個は大事 けど全体も大事

「個」を大事にしすぎると
全体としてはバラバラになって
組織としての力は発揮できず
弱体化していくわけで

「全体」ばかり考えていると
個を大事にできなくなったりするわけで
妥協とか我慢とかが必要になります。

そういうのって難しいんだなぁ
なんて思う今日この頃。

「個」と「全体」は相互に繋がっているので
結局のところ極端なのはダメなわけで
良い具合のさじ加減が大事なんですね。

だからこそ中道が大事だよ
ってことなのでしょう。

何か極端なところに答えがあるわけでは無いし
完璧なバランスポイントなんて無くて
パーフェクトワールドなんてのも無いわけで
だからこそ面白い。

人間の歴史も
そういう間をフラフラして
その時その時の「いい塩梅」を探してきたのでしょう。
それは今も変わらない。

結構、同じようなことを繰り返してたりしていて
フラフラ、グルグルしてるんですね。

とか何とか考えてると…

なぜか教育勅語を急に思い出したりして。

ああいうのを毛嫌いする人がいるかもしれないけど
よく読んでみて欲しい。

教育勅語 -明治神宮webサイトより

これ、凄いなぁ
と思いますよ。

これなら、どこの誰に適用しても問題無いし
みんなハッピーになっちゃうじゃないか
と。

今、我が国は
国是として掲げているものはあるんでしたっけ?
そんなことも知らないのは恥ずかしいけど
もし無かったとしら、ちょっと恐ろしい気もする。

社是もない会社だったら
俺たち一体どこに向かってんだ?
ってなもんですから。

売り上げ上げればいいんじゃん?
好きにやってればいいんじゃん?
では、いずれ破綻するのは明白。

天皇陛下の新年のお言葉が
国是みたいなものになるのかな。
だったらちょっと安心ですが。

正しいって何だ?

「何を測定するかが行動に影響する。
正しいものを測定しなければ、正しいことは行われない」

元世界銀行のエコノミスト
ジョゼフ・スティグリッツという人が
こんなことを言ったそうです。

ふむふむ、なるほど。

何かアレですね
「観測が結果に影響を与える」
ってヤツでしたっけ
量子力学の観測者効果ってのに似てますね。
いや、違うのか(笑)

量子力学、興味がある人は
調べてみると面白いかもしれません。
一見トンデモ理論のようですが
ちゃんとしたサイエンスです。

ま、それはそれとして

冒頭の言葉はもっともなのですが
正しさとは一体何だ
というのがそもそも難しいところかと。

正しいとか間違っているとか
科学的なことならともかく
多くは主観的な価値観によるもの
である場合が多いですよね。
というか、それがほとんど。

分かりやすいところで言うと
「テロリスト」
と呼ばれる人達がいますが

何も彼らは
「世界を地獄に叩き込んでやろう!」
なんてこれっぽっちも思っていなくて

むしろ自分達の価値観にのっとって
正しいと信じていることを
命がけでやっているわけですよ。

対立する価値観を持つ者からすれば
とんでもない悪党
ってことになるかもしれませんが
それは双方とも思っていること。

理屈はそういうことですね。

で、ですよ

「正しい」
を考える上で大事なのは
その対象の集団の範囲ってことなんでしょうね。

ビジネスとか
物質的な欲得ベースの
短期的な価値観では
必ず争いが起きるので

結局は
「多くにとって共通の価値があって、かつ持続可能なもの」
という感じになるのかな。

そういうのを共有して
うまいことやっていこうぜ
ということになるのでしょうけど…

いやぁ、こりゃ難しいですね。

聞くところによると
環境の厳しい国で争いが多いのは
少ないリソースを奪い合うことによって
生き残る必要が生じてしまうためだそうです。

水とか油とか鉱物とかですね。
それこそ住みやすい土地なんかも該当するでしょう。

日本の場合、自然災害が多いとはいうものの
自然が豊かなので
命をかけた奪い合いとかは
あまり発生しないわけですね。

で、そんなふうに
色んな基本的な条件が異なるところに住む者が
共通で持てる正しさって何だろうな。

なんてことを考えてました。

日本は日本で、持つべき正しさってあるわけで
それが道徳ってことなのでしょうね。
皆が気持ちよく生きられるように
って。

今すべきことができていたかな?

コロナ禍が収まったら忘れちゃいそうなことは
今残しておかないとね。

と思ったので、ダラダラ書いてみます。

自粛の環境で起きること
これがメインに展開しましょう。

まずは、孤立する傾向になりますね。
オンラインで繋がる
といっても限界はあるし
フェイス・トゥー・フェイスとは違う。

オンラインでも言語は伝えられるし
表情もある程度は伝わるかもしれないけど
リアルなコミュニケーションに比べれば
伝達される情報量はかなり貧困になる。

よって、コミュニケーションスキルは低下するはず。

ただし、考えている人
特に自分を客観的に見られる人は
オンラインでのコミュニケーションスキルを
上げられているとは思う。

でも、限界はある。

学校などは特に周囲との繋がりが弱くなっている。
同年代はもちろん
上下関係も。

学校では、仕事上の繋がりのように
コミュニケーションを取る責務もないし。

そんな環境でどうなるかというと
集団、チームの力を利用できないので
やること、できることが小さくなる。

中にはうまいことやっている人もいるだろうけど
それはごく一部。

多くは小さいことをやる。
そこにも楽しみは見出せるだろうし
深掘りすればやり甲斐もあるかもしれない。

でも、一度小さくしてしまったら
大きくするのは難しい。

学校では、授業ばかりが学びだと思いがちだけど
実はそんなことはなくて
学年の上下が相互にやりとりする中での学びって結構ある。
特に人間関係から来るもの。
それは無くなる。

人が持つ悩みなんて
大抵は人間関係から来るものなので
関係する人の数が減れば
そういうのも減るわけで
悩みは減るだろうけど
解決する能力も減るということになる。

でも、悩みが減るってのは
結構ハッピーなことなので
一度そうなってしまうと
なかなか抜け出せない。

リアルがなくなる
というのは言い過ぎだろうけど
色々なことができなくなっているのは事実で
特に高いスキルなどの面倒を伴うアクティブなことは
今後は縮小するかもしれない。

一度やめてしまったものは
そう簡単には戻らない
というか
元通りにはならない。

ざっと思い付くままに書いてみましたが
実のところ
なるようにしかならんだろう
とも思っていたり

問題や心配な状態はあるかもしれないけど
揺り返しみたいなことが起きて
大きく反対側に触れて
一気に何かが開ける
みたいなことになるかもしれない

とも思っています。

夢工房としましては…

まぁ、やるべきことは継続できているし
頑張っている連中は
ここにダラダラ書いてきた懸案に
対処できるような経験ができている
のではないかな?
とも思っています。

まぁ、どうなるかは
蓋を開けてもお楽しみ。