「自信」って何だ?

何か新しいことを始めるとき
それがうまくいくためには、自信が必要です。

実績が無いから、できると思えない?

自信があるとか無いとか
それは、できるとかできないとかではないのです。
まして、やったことがあるとか無いとかではない。

できると信じているか否か
腹を決められるか否か
ということ。

過去の似たようなことでも良いし、似たようなことではなくても良いし
「アレができたのだから」
と無理矢理結び付けても良いのです。

根拠とか証拠なんて要らない。
やったことがないことをやるのだから、そんなものは無くて当然なのですよ。

とはいえ、やったことがないものに対して
できると信じたり、腹を括るって勇気要りますよね。

学校でのお勉強は、一人で淡々とやれば良いのですけど、実社会で仕事をするとなると、大抵は相手がいるわけで、責任の大きさも全く違う。
新しい仕事は、経験の無い仕事なわけで…
勇気が要ります。

そう。ものごとを可能にするか否かは、心の問題だったりもするのです。

学生のうちに、それを楽しめるようになれればベストですね。

自分を信じる心
それが自信。

見えるもの・見えないもの

「本当に大切なものは目に見えない」

フランスの小説家であるサン・テグチュペリが、1943年に書いた”星の王子さま”に出てくるセリフです。

今回は、知識とそれが生み出す価値について考えてみましょう。

教科書に書いてある知識は目に見えますが、頭に入っている知識は、直接目に見えません。
それを見えるようにして評価した代表的なものが、テストとか成績表などの点数。

それはそれとして、そもそも知識は何のためにあるの?
というのが大事なところ。

頭の中に貯め込むためではありません。
使うためです。

何のために使うか?
それは自分以外のためです。

いや、別に自分のために使っても良いのですけどね。
それは「仕事」とは言いませんよね。
他に価値を提供するのが仕事ですから。

では、仕事で知識をどう使うか。

そこでスキルが登場します。
知識を価値に変換するために必要なものの一つがスキル。

学校は、汎用的な知識やスキルの獲得ができるように訓練するところですが、”単に”それを使うだけでは、十分な希少性とか優位性とか、仕事としての価値に変換するには不十分です。

さて、知識とかスキルとか意外にも大事なものはあります。

アイデアを使って工夫することによって、独自性とか優位性を生み出せたりしますね。

アイデアとはなんぞや?
という話はそのうちするとして、大事なのはアイデアの根源になるものです。
もちろん、基本的な知識などは大事です。
いわゆる「引き出し」というヤツですね。

しかし、「知ってる」だけではアイデアは出ません。

メンタルとかマインドとか、そういったものが大事なのです。

そうでしょう?

「何とかしたい!」という気持ちが強くなければ、アイデアなんて出ませんよね。
そもそも、知識やスキルを得たいという気持ちがなければ、それらも獲得できないわけですし。

なので、結局は「心」の問題なのです。
心も目に見えませんね。

さて、どうしましょうか?

得意なことを伸ばそう

皆が同じようなことができるのは結構なことです。

しかし!
そもそも人類は、仕事を分業化して専門化することによって発展してきたのです。
要は、「尖った人」がいたから、と言うこともできます。

なので、得意なことを伸ばすというのは、進歩・発展するためには根源的に必要なものなのです。

得意ではないことにリソースを振り分けると、当然ながら得意なことに使うリソースは減ります。
やるべきことをどんどん増やして、アレもコレもってわけにはいかない。
得意ではないこと、好きでもないことならなおさらです。

つまり、限られたリソース(主に知力や体力)を分散して使うなら、広い範囲をそれなりに…
となるでしょうけど「何か尖ったものを」となると、リソースの集中投下が良いに決まっているのです。

皆が知っていると良いこと、できると良いこと
こういうのは「汎用的な知識や能力」と言われます。

そういったことに長けた人はいて良いし、もちろん必要です。

汎用的なものも、専門的なものも、両方優れている人
そんな人がいても良いでしょう。
というか、それが理想なのかもしれませんが、リソースや価値観や習慣の問題で、なかなかそうもいかなかったりします。

であれば、汎用的なのはイマイチだけど、専門的なものに強烈に特化した人がいても良いと思うのです。
それが多様性というものでしょう。

そして、色々な専門的な能力を持った人が集まって、お互いを補完し合いながら、強力な組織力を発揮する。
それが実社会で行われていることであり、人類が進化してきた道筋です。

恐らく現在は、「お受験」という短期的なゴールに対する汎用的な知識を強烈に要求されていて、専門性を獲得する暇がない…
とかやっているうちに、各人が得意なものに突っ走るような多様化が許容できないような状態になってしまっているのではないでしょうか。

で、社会からのニーズと乖離している。
ということでしょうね。