顧客が買っているのは「物」ではない

企業が売っていると考えているものを顧客が買っているということは稀である。
顧客は満足を買っている。
しかし誰も、顧客満足そのものを生産したり供給したりはできない。
満足を得るための手段をつくって引き渡せるにすぎない。

ピーター・ドラッカー「創造する経営者」より

さすがドラッカーです。
半世紀以上前にこんな本質を突いたことを言っています。

そうなのです。
我々は、お金を出して物を買っていますが
本当に得たいものは「満足感」なのです。
言ってみれば感情を買っているのですね。

得たい感情があって
そのためにお金を払ったり労力を払ったりしています。

収入を得ることに関しても同様です。

お金という価値を数値化したものを手に入れることが本質ではなく
それを手に入れた
という満足感、安心感を得たいのです。

一見素晴らしい性能を持ったり
希少性があったりする製品が売れなかったりします。

発明者が、とても技術的に優れた発明をしても
誰も見向きもしなかったりもします。

供給側は
「こんな画期的な製品(技術)、売れないはずがない!」
と思ったりしているでしょうけど
受け手のことを考えていないと
こんなことになるのでしょうね。

就職活動でも似たようなことが起きます。

自分が有名な企業に勤めることによって
満足感、安心感を得たい
そんなことがゴールだと
うまくいくことはないでしょう。

だって、仕事としてうまくいくには
お客さんが喜ぶ必要があるわけですが
当人の満足で終わっていたら
それは仕事になっていませんもの。

まぁでも仕方ないと思うのです。
だって、今どき親だって先生だって言わないでしょう?
「仕事ってお客さんを満足させるものだよ」
なんて。

「頑張って勉強して
安定した良い会社入って
良い暮らしをしなさい」

「いっぱい勉強して高学歴なら
生涯年収がこんなに違うよ」

こんなこと言いますよね。

これ、職業人としては
道徳観念が破綻しちゃってるんじゃないか
と思うのですが、どうなんですかね?
それは言い過ぎ?

だとしても
良い暮らしや高い年収が得られるのはなぜか
という本質には触れていません。

頭の中に高級な知識が詰まっていれば
良い暮らしができるなんてのは嘘っぱちです。

どんなにレベルの高い知識を持っていようと
それを顧客の満足のために利用する
ということができなければ
何の役にも立ちません。

周囲の情報を真に受けて
いわゆる一流企業に入った新卒が
3年後に4割も辞めるのはなぜなのか
その辺を考えた方が良いです。

でもね

いい歳して
「親が言ったから」
「先生が言ったから」
なんて言い訳はすべきではないでしょう。

そんな判断基準で動いていたら面白くないし
一体誰の人生を生きてるんだい?
ってな感じになっちゃいますもの。

人生は一度しか無くて
自分の人生なのだから
悔いの無いようにやっていきましょう。

たかが口癖 されど口癖

自分には、どんな口癖があるか
そんなこと意外と分からなかったりします。

まぁ、癖ってそういうものですけどね、

多くが同じような言い回しをしている時は
「流行」に従っているってことになるのでしょうけど
何度も繰り返すうちに口癖として定着していきます。

癖として実行していることは
実行している本人は
特に何も意識していないはずです。

なので、口癖が特別何か効果をもたらすとは思っていない場合が多いでしょう。

でも、口から発せられた言葉は相手に伝わるわけで
自分では意識していなくても
対外的に何かしらの効果はもたらしているはずです。

最近気になるのは

「自分の中では」

というフレーズ。

「自分はこう思っている」
という意味で使われています。

たぶん、誰か芸能人が言い始めて
自然と広まっていったとか
そんなところじゃないかと思うのですが。
私はテレビ見ないので分かりません。

何でこれが気になるかというと
自分の思いを客観的に見ているような言い方になっているからです。

素直に
「こう思う」
と言ってくれればいいのですけど
まるで他人ごとみたいな言い方をされちゃうと
その「思い」に対して
どう意見したらいいのか困っちゃうのです
ダメ出し担当としては(笑)

だってまるで他人ごとのような客観的な意見なのだから
「自分のせいじゃないですよ」
みたいな感じに聞こえるじゃないですか。
もしくは
「自分」というアンタッチャブルな枠の中にあるような
そんな印象も受けます。

もし自分が、思い違い、考え違いをしていたら
修正すればいいけど
他人ごとじゃそうはいかない。
自分の力ではどうにもできない
そんな印象を受けるのです。

もちろん、日常生活においては
そんなの好きにしてもらったらいいのでしょうけど
こと、チームで動いている
ものづくりのフィールドで
こういう表現をされちゃうと困ります。

だって、最も重要な
何のために、どのようにつくるか
というのは
「思い」発ですから。
それがどこから発しているのかは
重要なことです。

チームで何かをつくる時
それは同じゴールに向いていないと成果を出せません。
「思い」が同じ方向を向くってことです。

流行の言い回しは

みんなそんなふうに言っているから
自分も同じように言う

なんてことでしょうけど
そういうのとはちっと違います。

そういうのって
何か自分をコントロールできていないような感じで
面白くないんですよね。

ということで
「自分はこうする」
というのを意識的に積み上げていって欲しいな
と思うのです。

ちゃんと自分の意識で動かしていれば
それが違っていたり、不都合があったら変えればいいのです。
自分の力で最適化できます。

そういう方が面白いと思うんです。
生きてる感じがするでしょう?

「良い」って何?

ありがちな話なのだけど…

ものをつくるには企画が必要です。
レーシングカーを作るのであれば
どうやって勝つのか
ということになるのですが。

そのための戦略を考えるのが企画です。

マシンの設計を始めるということは
どうやって勝つのか
という戦略が決定された後
ということになります。

というのも
設計をするということは
勝つための方法を実現するための
具体的な手段を決定していく
ということだからです。

マシンを構成する部品は
戦略実現のための手段を形にしたものです。

設計段階においては
「何のために」
が明確化されていないと
何のためかよく分からない部品になります。

単品ではイケていても
マシンのコンセプトに合致していなければ意味がありません。

なので
「まず設計してみようか」
なんてことはあり得ません。

また、一般的に言われる
「良い部品」
を寄せ集めても
良いマシンにはなりません。

なぜかというと
その「良い」が
マシンの戦略やコンセプトに合致しているのか
というのが問題で
コンセプトと異なる方向の「良い」では
マシンにとっての「良い」では無いからです。

たぶん、この辺はビギナーにとっては
理解しにくいところではないかな。

自動車マニアな新入生なんかも
こういうところでハマります。

ヘタに色々知っていると
一般的に「良い」と言われるものも知っていて
そういうものを使えば「良いマシン」になる
と思いがちだから。

これ、人間も同様で
「あいつは頭いい」
とか言うけど
「何のために?」
が明確化されていなければ
あまり意味は無いのではないかな。

と、そんなことを
久々に行ったバイク用品屋さんで
ハイクオリティな部品を眺めながら思っていました。