教育のゴールは何だ?

今日はちょっと現状を整理してみたくて、こんなネタにしました。

教育は何のためにあるのか
何を教育のゴールと定めるか

それによって、どうすべきかが明確になります。
ただ、これは一概に言えない多面性があるのが難しいところでしょう。
今回も誤解を恐れずにバリバリ私感で行ってみましょう。

教育に関わるのは…

  • 社会
  • 当事者である学生
  • 大学

こんなもんでいいかな。4者ですね。
そして、現状はうまくいっておらず齟齬がある感じ。
どうも4者とも満足いく状態にはなっていない。ですね?

よし、では次。
それぞれの求めているものは何でしょう。

1. 社会が学生に求めているもの

社会(特に企業)は、適応力・協調性・創造性といった即戦力となりえる実践的で汎用的なスキルを強く求めています。
就活市場では「コミュニケーション能力」「主体性」「困難への耐性」などが求められていたり、いわゆる「人間力」が問われていたりしますが、それらは抽象的で数値化して測ることが困難です。
そういった資質を持つ者は教室の中だけでは育ちにくい。
社会は「自分で考えて動ける人材」を欲しています。

2. 大学が必要だと感じていること

一方で大学(特に教員)は、「知的探究」や「理論的思考力」、あるいは「専門的知識の体系的習得」を重視します。
大学は本来、学生が自ら問いを立て、方法を模索して、失敗を通じて学ぶことに価値を置くべきではないかと思う。
しかし、実際は「正解を出す訓練」が主流であり、言われたことができる人材を育成し、「内発的な動機を育てる」仕掛けが弱い。

3. 学生自身の現状と目指すところ

現実には多くの学生が「何をしたいかがわからない」状態ではないだろうか。
社会の要請と大学の理念の狭間で、自分の軸を見失っている。
その一方で、「もっと意味のあることをしたい」という思いを持ちながらも、それに確信を持てず、内発的動機が芽生える前に、「やらされ感」で疲弊してしまうケースも多く見受けられる。
そりゃ、目的意識を持たないまま高い負荷刺さらされ続けたら、そうなるでしょう。

4. 親が子供に求めること

親世代は、多くの場合「安定」や「社会的地位」「経済的自立」を求めるでしょう。
これは当然の願いだと思う。
それが「良い大学に入り、良い会社に就職する」という古典的モデルに偏ってしまうと、子どもの「挑戦」や「逸脱」への欲求が抑圧される。
特に不確実性の高い道、つまりリスクは敬遠されがち。
リスクを伴うチャレンジをせずに高い価値を生み出すという、極めて高度な要求が結実している気がします。

と、こんな感じですかね。
現状の課題としては、「三方良し」ならぬ、「四方良し」を実現すること。
じゃないと先に進めない。

同時に全てのニーズを満たすのは無理なので、そもそも論で行きましょう。

そもそも学校で学ぶのは何のため?
仕事をするためです。

であれば、学校は社会のニーズに応えるべきです。
応えられなければ、学生本人はハッピーになれないでしょう。
役に立たないってことですから。
その時々の流行を追うのは論外としても、恒久的に求められるものはあるわけで、そこがポイントです。

ということで、1と2の関係はこれで解決。
具体的に何が必要かは長くなりそうなので、ここでは省略しましょう。

残るは2~4の関係です。
これは難しい。

親は子に、リスクを冒さないこと、言われたことができるようになることを求めるでしょう。

学校もリスクを冒したくありませんし、先生は学生に言われたことをやって欲しいと思う。

学生自身はリスクを抑制された環境で育ってきたので、習慣としてリスクを回避する。

リスクリスク言いましたが、社会が求める
「コミュニケーション能力」
「主体性」
「困難への耐性」
「人間力」
これらは、実際の行動の中で、チャレンジしながら獲得するものです。
チャレンジということは、うまくいく保証が無い中で、失敗しながら模索する必要があるわけです。
つまりリスクを回避する行動では獲得できないものばかりなのですね。

教育システムは今やビジネスなので、「金払ってんだからリスク無しで何とかしろ」みたいなニーズがあるのかもしれませんが、こればかりはどうしようもありません。
あ、別に日頃そういうことを言われている訳ではありませんよ。
特に夢工房の学生達の親御さん達は、その辺のことは重々承知している、勇気と決断力と先見の明のある方々だと思っています。
ここで言っているのは一般論です。

さて、この難しい関係を解決するには、やはり夢工房のようなチャレンジをする学生達が世に出て活躍して、有効性を証明するほかないのではないかと思います。
それはもう、長い長い道のりです。

幸いにも、卒業生達が活躍してくれているのが救いなのですが…
開発の仕事って機密の世界なので、やっていることを口外できないのですよね!!
参っちゃうな、こりゃ。

そういう状況です。

あれ、何か脱線しましたかね?

ゴール設定の重要性

何をゴールとしてセットするか?
それはとても重要なことです。

なぜって、今この瞬間からやることはゴールによって決まるから。
行動の駆動力となるモチベーションのレベルも同様にゴールによって決まります。

ゴールの設定によって、今後の多くのことが決定されるから重要なのです。

当然ながら、ゴールの設定は自分ですること
これは絶対条件です。
仮に他から課されたものであっても、自分で消化して腹落ちしておく必要があります。
そうして「自分のもの」にしておく。
そうしないと能動的には動けませんし、モチベーションも上がらないから。

そして、ゴールの設定位置も大事です。

マイナスをゼロにするようなことをゴールにしないこと
です。

だって、結果が「ゼロ」ではワクワクしないでしょう?
やる気が起きるゴールが必要なのです。

よく
「ダメなところを直してから、上を狙う」
のような考え方をしがちですが、あまりお勧めできません。

だって、ワクワクしないから。
それに、そんなことに時間を使うのは惜しいから。

ダメなところを直して普通になる暇があったら
得意なことを伸ばして、ダメなところが問題にならない状態にしたら良いです。
時間は最も貴重なリソースですから。

そして、もう一つあります。
狙ったところの少し下に着地するケースが多いから
です。

ゼロを狙うと、大抵の場合の結果はマイナスです。

なので、マイナスをゼロにしてからプラスを狙うのではなく、一気にプラス側に振り切れたゴール設定をお勧めします。

例えば学生生活なら
会社に入るまで
をゴールにセットするのではなく
どういう仕事ができる人になりたいか
どんな成果が欲しいか
をゴールにセットすべきです。

それが決まったら、何をどうすべきかというのは自ずと決まるでしょう。

想像・創造 そもそもの話

私の周りには、エンジニア志望の学生達が沢山います。

エンジニアとは言っても色々あるわけですが、クルマやバイクをはじめとする製品の開発者ということであれば、必要な資質はある程度明確です。

知識やスキル、それはもちろん重要です。
技術屋さん志望ですから。

製品の開発者といっても色々な人が必要なのですけど、基本的には新しいものを作る人であって、競争力がある製品を作る人です。

競合製品に対して何かしらの優位性が無いとお客さんは喜んでくれないでしょう。
レーシングカーを作るのであれば、ライバルに対して優勢が無いクルマは商品性がありません。
もっと簡単なところで言うと、「違い」を作ることが重要です。

で、ですよ。
違いを生み出すのは、作る人です。
当然ですが。
違いを生み出したいと思わない限り、違いは生まれません。

しかし、そのための想像力、創造力の源となる、マインドというかスピリットというか、そういうものはどうやって育むべきなのでしょう?

そりゃぁ、日頃からそういうことを考えて工夫する環境に浸かっていなければ無理でしょう。
「会社に入ったら」
と思うかもしれませんが、こういう基本的な考え方というか、価値観というか、そういうものは若い頃に身に付けるからモノになるわけで、年取っちゃうと難しくなります。

それに皮肉なことに、良い会社に入るために誰かに言われた資格やら学歴やら、皆が同じようなモノを持っていると、入社試験の面接担当は
「あぁ、この彼も同じことを言ってるなぁ」
と感じるのですよね。

学生達は、言われたことをやって、合格点のような何かしらのボーダーを超えれば合格すると思っているかもしれませんが、忘れちゃいけないのは、ヨソと違った事をやるのが開発業務のミッションとなるということです。

我が国の教育システムには、そういう違いを生む心を育む仕組みが無いように思います。
逆に、違いを許容しない仕組みばかりで構成されている。

そりゃ、社会に出たら困惑するし、難しいことになるでしょう。

これは個々の学生にとっても問題でしょうし、社会の問題でもあると思います。
そもそも、同じことをする者が集まった群れが進む方向に困難が待ち構えていたらどうなるのでしょう。

というわけで、真面目にお勉強するのはもちろん大事なのですが、それは一体何のためなのだ?というところを意識して、想像力、創造力を使って独創性とかチャレンジ精神を育む必要があるのは間違いないわけです。
今後、実用的なAIが台頭してくるのですからなおさらです。