ハテナを付けよう

大した経験も無い学生が
色々できるようになる過程を見ていると
気付くことがあります。

大学に入ったばかりの学生は
まるっきり消費者のマインドです。
当たり前ですが。

目にしたもの
感じた事は
その場で完結します。

「美味しいな」
「カッコいいな」
「楽しいな」

そんなふうに心が動いたら
それでおしまい。

消費者にはハテナは要りません。
受け止めて消費するのが役割だから
それで良いのです。

でも、そこから先に行くには
つまり
自分が作って供給する側に回るためには
ハテナ
が必要です。

「凄いな」

と思ったら

「何が?」
「なぜ?」

それが

「どうしたらいいのだろう?」

「やってみよう!」

に繋がるといいですね。

こんなプロセスを回せるのなら
自分で学べるし、色々できるようになります。

その過程で
感じた事、思ったことをアウトプットして
それをチームで磨いていけたらいいですね。

念のため言っておきますが
ただ感じるだけ
思っているだけ
知っているだけ
では、何も起きませんし
それが良いか悪いかすら分かりません。

でも、いつかそのうち…?

そんな時は来ません。

今ですよ。

ちっちゃいこととでっかいこと

レーシングカーをつくるとして
まずは、どんなクルマにしたいのか
というところからスタートするわけですが
いざやるとなると
どうにも小さいところから見ていくという
そんな癖が付いていたりすることが多いのです。

これは個人の志向なのでしょうけど
環境による影響で
そんなアプローチの仕方が癖になっちゃってるわけです。

それについては
考え方が逆シリーズで何度もネタにしているのですが
今回は、そういうアプローチではうまくいかないどころか
モチベーションが低下しちゃうよね
というお話しです。

まぁ、全然難しい話でも何でもないのですが
細かい小さいところからスタートしたり
小さい領域ばかりやっていたりすると
やる気が起きないのです。

何ででしょう?

それは、全体が見えなくて面白くないからです。
そんな面白くないことは一所懸命できないのです。

学校の授業も同じじゃないですか?

ナントカの公式とか定理とか
歴史の年号とか
そういうのが何の役に立つのか
ビジョンが見えないのです。

そういうのを一所懸命やって
できるようになれ!
なんて、無茶な話だと思うのですよ。

むしろそういうアプローチで
できちゃってる人は凄いですね。
理由がなくてもできちゃう人。

というか、アレか。
そういうやり方でできちゃってる人が
先生になっているケースが多いのかな?


「何でお前らできないんだ!?」
ということ?

いやいや、何でもなにも
そりゃあなたが特殊なんですよ。
という話じゃないですか?

自分が関わっている部分とか部品とか
それを形にするタスクに対してベストを尽くせるのは
最終形態のマシンがどうなるか
というビジョンがあってこそなのです。

学校のお勉強だって
それが何の役に立つのか?
最終的にどうなるのか?
そういうビジョンが自分の価値観と合致すれば
学生達は教員がビックリするような成果を挙げます。
これは何度も目撃しているので間違いない。

でも、よーく思い起こしてみると
そういう学生を評価してくれる先生って
もの凄く少なかったなぁ。

自分の価値観と相容れないのだから当然か。

私はそういうの大好きなんですけどね。
面白そうだしカッコイイもんね。

というわけで
遠慮なく、でっかいところを考えてていきましょう。
そうすれば、ちっちゃいところもうまくいきますよ。

まずは小さいことからコツコツ…
なんてのは、大抵うまくいかないのです。

かといって
でっかいことが、いきなりうまくいくわけも無い。

なので、こうしましょう。

  • まずはデッカイ夢を見てやってみる
  • 大抵うまくいかないし
    行き詰まったり迷走したりする
  • 何が足りないか考える
  • 分かった小さいことをやる

どうでしょう。

AIの台頭に伴って求められること

AIによって欲しい答えがすぐに見つかるようになる
というか、なった。

しかし、問題は「問い」だ。
「問い」は「何かのため」にある。

欲しい答えがあるのか?
何のために何がしたいのか?

つまり「問い」は、ゴール達成のためにある。
それが設定できるかどうかが重要。

これができるかどうかがAIをツールとして使えるか否かを決める。

学校教育では常に「問い」は用意されていて
自分で設定する必要はない。
常に外部から「問われる」。

何が分からないか分からない
それではAIを使えない。
何も起きない。
試しにChatGPTに向き合ってみたらいい。

エンジニアリングに限らず
大抵の仕事は様々な要素の集合体で
細かいところはAIに任せたらいいのだけど
ゴールを設定して全体を俯瞰できる能力が必要になる。
つまりジェネラリストが必要ということ。

学びが「専門化」している現在
多くが細かいことばかりやっているけど
それを大局的に見てまとめる能力がが必要。

必ずしも全員がジェネラリストである必要はないけれど
小さいところばかり見てしまう
細かいところばかり考えてしまう
これは知識などではなく価値観の問題で心の問題。
自分がそうしたくてそうしているのだから。

そのへんをどうするかが今後重要になる。
というか、もうすでに問題になっていると思う。

現状に疑問を持たずに
デッカイ事を考える面白さや
自分で決めてやっていく面白さを経験できずに
夢が無ければゴールを設定できないのは当然のこと。