EVの現状

最近、EVはちょっと行き詰まっている感が出てきましたね。

ロシアとウクライナの戦争に端を発するエネルギー問題や、そもそも構成する素材を採掘したり精製できる国が限定されていたり、そういう諸々のコストやリスクの問題があったりするわけで、なかなか一筋縄ではいかないようです。

「EVは効率が良い」と思われがちですが、火力発電で電気を得るのであれば、最終効率はエンジン車とさほど変わらなかったりするわけで。

「太陽電池なら良いじゃないか」と思っても、発電量に対してそのものを製造するためのエネルギー量が大きすぎて、効率が良いとか環境に良いとかは簡単に言い切れない側面もあるようですね。

電気は2次エネルギーなので、色々課題があるのは仕方ないことですし、全て良いことずくめのものなんて無いわけで。必ず何かしらのデメリットはあるものです。

揚げ足取りのようにデメリットを上げようとしたらキリがないのかもしれませんが、内燃機関一本槍だった情況にEVが変化をもたらしたのは間違いないわけで、クルマの使い方も含めて変化をもたらしたのは事実です。

エンジン車に対してシンプルな構造となるEVですが、国際政治的に複雑なクルマとなるとは皮肉な話ですが。

100年以上の時を経て再びマーケットの表舞台に現れたEV。
前回は恐らく最低でも15年くらいは市場で頑張ったはず。
果たしてこれからどのような展開を見せるのでしょう。

昔のEVについての過去の紹介記事はこちら

やはり神様は必要

いきなり何だ?と思いましたか?

科学者でも、何かを突き詰めていくと
とても理屈では説明できない領域がある
というのは聞いたことがあるでしょう。

そういうのも大変興味深いのですが
今回はちょっぴり違います。

このブログでは
さんざんチャレンジは大事だよ
なんて言ってるわけなのですが

チャレンジすれば失敗もあるわけで
行き詰まっちゃったりもするでしょう。

時として
怒りや苦しみや悲しみに
囚われてしまうこともあるでしょう。
そんなときに助けてくれるのが神様です。

「神様助けてー!」
ではありません。
それは最後の手段です。

困難や苦しみを感じたとき
「これは神様に試されてるんだな」
「神様が自分を成長させるために
試練を与えてくれているのだ」
と思えば、かなり心が楽になって
脱出口が見えたりするし
「これを乗り越えれば成長できる」
と信じることもできるでしょう。

怒りや悲しみを感じたとき
ついついその矛先が
自分の外に向いてしまう
そんなことがあるかもしれません

そうなったら自分だけの問題ではなく
周囲も巻き込んで
負の感情のループが回り始めます。

その状態では
決して良いことは起きません。

この負の感情のループを
自分の手元で終わりにすることができたら

これを感謝とか
前向きな感情にに置き換えられたら
きっと良いこと起きますよ。

というわけです。

神様に頼ってばかりで
お願いばかりしていると
なかなかそうはいかないかもしれませんが。

なので私は
神社に行っても
神様にお願いはしないことにしています。

神様だって
お賽銭ポイポイ投げられて
お願いばかりされていたら
嫌になってしまうでしょうし(笑)

いつもお世話になっている御礼を言って
「がんばりますよ」って誓約してくるのです。

感性と価値観

ものを作るとき
知識とかスキルとかは
その出来映えに大きな影響をもたらすのは当然ですが
「感性」とか「センス」を忘れてはいけません。
これらはオマケではないのです。

そもそも「感性」とは何か?
ものごとを感じ取るセンシング能力ですね。

経験に基づく基準があって
それに対してセンシングしている対象の位置付けを評価する能力
というところまで含んでいる場合もあるでしょう。

そもそもセンシングするだけなら
経験に基づく基準は要らないのかもしれなくて
対象に興味を持てるか否かが大事なのだろうな。
とも思いました。

興味の無いものはセンシングの対象にならないし
評価もできないでしょうから
単にセンシングしているだけじゃ
それは感性とは呼べないでしょうね。

いわゆる「センス」は、ほぼ同じ意味ですが
「センス」は表現されるアウトプットの結果まで含むこともありますね。
なので、センスが良いとか悪いとかいう話になる。

さてさて
感性が評価する基準は
「価値観」ということになるでしょう。

これに基づいてセンシングの対象を
選別したり評価したりしているはず。
当然、興味のないことは対象にならない。

ものづくりに重要な感性を磨くには
当然ながら経験の数とか質が大事になってきます。
五感を使って実際に「やる」ということです。

これは感覚的なことだから
そもそも言葉や文字にして伝えるのは難しくて
定義すること自体が難しい。
もちろん授業では伝えられない
やらないと分からない世界。

もちろん若い方が感性は豊かで敏感なので
始めるのは早い方が良い。

年齢を重ねてから感性を磨くのは…
絶対に無理ではないだろうけど難しい。

特に手を使ってものを作っていくことは
癖が影響するだろうから。

癖は無意識に発動するフィルターだったりもするから
癖が付いてしまってからでは見えなくなるし、分からなくなる。

品質とか美しさは今の授業では学べません。
それを達成するため必要な考え方とか
努力のしかたも分からないでしょう。

下地が無いままで社会に出て
時を逸した後に学んでも限界があるだろうから
大学を出てからでは、色んな意味で無理があるでしょうね。
価値観が固まってしまってからでは遅いのです。

何とかしないとね。