心の慣性力

この春の夢工房は、コロナ禍の自粛からの本当の再スタートといった雰囲気です。
恐らく世の中もそんな感じなのではないかな。
と、トイレのハンドドライヤーの再稼働で感じる今日この頃。

世の中の色々な仕事もそういう方向に向かうでしょうけど、何がどのくらい変わっていくのかが気になるところでもあります。
これは心配と言うより、期待の方だったりするのですが。

とはいえ、この自粛モードからの変化になかなか対応できない…というか対応したくない人もいるでしょう。
特に疾患を抱えた方とか高齢者とか。
でも、周囲の高齢者で、そういう雰囲気を感じさせる人はあまりいなかったりするのですが。

とはいえ、コロナに対する警戒というのは、心配な人からしたら命の危機で、真剣・深刻だったわけで、一度そのような意識を持ったら慣性力が付いちゃうのではないかな、なんて思ったりもしていました。
そして、そういう意識が習慣化してしまうのではないかと思ったわけです。

新入生に関しては、その点は概ね杞憂だったようで、一安心というか、むしろ期待が持てるな、というのが今のところの感想です。

彼らは高校の3年間、ずっと我慢してきたと同時に、それは多くの「やらなくて済むこと」を生むわけです。
恐らく彼らは命を失う恐怖は感じていなかったでしょうけど、やらなくて済む楽さ加減を知ってしまったわけで、その辺がどうなっているのかな、というのが気になっていました。
でも、たぶん、大学入学という環境の変化で、一気にリセットできているものが多い印象でした。

夢工房の活動はチャレンジの連続であって、リスクを取ったりコントロールしたりしながら前進し続ける必要があるわけです。
これは、怠惰や恐怖のような、非常に強固な本能的なものを超越する必要があるのだろうなぁ、なんて思いました。
まぁ、その辺がこういう活動をやる本質でもあるのでしょうけど。

で、そういうのが習慣となってしまえば、社会に出た後も慣性力を効かせて頑張れる。
スタート時点のマインドレベルが違うので、受け身で仕事にヒーヒー言わされるのではなく、楽しめるようになるだろう、というのが夢工房で狙っているところの一つだったりします。

価値の変容と技術者教育の今後

やはり世の中の価値観が変わってきていることを感じます。

以前は「合っていること」
つまり「正しい答え」に価値がある時代だった気がします。

これは時が経って
次の時代に変わったからこそ感じられることだと思います。

インターネットの登場と発達によって、誰もがあらゆる情報に簡単にアクセスできるようになったために、それらの情報の価値が低下して、労せずに情報を手に入れることができるようになったためでしょう。

さらに今後、AIの開発が進んでいけば、それはますます加速して、より簡単に「答え」を知ることができるようになります。

なので情報や理論の価値は収縮していって、単に「正しい答えを知っている」だけでは価値にならない時代に突入していくのでしょう。

ということは、今のスタイルの学校教育の限界が来てしまう。
「正しい答えを覚えさせる」教育が中心ですから。
少子高齢化や二極化がそれを加速させるかもしれません。

一応言っておきますが、正しい答えを知っていなくても良いということではありませんよ。

ちょっと極端な例かもしれませんが、「正しい答え」のような理屈だけでは子供は増えなかったし、自殺者も減らなかった。
誰だって理屈の上では、子供が増えなければ国の未来が危ういとか、自殺は良くないなんてことは分かりきっているはずです。
でも、どうにもなりませんでした。論理だけでは解決できなかったということです。

もちろんこれらには他にも色々な要因があるので、こんな風に言ってしまうのは乱暴なのでしょうけど。
でも、この辺を考えてみるとやはり心の問題なのだろうな、と思うのです。
これからは心の時代だぞ、と。

私の職場では、技術者を育成するための教育をしていますので、教えるのは技術的な理論が中心です。

その理論は何に必要なのかというと、エンジニアリングをするためです。

エンジニアリングは何のためにするかというと、収益を上げて経済を回すためですが、端的に言ってしまうと、お客さんに買ってもらえる商品を作るためです。

なぜお客さんが商品を買ってくれるかというと…買いたいからです。
買いたくなったからです。
理屈では無く、心の問題です。
「正解だから」買いたいわけではありません。

お客さんは、カタログのスペックや価格も気にしますが、数字だけでは買ってくれません。

「お!いいじゃん!」
て買ってくれるのですが、その心の動きは理論になりません。

もしそれが理論として成立するなら、商売人やエンジニアは「回答」に従って仕事をすれば済むのでしょうけど、そうはなりません。

また、エンジニアが良い仕事をするにはパッションが必要ですが、それが分かっていても簡単にはいきません。
「こうすればパッションを持てるよ」なんて答えもありませんし、あっても簡単には従えません。

単にものを作るための知識とか情報は、今後ますます容易に手に入るようになるでしょうし、ものを作るための技法は容易化する可能性があります。3Dプリンターのように。

さて、では今後は大学で何を教えるべきなのでしょう?
というのは風呂敷を広げすぎかもしれないので、今後の夢工房はどうあるべきなのでしょう?
にしておきましょうか。

人の心という厄介なものと、何のために何をどのように作るべきなのか、そういうのを学生と一緒に考えながらチャレンジしていく
そんなところが大まかな内容になるのでしょうね。まぁ、今と変わらないのですが。
これは今後整理して、分かりやすくまとめていく必要がありますね。

最終的に収束すべきところは「実学尊重」と「技術は人なり」
これは変わらないのですけどね。

精神論について

以前は
「精神論(根性論)ではどうにもならん」
みたいなことを聞いた覚えがありますが
最近ではあまり聞きませんね。

根性ある人が減ったから?

まぁ、そうかもしれませんが
「そういうのじゃどうにもならん」
というのが常識になっているからかもしれません。

精神論じゃどうにもならんなら
何ならどうにかなるのかな?

理論?とか知識?

それは嘘です。

理論や知識はもちろん大事ですが
理屈で人が動くなら
学生達は全員がもっとお勉強ができるようになっていて
全員がいわゆる一流大学に行っているでしょう。

でも、ひょっとしたら
お勉強する必要性に関するロジックが
理論として成立しないのかもしれませんが。

まぁ、その辺は置いておいても
「頭では分かっているけどできない(やる気になれない)」
というのは誰でも経験があるでしょう。
私なんて年がら年中ありますよ。

なんでそんなことになっちゃうかというと
そもそも「やるかやらないか」なんてのは
気持ちの問題だからです。
心の問題です。

「やる気になれない」
なんて、読めばそのまんまじゃないですか。

もちろん言った本人は
それが理由になると思っているし
それを聞いた人は
「じゃぁしょうがないなぁ」
なんて言ったりするくらいだから
理由としては市民権を得ているというか
ちゃんと成立しているみたいですよね。

あと、我々の周りにある製品。

周囲には多種多様な製品があるでしょう。
これ、全部人が作ろうと「思って」作ったものですよ。

頭の中に豊かな知識があったら
いつの間にか自然と物体になって目の前に現れた
みたいなものは一つもありません。

我々の心を動かすほどの素晴らしい製品は
ほぼ間違い無く
熱いパッションが根源にあります。

そこに、知識とか経験とか工夫とか
実現するために必要なものが動員されて
形になるのです。

自分が望むものを形にするために
知識や経験が無ければ
調べたり試したりして
足りないものを身に付けるのです。

学生時代に学んだ知識や経験だけを動員して
製品ができるはずはありません。
そんなの当たり前でしょう。

もちろん精神「だけ」じゃ
どうにもならんのですけどね。

でも、パッションを起点にして
必要な知識や経験を掴みに行く
という行動に繋がることはあるけど

知識を起点にして
行動に移行するのは
あまり無いのかぁと思います。
もちろんゼロではないでしょうけど
少ないですよね。

ずいぶん前の話ですが
海外のFormula SAEの大会で
現地の学生と雑談をしているときに
何気なく
「良いクルマ作るのに何が一番大事だと思う?」
って聞いたのですよ。

そうしたら
「そんなのガッツに決まってんだろ!」
って即答しましたよ。

精神論って
昔の日本人の専売特許で時代遅れな価値観だ
って思ってましたか?

ひょっとしたら
今の日本人が失っている
最もクリティカルなことの一つかもしれませんよ。