相手の何を見るか

学生がレーシンカーを作ったり、惑星探査機を作ったり
そんな活動をしていると
良いものができたりできなかったり
色々あるわけですが、過去の事例を振り返ってみると
学力とか知識とか、あまり関係ないのです。

やる気が全てを支配していると言って良いと思います。

知識がなくても経験がなくても
やる気があれば手に入れてしまいますから。

なので当然ながら、学生のやる気を向上させるには
一体どうしたらいいのだろう?
なんていうことをしょっちゅう考えることになるわけで

今日は
相手の、自分の何に着目するか
これは大事だな
と改めて思ったりしていました。
当たり前のことなのですが、ついつい忘れがちなことでもあります。

何かをやったあとの評価内容は
次のアクションに大きく影響します。
その評価内容は、着目点によって決まるわけなので
「相手の何を見るか」はとても重要。

ダメなところ、ネガティブなところに着目して
それを元にした情報発信やコミュニケーションをしたら
できる気はしないし、やる気は起きませんから。

結局のところ
ダメ出しをベースとしたコミュニケーションでは
相手の不安感を煽って行動を促そうとしているわけで
そういうやり方ではパフォーマンスを発揮できません。

言い訳っぽくなりますが
技術やものづくりにおいては結果が目に見えるので
ダメなものはダメだとかりやすくて
ついついダメ出しベースになってしまいがちで
非常に難しいところでもあります。

これは日々反省して、改善の努力・工夫をする必要があるな
と思っています。

考えてみれば、何か世の中そんなのばかりになっている気がしなくもない。
他人のせい、環境のせいにはしたくないけど
何か世知辛い世の中になっているな、と。

何を見るかは、自分の価値観によって決まるわけですが
その価値観は、今まで生きてきた環境の影響もあるだろうけど
今、どういう思いを持って、何を考えているかで決まる。

最近では、世の中がザワザワして落ち着かない雰囲気ですが
その環境に負けない心が大事なのでしょうね。
頑張らないとな。

どうしようもないとき

ダメな時は何をやってもダメ
そんなときにどうするかが重要。

ダメな時に何もしなければ
そのままになる。

だから
できるだけやってみる
そういう姿勢はとても大事。

それでうまくいくかもしれないけど
やっぱりうまくいかなかったりもする。

そんなチャレンジを経験することは
とても大事。

ダメな時はダメなんだ
そんなことを知るのも重要。

その時にやったこと
その時に知ったことは
きっといつか役に立つから。

今の自分がうまくいかないのであれば
何かを変える必要がある。

でも
何かを変えて「やって」みても
どうにもならないこともある。

冬がなければ春はやってこない。
春の前は冬でなければならないのだ。

そういうことでしょう。

「やる」というのはアウトプットで
これがうまくいかないのであれば
やり方を変えよう。

インプットを中心にしてみよう。
とにかく色々と受け入れよう。

どのように何をインプットするのが良いのかは
人それぞれかもしれないけど
本を読むのは良いと思う。
文字だけのシンプルなメディアは
想像力を鍛えてくれるから。

本を読んで他人の経験を自らのものにして
それを蓄えれば
視野を広げて思考の幅を広げるチャンスになる。

いずれ来る春のために
ダメな時はある。

何もせずに時を待ってしまったら
いずれ来る”その時”は平坦化してしまう。

その時が来てから準備はできない
なので、先に蓄えておく冬の時期が必要。

芽が出る前の種子の中では
花が咲く前のつぼみの中では
蝶になる前のさなぎの中では
決して何も起きていないわけではない。

自然の摂理

頑張って努力して成長して
それがずっと上り調子で続いていけば良いのでしょうけど
決してそんなことは無いですね。

上がったり下がったり
調子が良いときもあれば悪いときもある。

良いときは何をやってもうまく行く気がしたり
悪いときは何をやってもうまくいきそうもなかったり。

植物が季節の移り変わりに伴って
種子から芽が出て花が咲いて実がなって葉が落ちて
そんなサイクルを繰り返しながら成長して
いつかは終わりを迎えるように

人にも成長のサイクルがあって
芽が出て花が咲いて実がなって葉が落ちて
それに該当するようなことを繰り返しながら成長して
いずれは終わる。

人によって多少の違いはあれども
たぶんそのサイクルは絶対的なものでしょう。

「葉」が落ちたというのに
「実」を求めても無理なように
今の立ち位置に不相応なものを求めても
そりゃぁうまくいきません。

そう考えると
バイオリズムなんてのは
かなり当たり前なんですね。

ちなみにバイオリズムは
20世紀初頭にオーストリアの生物学者によって提唱されたもの
とChatGPTが言っています。

バイオリズム
生きとし生けるものの持つ周期ですね。
なるほど、納得。
植物だって動物だって
周期に従って生きています。
我々人間だって同じでしょう。

でも、ひょっとして
人はそのサイクルに抗うことによって
文明の発達を手に入れたのかもしれませんね。

今の自分がサイクルのどこにいるのかが分かれば
何をすべきかが分かるわけで
それに適したアクションを取っていれば
とても自然で、そこそこうまくいくでしょう。

でも、個々の力でできることには限りがあるわけです。

それを「社会」という集団の力で
ブレークスルーすることを決めた人間の場合は
周囲の環境(社会)が
個々の持つサイクルに従うことを許さなかったりするわけで。

でも、その環境があるからこそ
一人では為し得ないことができる
というトレードオフが効いています。

だから代償として
今の自分が成長のサイクルのどこにいて
何をすべきかが分からなくなってしまって
悩み苦しむのかもしれません。

そんな気がしています。

こういう考え方
自然信仰との親和性が高い日本人なら理解しやすいと思いますが
どうでしょうか。