学校では
向いていようがいまいが
皆に同じことをやらせて
その成果を一つの尺度で評価して
できるとか、できないとか
そういうことになってます。
以前、記事にしましたが
これはプロイセン型の教育といって
300年前のプロイセンで始まり
150年前に日本に伝わってきたやり方です。
どうもこのやり方は
ボチボチ限界なのではなかろうか?
というのが今回のお話し。
何でボチボチ限界と思うのか?
前提として
文明や文化はもちろん、技術やら何やら
あらゆるものは、いつか潰える。
我々人間による文明だって例外では無いわけで。
学校における「授業」を使った教育だって
人類が誕生したときからあるわけではない。
プロイセン型の教育が
永久に続くなんてあり得ない。
一度に大勢に
言ったことをやらせる
といったやり方で育成された者が
社会に出て価値を創造したり
次の世代を育成したりして
今の世の中があるわけですが
年を経ることに良くなってきていて
未来が明るいのかというと
どうもそうは思えない。
世の中は変わっているけど
学校の基本的な構造は変わらない。
科目は変えてるし
表面的な部分を変えたところで
基本的な「やり方」を変えなければ
結果は大して変わらないのではないかな。
世の中は変わってきていて
従来の価値観は通用しなくなってきている気がします。
新しい価値観を
旧来のシステムにはめ込んで駆動しようとしているのが現在。
これ、メカの機構は変わらないけど
部品の一部を変えたくらいのもので
最終的な動作は一緒
みたいなものなのではないかと思うのです。
蒸気機関車を電気モーター駆動に変えたところで
レールの上を走るのには変わりありません。
今やインターネットとAIをベースとした
爆発的な情報伝達と処理の時代に突入しているわけですが
これはもう単なる技術の域を超えています。
それに応じて
ものごとの価値自体が変わっていくのは必至ではないでしょうか。
現に仕事のやり方は大きく変化しているわけで。
それに対してプロイセン型の教育で
「いいから黙って皆と同じようにやれ」
が通用するのかというと
それはもう限界でしょう。
分かりやすいところで言うと…
最近良く言われる
主体性を求めるとか
批判的思考をするとか
確かにそれらが無いと
これからのご時世
価値を生み出せないと思うのですが
それをプロイセン型の教育で手に入れるなんてのは
強烈な矛盾をはらんでいるわけで
破綻する前触れとしか思えないのですよ。
でもこの矛盾
頭の良い皆さんは
すでに気付いてるのでしょうけどね。
ここまで問題が明確化しているなら
そこそこ明確な手を打つことができそうな気がします。
でも、変えられない・変えたくない事情があるのでしょう。
なので人任せにせず
やるか
やらないか
だけです。
