オーストラリア遠征で見たもの 買い物編

今回の遠征、オーストラリアに行ったのは2年ぶりだったわけですが、そこで感じた事を写真ベースでつらつらと書いてみましょう。
別に今回改めて感じたことや気付いたことでは無かったりするのですけどね。

バイク用品屋さんは、2、3の結構大きなチェーン店が幅を利かせています。
土地柄か、オフロード系の部品・用品が充実してます。

ヘルメットは日本製が人気があるようです。
でも、カッコイイグラフィックモデルは、日本円で10万円越えです。高くてビックリです。
この店はSHOEIはあるけど、OGKカブトやアライは無かったですね。

ジャガイモ、ピカピカです。
と思ったら、洗ってないものが隣にあったりします。
袋入りも個別もあります。
ちなみに、値段は1kgあたりです。

パン食の国は、当然ながらパンのバリエーションは豊富です。
たまたまこの店内で焼いたもののコーナーは売り切れが多かったのですが、他にも工場で焼いたものが並ぶ棚は壮観でした。そっちの写真の方が良かったかもしれませんね。
値段は店内で焼いたものの方が、ちょっとだけ高いです。

基本的に我々の遠征は、朝から晩までサンドイッチです。
できあいのものは高いので。
なので、しょっちゅうパン買ってます。

具材は、カット野菜、ハム、チーズ、ピクルス。これにオーストラリア独特のスプレッドのベジマイトとマスタード、マヨネーズなどが加わります。

これで1食あたり3、4ドルで済んでます。
1オーストラリアドルは100円くらいなので、日本での食事よりはるかに安いですね。
ちなみに、ファーストフードで、ハンバーガーのミールセットを頼むと、すぐ20ドルくらいになります。

大会期間中は朝が早いので、ホテルで朝食をとったのは3回くらいですが、このパンケーキマシンは面白かったですね。
内部はベルトコンベアになっていて、上流でタネが落とされて、加熱されながら、最終的には右に置いた皿にポトッと落ちます。
写真のはえらく小さいですが、大きさはバラツキがあります。

遠征中にも紹介した、巨大ホームセンターのBUNNINGS。
オーストラリアでは他のホームセンターは見たことありません。
色々物があって重宝します。

品揃えは日本とは違いますね。
違いを挙げたらキリがないのですが、例えはガスバーナーや溶接機があるコーナーには、二酸化炭素やアルゴンの小さいなボンベがあったりします。

電線の結束バンドも沢山あります。
カラフルなのもありますね。
こういった副資材と言うか、小物関係は各国の特長が出て面白いのです。
遠征だと、大抵は急いで買い物をしているので、あまりじっくり物を見られませんが、暇なときに行ったらいつまでもいられそうです。

というわけで、今回はお買い物関係を中心に紹介してみました。

戦争から学ぶ 戦略的思考の構造の続き

前回は飛行機を例にとりました。
しかも、その機能とか装備に限定した話です。

機能や装備を含んだ飛行機そのものが、一つの具体的な「技術」とすれば、それをさらに大きな枠でとらえることができます。

「技術」の一つ上の階層が「戦術」です。
飛行機に搭載した兵器でドッグファイトするなんていうのは「戦術」でしょう。
飛行機や搭載する兵器は、その戦術に必要で、そのために開発されます。

「戦術」から上の階層は、「作戦」、「戦略」となっていきます。
その階層では、もう飛行機単体の話ではなく、もっと大きな組織的な話になります。

さらに上にあるのは、「政策」で、この階層では、そもそも戦争をすべきか否か、やるとしたら、どういった戦い方にするか、「情報」とか「経済」で蹴りを付けるか、実際に戦闘すべきかという判断を含みます。

さらに上位にあるのは…
自国をどうしたいとか、他国との関係をこうしたい、というビジョンでしょう。

昔々の原始時代は、それこそ腹が立てば殴るとか噛みつくとか、そういう直感的で短絡的な行動だったのでしょうけど、時代を経て、戦いも高度化していきます。

というか、戦争を例に挙げるとこのような、おどろおどろしい話になってしまうのですが、基本的なロジックは単純です。

願いを実現するための考え方
なのです。

戦争は、趣味とか道楽ではありません。
命がかかっているので、できればやりたくない。
正常な人なら誰だって死にたくはないし、殺したくもない。

しかし、どうしても回避できない場合
勝ちたいとか、負けたくないとか願うわけで、それを実現するための一般的な考え方が、今回お話しした階層状の思考です。

でも、今回の話、本来考えるべき方向と逆にお話ししたのがお分かりでしょうか。

具体的な兵器を作るから戦争になるのではありません。
戦争に必要だから兵器を作るのです。
…基本的には。

世の製品も同様です。
「こんなのがあったらいいな」と、製品が果たす役割を考えておき、そのために作るのです。

学校などでは、理解の都合上、基礎と称して具体的な細かいことからやっていきます。
しかし、実社会では逆です。

そもそも最初にあるのは、最終的なビジョンです。
結局どうしたいの?ということです。
最初なのに最終というのはややこしいですが。

想像力って大事なのです。
でも、想像力をどう使うかは自由です。

素晴らしいことにも使えるし
恐ろしいことにも使えます。

そもそも素晴らしいとか恐ろしいなんて、時代によっても違うでしょうし、価値観によって様々でしょうけど。

だからといって、想像しなければどうなるか?

それはそれで恐ろしいことなのかもしれません。

戦略的思考…について考える

「戦略的思考」というと、何やら難しそうですが、実はそうでもありません。

「何のために、どうするの?」
ということですから。

何のために=ゴール
どうやって=手段
です。

ゴールを決めて
そのための手段を考えましょうよ
ということです。

しつこいですか?
でも、我々日本人は、これが苦手です。
そのことによるメリットもあるにはあるのですが、それは後ほど。

そもそも、ゴールも決まってい状態で何かをやったところで、それをどこまで、どのようにやったら良いかなんて分からないし決められないのです。

でも、そういうケース、多くないですか?

なんで大学に来たの?
夢は何?
という問いに、どれだけが明確に答えられるでしょうか?

これは、そもそも日本人はそういう気質を持っていた…
わけではないでしょう。
いくら周囲を海に囲まれた島国だと言っても。

そもそも、海洋国家が戦略的な思考が不要なのかというと、決してそんなことはありません。

海洋国家は、多くのリソースを輸入に頼っているため、シーレーンを封鎖されると即死します。
なので、戦略的思考が無いと、お先真っ暗です。

では、なぜ現在のような戦略無し状態になっているのか?

これには原因があります。

まず一つは戦後の日本の状態。
それと学校教育。

戦後、我が国は日米安保条約によって、戦力を捨て、アメリカに守ってもらうことになりました。
お陰で経済、産業に注力することができて大成功!となりました。

自らを守ることを考えなくても良いなんて、普通はあり得ない状態です。
国にとって、もっとも大きなリスクについて考えなくても良いのですから。
でも、それが実現したわけです。

自らの国を守る必要は無くなって、それについて考える必要も無くなり、戦略について語ることすらタブーとなりました。

お陰で、何かに忠誠を誓うようなことはもちろん、何か一つのことに向かって皆で…
というようなことは軍国主義を思い起こさせるのか、同じくタブーになっています。
特に学校では。

企業なんかだと、一つの目標に向かって皆で力を合わせないと仕事になりませんし、戦略的に考えないと大したことはできません。
なので、学校とのギャップは巨大です。

でも、会社に入ったら目が覚めるから大丈夫!
とはいきません。
これは年々強化されてきました。自然に、自動的に。

そりゃそうです。
同じやり方で教育を継続していけば、それは世代を重ねて強化されていきます。
学校と社会のギャップはどんどん大きくなって行く。
破綻するまでは。

この状態について、他国の陰謀がとか、そんなことを言うつもりはありません。
誰かのせいにしても、なにも変わらないからです。

この状態を認識して、「ではどうするか?」
それがこれから考えるべき事です。

その前に「どうしたいか?」ですけどね。