何事にも結果を出すには動機が重要です。
が、裏を返せば、動機が不十分では結果は出せないということでもあります。
「失われたウン十年」とか言われる我が国ですが、これを政治とかのせいにするのは簡単ですが、我々自身はどうでしょう?
我々自身にも原因があるとか、そういった責任の所在について言っているわけではありません。
責任を追及したところであまり意味は無いと思うから。
現状の環境の中で、我々自身はどういう状態になっているでしょうか?
もし、特に日常生活に困窮しているわけでも、不便を感じているわけでも無くて、変化に対する欲求が無ければ、現状を変える動機は発生しない。
「このままではイカン!」
「こうしたい!」
という感情が無ければ動機なんて必要無いわけで、現状に甘んじて、ぬるま湯に浸かっていれば、そのままでいたいのは当然かもしれない。
いわゆる「茹でガエル」状態ですね。
もっとも、自身がそういう状態にあるなら、ぬるま湯に浸かって自覚は無かったりするだろうけど。
で、ですね
先日のFormula SAE オーストラリア遠征ですが、何度も言っているように、我がチームにとっては再起を賭けた参戦でした。
準備は不十分でした。
これは、その大会に相応しい準備に対する動機が十分に無かったから。
「このままではイカン!」
「こうしたい!」
という気持ちが十分では無かったから、そうなったのは間違いないでしょう。
つまり、本番の環境に対する想像ができなかったからでもあります。
動機が十分で無ければ、参戦する意味とか価値が無いかというと、実はそうでも無かったりします。
自分達が本当に望むものがそこにある
どうしてもそれを手に入れたい
と本気で思わないと、何をやってもうまくいかないものです。
なので、ダメを承知で参戦しました。
これは賭けでもありました。
オーストラリア大会は、小規模ながら粒が揃ったレベルの高い大会です。
そこに身を置いて
「ダメだこりゃ」
となって萎むのか
「ここに欲しいものがある!」
となるのか
そういう賭けです。
これでダメなら、もうやめちゃうしかないな
と思っていました。
いや、やめるかどうかを決めるのは彼らなので、アドバイザーである私の場合は、「もう付き合ってられない」というところでした。
結果、彼らは危機意識と願望を手に入れてくれたのでした。
なので、危機的状況もまんざら悪くない。
というか、むしろ茹でガエル状態には、そういった刺激が必要なのです。
