なんで「良い子」がダメなのか

学生達と付き合っていると糸色々と見えてくることがあるのですが、最近分かったことのお話しです。
これ、ウチの学生に限ったことではないと思うのですが…

例えば、レーシングカーを作るとしましょう。
競争するためのクルマですから、一番欲しいのは性能なわけで、もちろん目標値なんかを設定するわけです。
で、それを満たすために設計するわけなのですが、どうもここで勘違いをしているケースが多い。

目標値ってのは、もちろん定量化された数字なのですが、その数字から形を作ろうとする傾向があります。
まるで数学の問題を解いて、正解を導くように。

この目標値を達成するためには、公式を解いて正解を出すような「一つの答え」があるわけではありません。
それこそ無数の達成方法があって、そのために「アイデア」とか「戦略」が必要になります。

ところで、今どきの量産車は、コンピューターで最適な形状になるように設計されている…なんて多くの学生が勘違いしていたりするようです。まるで「正解」を導くように。
もし正解の形があるとしたら、世の中のクルマは一種類あればOKでしょう。
でも、そんなことはありませんよね。多種多様です。
基本的なスジは人間が決めているのですから当然そうなります。

ちょっと話が脱線しかけましたが、形あるものをつくるとき…例え目標が数値であったとしても、それは「もの」によって達成されるわけなので、そのための「もの」を想像する必要があるわけです。

なので、最初にやるべきことは、どうやって目標を達成するかというアイデアを盛り込んだ最終的にありたい姿を想像することです。
最初なのに最終形って何か変な気もしますが、そういうものです。

もちろんこの段階では、アイデアによる仮定を前提としているので、それに対して評価や確認作業を繰り返して、時にはやり直したりして、設計段階でのブラッシュアップが必要です。

これ、数字をいじっているだけではできないのですが、どうも最近は、理屈や計算だけによって何とかしたい…つまり正解を出したい…のような傾向がある気がします。

そうなると、「正解」が出ないことには設計が進まないわけで、仕事は進みません。
でも「正解」なんてそもそもありません。

恐らく、彼らに二の足を踏ませているのは、ブラッシュアップ前提で「ダメかもしれない新しいアイデアを出す」ってところなのではないかな?と思っています。

そんなの本人に聞けば良いじゃん?って話なのですが、恐らく本人は意識すらしていないでしょう。
無意識で「ダメかもしれないものは出せない」という行動をしていて、それがかなり強固に習慣化している気がします。
そしてそれが年々強化されている気すらします。

でもそれ、一般的には「良い子」って言われますよね。

一般的に、できもしないことや間違えたことを言ったりやったりするのは評価されませんが…
それ「チャレンジャー」ですよ。

こうすればうまくいく 5

このシリーズは自身の業務にも直結しているし、我々皆の未来に関わることだったりするので、大変大事なテーマだと思っています。

その反面、こういったことを定型的に表すことに対する矛盾みたいのも感じていて…だって、そんなふうに見えるようにして、それをやったら皆がうまく行くなんてどうなの?と思ったりして、色んな意味で興味深いのです。

前回、「こうするとうまくいかない」を挙げてみました。

  • ネガティブに考える(失敗を恐れる)
  • ノロノロやる(先送りする)
  • 弱々しくやる(最小限やる)
  • 孤立する(コッソリやる)
  • 硬直化した考え方(うまくいかない同じことを繰り返す)

まぁ、何をするかにもよるとは思うのですけど、ありがちだと思うのですよね。
で、どうしてこうなっちゃうのかな?と考えると、どうもこれ、やりたくもないことをやらされてばかりいるとこんなふうになっちゃいませんかね?と思うのです。

こういうのって難しいですよ。
だって、やらせる方は、相手に対して期待があったりするのですよね。こうなって欲しいって。
で、期待されるってのも素晴らしいことで、一見良い関係にも思えたりします。

しかし気を付けなければいけないのは、相手に対して期待するとはいっても、それは相手に自分の理想を押しつけていることになっているかもしれないってことです。

で、そういうのって大抵うまく行かないと思うのですよ。だって相手を思った通りに変えるって無理があるから。
そもそも価値観も違うわけだし、思っていることが意思通りに伝わるってのも難しいでしょう。

となると、うまくいくためには、本人が好きなこと、ワクワクすることをやるとか、やっていることを面白く変えていくとか以外無いのだろうなぁ、というのが今回の結論です。

もっとも、そんなことをやってみるチャンス自体があまり無いのかもしれなくて、だとするとこりゃ環境から変えないと難しいですよね。

人は見たいものしか見えない 3

悲観的な人にとって、この世は悲観的に見えます。
身の回りで起きること、見るもの聞くこと、その中の残念なことにフォーカスしてしまうから、そんな世の中に見えます。

そんなの当たり前なことなのですが、そう見えている当人にしてみれば、そんなふうに見えていることこそ、その人にとっての真実ですから、「そんなことないよ」と言っても全く説得力はありません。

さらに、悲観的に考えている人がポジティブなことをするってのもそうそう無いわけで、その結果は残念なことになりがちです。

その逆もしかり…なのですよ。

楽観的に、「世の中捨てたもんじゃないよね」なんて思っていたりすると、色々チャンスが見えてきたりもします。
というか、ものごとをポジティブに捉えていないと、良いことは起きません。

そんなの当然だと思うのですが、残念なことにネガティブな人はそういったことを信じてくれませんけどね。

でもまぁ分からなくもないのですよ。

身の回りの事なんて、細かく見ていけば多くは思い通りにいっていないことなんて山ほどあります。
そこにフォーカスしちゃったら「ほら、ほとんどダメじゃん」って思うでしょう。

でも、「思い通りにならないことがあるなんて当たり前で、それでも自分が挑戦できそうなことって結構あるんじゃないか」なんて思っているなら、見える景色は違ってくるはずです。

ネガティブなものの見方をしている人を変えることはできないでしょう。
意識的で無いにせよ、その人はそういう見方をしたいわけですから。
なので、ここでは問題提起をしているわけではありません。

ものごとの明るい側を見たい
と思い続けるのって難しいかもしれないけど、そうしていきたいな。と思うのです。
きっとそれだけで色々良くなるはずだから。

もちろん問題提起と解決ってのも大事ですけどね。
ただ、必要以上に悲観的になったら、ものごとは解決しないのではなかろうか、と思います。
ネガティブな思考が世の中を良くしていくとは思えませんから。