やっぱり夢中になれることは大事なのですよ

手元の資料を漁っていたら、経済産業省作成の「未来人財ビジョン」なるものが出てきました。
内容は、色々な業界のトップに集まってもらって、将来求められる人材像をまとめたといったものです。
2年前の資料なのですが、的確に将来予測してたんだなぁと感心してしまいました。

で、これは面白いなってことで、色んな省庁とか業界団体とかの組織が作成した労働環境の未来予測やら何やら、それに伴って求められる人物像やらが記された資料をざっと見てみたのです。

労働人口の減少に伴う懸念などは、かなり前から当然のこととして予測されており、今に至るわけですが…
日本はグローバル化から取り残される
生産性が低下して貧困化する
なんてのは、かなり前から指摘されてたのですね。
まぁ、そんなのは誰でも分かりそうなもので、その通りになっているだけなのかな。

興味深いのは、かなり前の資料から共通した、教育に関する懸念があったことです。

人間力を高める教育が必要
とか
基礎能力とか高度な専門知識だけじゃもうダメだ
とかいったことです。

クリエイティビティや、グローバル、多様性などは頻繁に出てくるキーワードで、「夢中になって没頭するような経験・姿勢が必要」といったようなことも言われています。

これ、ほとんど手を打たれてないじゃないか。

もっとも、提言の元が文科省では無いですので、省庁間での意見の共有とかされてなくて、対策ができていないなんてのは容易に想像付きますが。

以前から、社会のニーズと教育の現場のギャップが大きくて、こりゃそのうち破綻しちゃってもしょうがないのだろうなぁ、なんて思っていましたが、業界団体なんかはかなり前から予測はしてたのですね。
だからこそ会社が作った学校なんてのもチラホラあるわけで、それは何を意味しているかというと、お上が動いてくれないなら自分達で何とかするしかないってことでしょう。

とか何とか言いながら、私は懸念は持っていますが、別に文句を言いたいわけではありません。…ちょっとは言いたいけど。

というのも、将来予測をしたところで、そうなる保証なんて無いわけで、保証が無いならやらないでしょう。
現状を見て、過去の低減とかを振り替えれば
「何で対策打たなかったんだ!?」
と文句を言いたくもなるでしょうけど、予測に対する保証なんて無いのなら、現状維持で行くでしょう。

だって、予測に従って変えてしまったら、きっと文句言う人いますもの。
面倒くさいし、そうなる保証あんのかとか。
で、その数は膨大です。

その挙げ句、予測が外れたらどうなりますか?
非難囂々で、「責任取って辞職しろ!」とか言うんじゃないですか?
そりゃ怖いですよね。
今、国の向かうべきゴールも明確じゃ無いように感じるし、こういったことに大鉈を振るえる人もいないのではないでしょうか。
だから仕方ない気もするのです。

でね、じゃぁ夢工房はどうすべきか?というところなんですよ、大事なのは。
日本全国から見たら、我々のできることなんてのは誤差みたいなものかもしれないけど、可能な限りやるんです。「夢中になれること」を。
で、頑張って成果を出して
「あぁ、あんなのもアリだよなぁ」
と思ってくれる人がいたらOKなのです。

叩き台って知ってるかい?

「叩き台」
とりあえず形にした暫定のものとか、そういった意味です。

これ、社会に出て開発の現場で新鮮に感じた言葉の一つです。
まぁつまり、学校での生活では馴染みがなかったということでもあります。

そりゃそうですね。
叩き台は正解ではないので、そんなものを提示したら未完成不正解です。
学校で求められるのは正解ですから、そんなものは不要です。

ものづくりにおいて、こと良いものをつくろうとした場合、叩き台を出発点に、どうしたら良くなるだろうと想像(創造)して、チャレンジしながら改善していくというプロセスが必須です。
叩き台は、そのプロセスの一部です。

そもそも良いもの理想のものをつくるというのは、今は無いものをつくるってことでもあります。
だからそれは理想であって、やったことがないこと。
だったら、そんなものいきなりできないのは当然でしょう。

というわけで、叩き台をベースに良くしていく(改善する)のです。

学校の授業では、言われたことをやって正解を出すことが全てであり、クリエイティビティや、チャレンジングスピリットみたいな定量化できないものは評価できません。
けど、それらは価値を生み出す上では欠かせないものなのですけどね。

主観的な良いという感覚は数値化しにくいけれど、受け取る相手が良いと思ってくれることが価値であるというのは何と皮肉なことか。

というわけで多くの学生は、いきなり正解(完璧な完成形)を作ろうとしますが、実はこれが良いものが作れない原因でもあるでですよ。
これまた皮肉なことです。

簡単に言っちゃうと、良いものを作りたいなら磨く必要があるということなのです。

なので、磨くための時間を作るためにはスピードが重要ってことです。
何のスピードが必要かというと、磨く前段階までいかに早く到達するかってこと。

だって、いきなり完璧にしようとすると、そのために要する時間が長いわりに、どうせレベルの高いものにはなりません。初めてやることだったり、経験が浅いならなおさらです。

というわけで、叩き台を早く作る
これが良いものをつくるために必須条件の一つだということなのです。

イニシャルの話

イニシャル(Initial)
「頭文字」という意味もありますが、要は「最初の」というような意味です。

クルマやバイクのレース経験がある人には、イニシャルと言えば…「頭文字D」じゃなくて!
調整機構などの初期値としてお馴染みの用語です。

サスペンションのスプリングをセットした状態で、いわゆる自由長からどれくらい縮めてあるかとかいう場合は「スプリングイニシャル」とか「スプリングプリロード」と言ったりしますね。

ドライバー「フロントのスプリングイニシャルは?」
(フロントサスペンションのスプリングイニシャル値はいくつですか?)

メカニック「8mmっす!」
(自由長から8mmほど縮めてございます)

みたいにね。

簡単な例として…
サスペンションスプリングの場合、イニシャルをかけると、そこで反力が生まれます。
その状態で、サスペンションに入力があった場合、イニシャルによって生じた反力に達するまでは動きません。
逆にイニシャルをかけない場合は、小さな入力でも動きます。
なので、ちょっとした入力でも、クルマの姿勢がフワフワ動いちゃったりします。

その他にも色々あるのですが、技術の詳細を話すつもりは無いのでこの辺にしましょう。

で、ですよ。
このスプリングイニシャルみたいなのは、人の心にも似たようなことが言えるわけですよ。

経験の数が少なくて、心があまりにセンシティブになっていると、自分が本来やりたいことや、やるべきことに対峙する前に、細かいことで心がフラフラしちゃう。
で、実際に行動する前に躊躇して前に進めないとか、プライオリティの低いものに振り回されるとか、そんなことになりがちです。

まぁ誰だって若い頃ってそんなもんです。
でも、学校で立派な知識を頭に突っ込んだところで、心がフラフラしちゃったら、せっかくの知識は使いようがありません。

なので「心のイニシャル」をかけておくのが重要なのですが、じゃぁ一体どうすんの?というのが問題ですね。

イニシャルは荷重であり、プレッシャーで、負荷なわけですよ。
それがあらかじめかけられていることにより、本来反応すべきで無いノイズ的な小さな入力に影響されない心が必要ってことです。

最近の学校の多くは「閉じて守られたフィールド」ではないでしょうか。
教員は、学生や保護者から文句が来ないように、衝突が起きないように、頑張って細心の注意を払ってます。
学生は、余計なことが起きないように、最低限で最小限を求めます。
なのでそういった環境では、プレッシャーや負荷をいかに最低限にして無難に時を過ごすか、みたいなことになりがちです。

その環境にいるうちはそれで良いかもしれません。
では、卒業したらどうなるのでしょう?

あなたの望む仕事でも会社でも良いのですが、その環境ではどうしたいですか?
今のイニシャル値で望む成果を出せそうですか?

恐らく最近の会社組織では、その辺を考慮して新人教育をしているはずです。
でも、要は歳を取ってからの変化を求めるってことなので、そういったことは先送りにすればするほど難しくなります。
もちろんその分、仕事ができるようになって成果を出すことも先送りになります。
あらゆることが難しくなるってことです。

では、どうしましょう?

答えはシンプル。
好きなことを、できれば実戦のフィールドで頑張ってみたら良いのです。
しかもできるだけ早い時期に。
それだけです。