我々を駆動するもの

外的な動機によって、まるで「煽られて」いるように、仕方なくやっていることが日常生活のうちにどれだけありますか?

自身の「やる気」によって、つまり内的な動機で自ら駆動しているのが一番健全ですよね。

いずれも「やっている」という部分だけ見ていると、とても似ていて区別が付きにくいかもしれません。
本人にも自覚が無かったりするのではないかな?

でもやはり、内的な動機の方が成果は出やすい。
というか、内的な動機であれば自ら成果を望むのだから当然ですが。

例え外的な動機であっても、考え方によって内的な動機に変換することはできます。

それは…

面白くしてしまうこと

とはいえ、面白くするためには工夫が必要で、工夫をするにもモチベーションが、つまりやはり内的動機が必要になります。

うむむ、これもやはり鶏が先か卵が先か状態です。

そこで思ったのは
そもそも、自分はどういう人になりたいのかというマインドセットが大事なのではないか
ということ。

例えば
アイデアを形にするエンジニアになりたい
としましょう。

であれば、アイデアを形にするというスキルが必要で
それをアウトプットするという行動も必要です。

で、真面目な多くの人が考えるのは
「じゃぁ、まずはそれらを手に入れないと」
となるでしょうけど、それをやっちゃうと、パフォーマンスが不足している現状と向き合わなくてはならないので、モチベーションが下がりがち。

なので、まずは自分の立ち位置を決めてしまいましょう。
自分がなりたいのは
「発信する側の人間」なのが
「受け取る側の人間」なのか
です。

気をつけて欲しいのは
あくまでも「自分がなりたいのは」です。
人に言われたからとか、リスクがうんぬんとかではなく、いかに純粋に自分が望んでいるかが重要です。

この場合、根拠は要りません。
実力とか自信があるとか無いとかではありません。
希望で良いのです。
希望は強ければ強いほど良いです。
まずはそれが最初です。

強力な希望こそが、強力な駆動力になるのです。

すると、あら不思議
立ち位置が決まると、自ずと必要なことが見えてきます。
もっともこの場合も、モチベーションの高さによるとは思いますが。

そう
求めよ、さらば与えられん
です。

強く求めもせずに、小さいことをチマチマ集めても、それが魅力的な何かを形づくったりすることはありません。
ビックリするくらいありません。
ホントですよ。

環境の威力 ひっくり返すにはチャレンジが必要

コミュニケーション力の問題
その根底にあるのは、こんなものだったりします。

失敗したくないから
傷付きたくないから
損したくないから

もちろん
上手にできないので恥ずかしいから

なので、できればやりたくない

つまり
ノートライ・ノーエラーの価値観がさらに根底にある
多分これは間違い無いでしょう。

コミュニケーション力は、その一端として現れているだけ。

これは今に始まったことではありません。
昔からあった。
そして日本に限ったことでもない。
どこにでもある。
程度問題だけど。

失敗は「損失」であり、「悪」であるとする価値観

そんなのは昔からあったのだけど、徐々に強化されてきたのでしょう。
問題として噴出するのは、何かにとって耐えられない状態になってきたから。

小さな子供だって失敗すれば恥ずかしそうにするけど、そんなのは大したことなくて、放っておけばいくらでも恥ずかしいことをします。

彼らはそういった経験から学んでいくのだけど、放置はいけません。
道徳観念とか、マインドとかスピリットなどは環境から学んでいきます。
その環境を作るのは年長者です。

その年長者の行動の動機が恐れだったとしたら…
何かしらの罪悪感とか、景気の低迷とか…それはもう色々あるでしょうけど
だとしたら、若年者に対しては「失敗しないように」導こうとするでしょう。

「失敗して欲しくない」という彼らの希望の押しつけ、というか、この場合は「願い」なのかもしれませんが、それが環境を形づくってきたなら、こういう状況になるのも仕方ないと思います。

なので、彼らに「何でそうなんだ!?」と彼らに問うても分からないでしょう。
実はその答えを知っているのは我々年長者だったりしませんか。

学習にしても、学歴や資格にしても、その先に望むのは成功では無く、失敗しないこと。

希望校に合格して欲しい、希望の会社に入社して欲しい
失敗せずに。
その価値観の刷り込みをしたのは環境であり、年長者でしょう。

しかし、夢は無い。
夢を追求すると失敗してしまうから。

そう、成功にたどり着くまでは、全て失敗だから。
最終的なゴールに対しては不十分な状態が続くなわけで、極論するとそれらは全て失敗です。

結果として、失敗はしたくないので、知識を身に付けて、学歴というチケットで入場できるところに入って、失敗しないように無難にやっていく…
こんな出来なりの未来にするしかなくなっているのでは?

しかし、成功に至る失敗を含むプロセスにこそ学びがあるわけで、うまくいくための知恵や工夫が生まれたり、成功するまで継続するために必要なメンタルタフネスが身に付いたりするのです。

というわけで、この問題は若年者のせいにするには的外れだけど、年長者のせいにしても自覚も無ければ責任も取れない。
皆で何とかしていくしかないと思います。

そう、皆でチャレンジするしかない。
夢に向かって。


恵まれてるから豊かじゃない…?

訳わかんないタイトルですね。

物質的に恵まれていて、不足を感じないなら想像力が豊かじゃなくなるかも、ってことです。
そう、お金の話じゃ無くて、想像力。

ものづくりでチャレンジするなら想像力が必要で、そういうお話しです。

ハングリーじゃ無いのはお腹が減っていないからです。
便利なものや楽しいもの、素敵なものがすでに身の回りにあって、その状態で満足していて不足を感じないなら、ハングリーじゃ無いのは当然です。

新しいものを作るときって
「こんなのあったらいいな」
からスタートします。

けど、そういう思いを持つ必要が無かったなら
つまり想像力が無ければ
「あれがあるといいな」
と、具体的な「もの」をベースに考えるでしょう。

具体的なものから発想をスタートするなら、概念的なところや、抽象的なレベルで「考える」経験はできない。

具体的なものの利用を考えるというのは、考えているようで考えていなくて、単なる「作業」になります。
まぁ、そういうのもアリで、必要だとは思います。
でも、創造的な活動をするなら、それはちょっと違う。

難しいな、と思うのは、満たされた心は幸せでしょう?
当たり前だけどハングリーな心は満たされていないわけで、それは幸福では無いってことになるのかな。

でも、そういう状態が理想であれば、不満足な状態が必要というわけで、では、満たされていない社会や環境が必要なのか?
それは極端かもしれないけど、ともあれチャレンジャーには満たされない心が必要。

満たされているか否かというのは、思いというか、考え方がによって決まります。
よく知られた表現では…

コップに半分入った水を見て
「半分しか入っていない」
と思うか
「半分も入っている」
と思うか

聞いたことがあるでしょう?
ただそれもゴールありきでしょうね。

おや、どんなゴールをセットするかが考え方に関わってくるとなると、それは想像力によるわけで…
むむ、振り出しに戻っちゃいますね。
さて、どうしたものやら。