに対する捉え方や解釈で
どうするか、どうなるかが決まる
つまり未来が決まる
なんとシンプルなのでしょう。

こんなことを考えていると
信仰を持つ人は強いんだろうな
なんて思うのですよ。

この困難は
成長のために神様が課した試練である

と思えば困難を受け入れられるどころか
感謝すらできる。

これ、絶対うまくいく!