果たして学校は、「プロイセン型構造」から逃れられるのか?というところですが…
学校は、特に大学は最終的に
- 単位数
- 成績
- 卒業要件
- 学位授与
という国家的・社会的に説明責任を負う制度の中にあります。
なので、変えるのは難しい。
「勝手に変えちゃおう!」というわけにはいかないのです。
特に工学系の大学では、学生数が多く、教員数は限られています。
そして設備や安全管理が必要。
これらの条件は、プロセイン型の合理性が大きな説得力を持つ環境です。
しかし!
全く望みがないかというと、そうでもないのです。
実は、工学の世界では、正解が一つでない課題を合法的に出せたりします。
これは非常に大きい。
- 設計
- 製作
- 最適化
- トレードオフ
これらは本来、正解が一つでない世界です。
教員が答えを持たない、あるいは持っていても「唯一の正解はない」ということです。
ただ、現状の運用ではそのようにはなっていません。
皆、正解を目指してやっています。
それは恐らく、各授業が独立しており、ゴールの設定から、その手段の立案、実行までが一本化されておらず、「効率の良い」運用となっているからでしょう。
この現状をすぐに変えるというのは難しい話です。
なので、Formula SAEへのチャレンジは大きな意味を持ちます。
チャレンジしていれば
- 壊れた
- うまく動かない
- 仕様を満たさない
などの失敗やトラブルが起きるものです。
しかし、それらに対して
- 原因分析
- 改善提案
- 再設計
につなげれば、失敗やトラブルを価値に変換する経験ができます。
好きなことをる中で、これらの経験をするのであれば、主体性の獲得は容易でしょう。
また、チームでの活動をすることによって
- 分業
- 調整
- 意思決定
- 衝突と解決
- 責任の所在
といった、主体性がなければ成立しない重要な経験を獲得できます。
もちろん「言われたことをやるだけ」を希望する学生は、構造的に限界に突き当たることになりますので、誰でもOKと言うわけにはいきません。
なので「入り口」から主体性が必要になります。
そんなことを考えていると、現状では有志による課外活動というのがベストな選択なのだろうな、と思うのです。
