「真面目」の話

真面目な人ってどんな人?

言われたことをちゃんとやる人
ですか?

学校ならそう言われることが多いですね。
管理する側からしたら都合が良いから。

「リアクションの人」ですね。

リアクションの人を動かすには
一人以上の「アクションの人」が必要です。

さらに、リアクションによって何かをやって
うまくいったように見えても
アクション側の想像通り
…になることは稀で
大抵は期待以下になりますね。

まぁ、仮に想像通りになったとしても
「要求を満たした」
というだけのことです。

それによって生まれる感情は
「安心」ですかね。

それが別に悪いことではないと思いますし
そういう人がいても
もちろんいいのですけど
面白くはないですね。

この「真面目な人」の定義は
ステレオタイプ化しちゃってるというか
まぁそんなことより
これからどうすべきかが問題です。

生産人口が減少していくわけですから
単純に生産性を上げようとかいう話になるのは理解できます。
でもこれ、発展途上国の大量生産
みたいにはいきませんよね。
人件費を考えたら
そういうやり方じゃどうにもならないことは明白。

残る手段はなんだろう?

付加価値を大きくして利益率の向上かな。

細かいところは専門家ではないので良く分かりませんが
何かしらの工夫が必要で
その工夫の大きさとか量を向上する必要はありそうです。

それを少ない人数でやる必要がある
ってことになるのでしょうね。

これ、外力でなんとか
というわけにはいきませんよ。
奴隷労働じゃ工夫なんて難しいでしょう。
内的な動機で動かないと
アイデアなんて出ませんしね。

というわけで
これからのご時世に求められる
真面目さ
というのは変わっていかないと
どん詰まりになりますね。

社会も本人も。

なので、まだ多少の余裕がある今のうちに
心が発動してデッカイ事をやるような経験を
若い連中にさせておくのが重要なのではないかな
と思う今日この頃。

ものづくりはひとづくりなのですよ 本当に

授業で製図を教えたりしているのですが
常々思うことがあります。

描き方だけ教えたって片手落ちだよなぁ
と。

授業では描き方だけでなく
強度の計算などもやりますが
それでも片手落ちと言わざるを得ません。

なぜかというと

図面はものを作るためにあります。
なので、ものを作ってみないことには
どんな図面が良いのか
なんてことは分からないからです。

「良い図面」の定義を並べてみようなんて思ったら
色々出てきちゃって大変なので省略しますが

図面はなぜあるかというと
自分以外の誰かに
それを作ってもらうためです。
(そうでない場合もありますが
大抵はそのためです)

多くの場合
設計者は設計だけ
図面を描く人は描くだけ
作る人は作るだけ
となったりします。
設計と作図の両方をやる場合も多いですが。

でも、設計者、作図者がものを作ったことがあれば
それはもう間違いなく
良い設計ができて図面を描けます。

だって作ってもらうために
設計したり作図したりするのですから
どう作るかを知らなければ
良い設計、良い図面にはなりません。

製作者は
どういうふうに図面を見るか
どの寸法、形状を重視するか
どういう手順で作るか

指定した材料を
どのように加工するのか
加工すると何が起きるのか

そういうのは知識面だけでカバーすることが多いと思いますが
実際に手を動かして作った経験があれば
格段に良い情報(設計情報や図面)が作れるのです。

ものを作る経験が十分でない人が描いた図面は
ひどいものもありますからね。

「どうやって作るんだよ、それ」
そんなことが往々にして起こります。

結局、図面は他人のために描くものですが
授業では、その視点が手に入らないのです。

ついでに言えば
作ってもらう相手
使ってもらう相手
に対する気持ちや心の問題でもあって
そういうのが図面に現れるべきです。

だから、ものづくりって大事なのです。

そういう大事な経験を存続するために
夢工房は頑張っている
というのもあるのです。

技術者が良心を捨てたら終わりです。

技術は人なり

動機の入れ替えでうまくいくよ

人の行動は
動機が
内的なもの
外的なもの
大抵はその2つのいずれかです。

内的な動機は
自分で決めてやっていること

外的な動機は
他からの指示などでやらされていること

日々の行動の中で
それらの割合はどうでしょうか?

あまり考えたことがない?
まぁそうでしょう。
こんなこと書いてる私自身分かりませんから。
カウントすれば明らかになるでしょうけど。

ここでは単純に
内的とか外的
なんて二分しちゃってますが
掘り下げていくと
そんなに簡単に二分なんて
できないことも分かると思います。

でも、ここでは直感的に
どう思うか
というレベルで話を進めましょう。

我々が日々やっていることがうまくいけば
楽しかったり気持ちよかったりするのでしょうけど

どちらがうまくいきそうか
と言えば

もちろん
内的な動機の方がうまくいきやすいでしょうね。

好きなことをやっているのであれば
簡単に諦められなかったりするので
うまくいくまでやる
ということも多いでしょうし。

外的な動機の場合は
その裏に常に

「できればやりたくない」

があるので成果が出しにくいのは当然です。

とはいえ
会社で仕事をしてたりする場合
大抵の仕事はアサインされたものなわけで
まぁ、業務命令で
言ってみれば「やらされている」わけですよ。

じゃぁ、そういうのは総じてうまくいかないのか?
というと決してそんなことは無くて

うまくいかせるための方法があるのですよ。
あくまでもマインドとかメンタルとかの話ですが。

仕事をしている人なら当然だとは思いますが
仕事を楽しむことです。

自分に与えられた仕事は自分のものだ
という意識を持てば
結構楽しめると思います。

外的な動機を内的な動機にひっくり返すのです。

「これは自分に与えられたのだから自分のものだ
(自分の裁量の範囲で)自由にやらせてもらうぜ!」
という感覚が大事だと思います。

そうならないと
アイデアなんか出ないし
そもそも頑張れません。

でも、だからといって
勝手に仕事のゴールやタイムラインを変えちゃうのは論外ですけどね。
そういうのは仕事の私物化で
そもそも仕事の価値が無くなっちゃう。

とはいえ
そういう感覚を全ての人が持てるわけではないでしょうけどね。

強固に
「仕事は言われたことを我慢してやるものだ」
という意識が根付いちゃっていると
難しいと思います。

学生時代は
多くがそんなふうに思っているのではないか
と思いますが
そういう意識を変えるチャンスでもあります。
というか、学生時代に変えておけば
結構楽しく仕事ができるはずです。

なので
今のうちに好きなことを一所懸命やってみな
と思うのです。
その中には楽しいことも苦しいこともあるはずで
一通りやれば
きっと何か分がかるから。