グレーゾーンを突っ走れ

ルールを破るのは論外だけど、ダメと言われていないことなら、やる。
考えないのは論外だけど、考えた末に迷ったら、やる。
やるかやらないかの選択肢があったら、やる。
そういうのは大事です。

チャンスはそこにあるから。

これもレースに教わったことのような気がします。
ただ、モラルに反することはいけません。
レースもスポーツマンシップが重視されます。

グレーじゃなく、明確なものなら、できて当然。
希少性や優位性、ワクワクする何かはありません。
そこに価値は無いのです。

もちろんグレーな領域なら、失敗もするでしょうし、勇気も要るでしょう。
でも、チャレンジとはそういうものです。

「あぁ、あの時やっときゃよかった」
という後悔はしないように。

もし成果に満足いかなくても
「ま、やるだけやったし、しょうがねぇか」
と思えるように。
その経験は、必ず再利用できるから大丈夫。

「やらなきゃよかった」
と後悔するのが怖いですか?

大丈夫。
やり切ってしまえば、そんな後悔はしませんから。
多くの後悔は、やらないこと諦めることから発生するのです。

やりたいこと 求められること チャンスの受け取り方

やりたいことをやるのは大事です。
だって、それなら頑張れるでしょう?
でもそれが、それが誰からも求められないことでは、あまりに寂しい。

他からの要求によって、やる。
言われたことってのは、大抵ニーズがあったりするものですしね。
まぁ、そこにどの程度の価値があるかは別な話ですが。

ともかく、それらの交差点が作れれば良いですね。

やりたいことであり、求められることでもある
といったように。

方法としては、やりたいことをやって
周囲に魅力を感じてもらえる状態までもっていく
とか

求められていることを好きになる
とか。

まあ、どちらもアリなのですが、大事なのはそこに自分の気持ちが乗ってくることです。

じゃないと、面白くならないし、継続できないし、他から価値を感じてもらえるだけのレベルにもなりにくいし、それじゃ優位性とか競争力にもなりにくい。

でも、学校では「求められること」ばかりではないだろうか?
つまり、やらされてばかりということ。

これも、そのやらされていることを楽しめるようになれば良いのですが…

そりゃ難しいでしょうね。
だって、それは何のためなのか良く分からなかったりするものね。

それに、やらされることばかりだと、想像力が必要なくなっちゃうので、面白い未来も想像できなくなっちゃったりしませんか?

ともかく、いかに面白くするかという工夫って大事だと思うのです。
そこに拘っていると、不思議とチャンスが巡ってくるものです。

面白そうにやっているヤツって、傍から見れば目立つし、チャンスを持っている人って、どうせチャンスを手渡すなら、面白くなりそうなヤツに渡すに決まってるのですよ。

学校って、全員に同様にチャンスを手渡すのが一般的だから、そういうのを知る機会が無いですけどね。世の中そんなものです。

「チャンスの受け取り方」で記事を書いてみるのも面白そうですね。

教育のゴールは何だ?

今日はちょっと現状を整理してみたくて、こんなネタにしました。

教育は何のためにあるのか
何を教育のゴールと定めるか

それによって、どうすべきかが明確になります。
ただ、これは一概に言えない多面性があるのが難しいところでしょう。
今回も誤解を恐れずにバリバリ私感で行ってみましょう。

教育に関わるのは…

  • 社会
  • 当事者である学生
  • 大学

こんなもんでいいかな。4者ですね。
そして、現状はうまくいっておらず齟齬がある感じ。
どうも4者とも満足いく状態にはなっていない。ですね?

よし、では次。
それぞれの求めているものは何でしょう。

1. 社会が学生に求めているもの

社会(特に企業)は、適応力・協調性・創造性といった即戦力となりえる実践的で汎用的なスキルを強く求めています。
就活市場では「コミュニケーション能力」「主体性」「困難への耐性」などが求められていたり、いわゆる「人間力」が問われていたりしますが、それらは抽象的で数値化して測ることが困難です。
そういった資質を持つ者は教室の中だけでは育ちにくい。
社会は「自分で考えて動ける人材」を欲しています。

2. 大学が必要だと感じていること

一方で大学(特に教員)は、「知的探究」や「理論的思考力」、あるいは「専門的知識の体系的習得」を重視します。
大学は本来、学生が自ら問いを立て、方法を模索して、失敗を通じて学ぶことに価値を置くべきではないかと思う。
しかし、実際は「正解を出す訓練」が主流であり、言われたことができる人材を育成し、「内発的な動機を育てる」仕掛けが弱い。

3. 学生自身の現状と目指すところ

現実には多くの学生が「何をしたいかがわからない」状態ではないだろうか。
社会の要請と大学の理念の狭間で、自分の軸を見失っている。
その一方で、「もっと意味のあることをしたい」という思いを持ちながらも、それに確信を持てず、内発的動機が芽生える前に、「やらされ感」で疲弊してしまうケースも多く見受けられる。
そりゃ、目的意識を持たないまま高い負荷刺さらされ続けたら、そうなるでしょう。

4. 親が子供に求めること

親世代は、多くの場合「安定」や「社会的地位」「経済的自立」を求めるでしょう。
これは当然の願いだと思う。
それが「良い大学に入り、良い会社に就職する」という古典的モデルに偏ってしまうと、子どもの「挑戦」や「逸脱」への欲求が抑圧される。
特に不確実性の高い道、つまりリスクは敬遠されがち。
リスクを伴うチャレンジをせずに高い価値を生み出すという、極めて高度な要求が結実している気がします。

と、こんな感じですかね。
現状の課題としては、「三方良し」ならぬ、「四方良し」を実現すること。
じゃないと先に進めない。

同時に全てのニーズを満たすのは無理なので、そもそも論で行きましょう。

そもそも学校で学ぶのは何のため?
仕事をするためです。

であれば、学校は社会のニーズに応えるべきです。
応えられなければ、学生本人はハッピーになれないでしょう。
役に立たないってことですから。
その時々の流行を追うのは論外としても、恒久的に求められるものはあるわけで、そこがポイントです。

ということで、1と2の関係はこれで解決。
具体的に何が必要かは長くなりそうなので、ここでは省略しましょう。

残るは2~4の関係です。
これは難しい。

親は子に、リスクを冒さないこと、言われたことができるようになることを求めるでしょう。

学校もリスクを冒したくありませんし、先生は学生に言われたことをやって欲しいと思う。

学生自身はリスクを抑制された環境で育ってきたので、習慣としてリスクを回避する。

リスクリスク言いましたが、社会が求める
「コミュニケーション能力」
「主体性」
「困難への耐性」
「人間力」
これらは、実際の行動の中で、チャレンジしながら獲得するものです。
チャレンジということは、うまくいく保証が無い中で、失敗しながら模索する必要があるわけです。
つまりリスクを回避する行動では獲得できないものばかりなのですね。

教育システムは今やビジネスなので、「金払ってんだからリスク無しで何とかしろ」みたいなニーズがあるのかもしれませんが、こればかりはどうしようもありません。
あ、別に日頃そういうことを言われている訳ではありませんよ。
特に夢工房の学生達の親御さん達は、その辺のことは重々承知している、勇気と決断力と先見の明のある方々だと思っています。
ここで言っているのは一般論です。

さて、この難しい関係を解決するには、やはり夢工房のようなチャレンジをする学生達が世に出て活躍して、有効性を証明するほかないのではないかと思います。
それはもう、長い長い道のりです。

幸いにも、卒業生達が活躍してくれているのが救いなのですが…
開発の仕事って機密の世界なので、やっていることを口外できないのですよね!!
参っちゃうな、こりゃ。

そういう状況です。

あれ、何か脱線しましたかね?