学生の近未来像 2

前回の記事から1年経ちました。

計画に対して実績はどうか?
というのも大事ですが
時勢に合わせてというか
未来を予測して目標設定を調整しないとね。

というわけで
現在はどう思っているかというお話しです。
基本的なスジは変わりませんが。

この春に入ってきた大量の1年生は
意外とモチベーションが高かったりして
これは良い意味で予想外でした。

そして、ちょっと気になること。

ひょっとすると年齢層が高い方が
コロナ自粛の影響が大きいというか
引きずっている気がするのですが
どうなのでしょう?

というのも
新入生達は高校生活は
まるまる自粛生活だったのですが
大学では、そこから解放された反動が出て
アクティブになっているように見えます。

対して、大学で自粛生活を送った上級生達は
何となく勢いが戻らないようにも見えます。

さらに、大学の教職員はどうかというと
より勢いが戻らないように見えるのです。

技術の現場の皆さんはどうでしょうか?
これ、卒業生達にも聞いてみることにします。

ただやはり
学生達の活動からは
恐怖に対しての反応のような余韻を感じます。

これは死への恐怖におののいている
という感じではなく
余計なことをしたりして
それに対するネガティブなリアクションを避けるために
より保守的な思考、行動を取るような雰囲気を感じるのです。

良い見方をするなら
より真面目になっているようにも感じます。
大人しいです。

脱線しない、やり過ぎない
守りに入っている
そんな感じです。

とはいえ、1年生達は自粛の反動をうまく活かせば
かなりのジャンプアップが可能な気もするのです。

実践経験を積みながら(積んでからではありません)
本気のチャレンジができるようになれば
定型的な知識ではカバーできない暗黙知の領域を
バリバリ強化していける気もします。

さて、長くなってしまいましたが
大事なのは、少子高齢化の今後を見据えて
彼らがどのように成長すべきか
というところです。

世の中には色々なタイプがいて欲しいのですが
この調子で行くと
単一思考で守りに入る者が大多数になる
と私は読んでいるのですが
どうでしょうか?

だって、彼らを導く年代が
守りに入っていたらそうならざるを得ませんから。

守りに入ると
狭い領域を守りたくなります。
なので、専門領域を深掘りする人材には困らないでしょう。

あと、真面目に指示に従う者
これも沢山いると思います。

個人的には、それをやっちゃうとお先真っ暗だと思うのですが
恐らくそうならざるを得ないのではないでしょうか。
潜在意識の中心に「守り」がセットされていたら仕方ないと思います。

将来的に必要になってくるのは
レアな人材です。
夢工房の使命はそこにあります。
マジョリティに準じたらお終いです。

今後、少子化になるのなら
パワーとスピードは
ますます重要になってきます。

となったら答えは簡単。
色々できる本気のチャレンジャーとなること。

ここまで色々書いてきましたが
結局は時勢は関係ないじゃん!
という落ちでした。

結局は一所懸命できるヤツがハッピーになる

どんなにものを知っていようが
どんなにIQが高かろうが
最終的には
いかに熱意を持って一所懸命に取り組めるか

それが満足度というか幸福度を決めるんだよなぁ
なんて思いました。

やらされた
要求を満たした

そんなのもアリだし
必要なことだとは思いますが

やってみた
できた

には叶わないんだよなぁ
と。

ものを作ること
特に新しいものを作ることにおいては
その違いは決定的です。

他から課されたタスク
アサインされた仕事
そういうのはもちろん重要です。

でも
チャレンジするのはもっと重要。

コツコツやる姿勢は大事です。

でも、前提があって
それは「何のために」
つまり目的があること。

高い志、目的があって
そのために目標をセットして
コツコツやるなら良いのだけど

目的無し、目標無しにコツコツやるのはもったいない。

高い目標をセットして
それを何とかしようと思うには
もちろん熱意が必要なのですが

一度熱意を持ってしまえば
良いことだらけなのですよ。

熱意さえあれば
不足があっても何とかしようとするでしょう?
知らないことでも、やったことがなくても。

しかも、すぐに何とかしようとすれば
掛けられる時間が多いわけで
大抵はなんとかなるものです。

熱意が持てるかどうかは
できるかどうかではありません。

どうせ熱意を持つ対象なんてのは
やったことがないことですから
勝手に持てば良いのです。
周囲にとやかく言われる筋合いはありません。

あ、勘違いしちゃいけないのは
単なる消費者として
他人に用意された仕掛けに
乗りっぱなしの熱意は違いますよ。
それ、単なる消費行動ですから。

クリエイティブなヤツが良いですね。

さて、コツコツやる話ですが

一度デッカイ目標めがけてやってみて
「あ、これは急には無理だぞ」
と実感してコツコツやるのと

特に目標無しに
「やってりゃそのうち何とかなるだろう」
とコツコツやるのは
全然違います。

中身も密度も違います。
必然性があると無いでは大違い。

目的、目標無しでは失速しやすいから
持続性も違います。

当然、結果は大きく違ってくるし
満足感も違って当然。

その違いを分けるのは
やはり目的なのでしょうね。

何のためにそれやるの?
ということです。

これまた根本的に重要なこと

何をもって自分の限界とするか
「これ以上いけない」
というポイントというか閾値(しきいち)というか
そういうのは目に見えません。

なので、限界までプッシュするというのは
人によってはとても難しかったりします。

逆方向の
落ちるところまで落ちて
「これ以上(以下というべき?)はマズイ」
という一線も目に見えないので分かりにくい。

さらに、これを決めるのは自由だし
意識しないこともできる。

上も下も良く分からないのです。
さらにこれらのレベルは個人差がある。

限界は、突破してみないと分かりません。
限界を超えるのを恐れて
小刻みにいやっていると
いつになっても限界は見えません。

なので、失敗を恐れたり
無駄な労力を払うことを恐れていると
いつになっても限界は分らなくて
往々にして限界のはるか下の方に
停滞することになります。

下限に関して言うなら
譲れない一線を高く設定しているなら
早めに上昇に転じることができるでしょうけど

何も考えていなければ
落ちるとことまで落ちるでしょう。

高い目標設定などはもちろん重要なのですが
やはり本気度というか熱意が
どれだけ高く大きいのか
それが重要なのでしょうね。
根本的に。

ああ、やはりこういうの
授業じゃ無理なんだよなぁ。