波風を立てよう

言いたいことを言って
やりたいことをやる

複数人がそうすれば
つまり、チームでそうすれば

波風が立つ
時には争いが起きる
事によっては喧嘩になる

でもそれは成長するためには必要なこと。
良いものを作るにも欠かせない。

むしろ
それを許さない環境がダメにする。

一切の争いが起きずに
何の困難もなく
洗練された高度なものが生まれるかというと
決してそんなことはない。

皆が従順に何かに従って
一点に向かうだけで良いものが生まれる
というのは幻想。

それぞれが最善とするものを
出して
ぶつけて
磨いて
とするから
良いものが生まれるし
自身も成長する。

組織の中の多くが
「単に従う存在」
となると
彼らを駆動し、導く存在が必要で
そこには負荷が集中する。

そして、従う者は考える必要が無くなる。

そんな状態ではトータルパフォーマンスは低下せざるを得ない。

各人が、自らの正義をアウトプットすると、必ず食い違いが起きる。
そこで、アウトプットされた情報を俯瞰し、最適なものを選ぶ
チームとしてのパフォーマンスを向上するにはこれしかないと思う。

会社組織ではむやみに喧嘩をするわけにはいかないから
上下の区別なく自由に意見を出し合える話し合いの機会を設けていたりする。

波風を立てないよう行動すると、無難なもの
ことによっては、皆にとって「楽なこと」を選択しがち。

特に現代教育ではそうなりがちなのではないだろうか。
「波風立たないように、みんな仲良く」
と育ってきていないか?
その方向性のまま行くのであれば未来は暗い。

かつては
「イエスマンじゃダメだ」
と言われていました。

これは
なんでも言われたとおりにやれば良いわけじゃない
指示待ちになるな
ということ。

学校では、イエスマン以外が得をするようなシステムにはなっていない。
なので、社会もそれに合わせて変わらざるを得ない…
としたら、これはマズイですね。
ひょっとして、すでにそうなってるのだろうか?

争いが目的では困るけど
成長のプロセスとして波風を立てることは必要なのだ。

チャレンジは非対称性を持つ

失敗は皆の嫌われ者。
だけど、多くが失敗を理解していないというお話しです。

一般的に
チャレンジして、成功すればプラス側にカウントされる。

では、失敗すると逆に何かが奪われてしまうのか?

実は何も奪われることはない。

すでに持っているものを奪われるようなことはないし
今できていることができなくなるわけでもない。

新しい知見が得られるという意味では
成功しようが失敗しようがプラスにカウントできる。

成功すれば得られる
失敗すれば失う
のであれば、それは
対称性を持つ
ということになるのだけど

チャレンジの実際では
やれば得られる
失敗しても失うわけではない
むしろ、それでも何かを得られる
というように
非対称
なのですね。

ただし失敗した時に
ネガティブな見方をしてしまうと
得られるはずのものも見えなくなってしまう
という点には注意が必要です。

要は、受け止め方次第
つまり、自分次第ということです。

ちなみに
チャレンジしなければ失うものはありません。
しかし、得られるものは何もない
ということになります。

循環させるべきもの

「循環型社会」と聞くと
一般的には、資源やらエネルギーやらを指しますよね。

でも、それ以前に循環させるべきものがあるのではないか
というのが今回のお話し。

経済の低迷
情勢不安
などなど
色々あって
なんかしっくりこないというか
ザワザワするというか…

それらの根底に共通の原因があるような気がしなくもない。

それは
利己的な社会になってきているから
ではなかろうか?

これは
価値の循環が止まるとうまくいかないのではなかろうか
ということなのですけどね。

ここで言いたい
というか
このブログで言っている「価値」とは
お金(マネー)に限らず
もっと根源的なものです。

本来
創造して提供した価値の大きさに応じて対価が払われ
受け取った対価を他の価値に払う
そうやって価値が循環して社会は回るもの。
まるで体内の血液の流れのように。

ところが
その流れを構成する一部が
恐怖とか欲得とか
はたまた怠惰とか
何かしらの理由で利己的になり
自分の手元で価値の流れを止める

流れが滞ることにより不健全になり
それによって恐怖とか欲得とかが増幅・増殖して
ますます流れが滞る

そういったことが起きているのではないだろうか。

本来、我々の社会は
相互に依存しないと成立しないのだけど…

物質的に豊かになって
便利になって
他に依存せずとも生きられるような(気がする)
かつては「理想」とされた状況になって

「社会に価値を提供する共同体」だったはずの企業が
いつの間にか「利益を最大化する装置」となり

個人も
「社会に何を提供できるか」より
「自分が何を得られるか」
を優先できるようになって

価値を循環させるのではなく
手元に貯め込むことが優先されている。

それはもちろん
循環させなくても、すぐには破綻しないから。

であれば、そうなるのは当然なのかもしれない。

でも、じっくり破綻に向かっている気がする。

それらを一挙解決!とはいかないまでも
状況をちょっとだけでも改善できないだろうか
と思うのです。

そんなことを考えながら感じているのは
恐怖でも怒りでも絶望でも無く…

こりゃ面白いことになってきたぞ

だったりするのは不謹慎でしょうか。