成長の効率の話

効率的な仕事法とか
知識やノウハウの蓄積とか
個人的な工夫をする
そういうのはもちろん大事です。

でも、自分のことばかり考えていても
うまくいかないのですよね。

仕事って内的なことではないから。

相手がいるし
大抵は仲間とチームでやっていたりもする。

でも以外と忘れがちです。

我々教員だって同じことで
学生を相手にしているのに
油断してると
「こうすりゃいいだろ」
みたいな独りよがりなことを
やってしまいがちではないかな
と思っています。

さてさて
日頃、学生のチームの面倒を見ていて
どうやったらチームのレベルを上げられるか
というのが課題なのですが
常々言っているように
直接相手の心はいじれません。
まして、チーム全員の心なんて無理です。

でも、相手の気付きを促すきっかけ
くらいはは作れるわけで
以下は自分自身へのリマインドです。

チームでは
メンバー各人のマインドのレベルを上げる必要がある。
そうしないと、そもそも高いレベルの仕事をしよう
なんて思いません。

これ、知識とかスキルのレベルは関係ありません。

でも、すぐに何とかなるものではありません。
個人差もあるし。

なので、何度も何度も
きっかけを作って提示する必要があって
時として想像以上の時間がかかったりするけど
それは仕方ない。
諦めたらそれでお終い。

あと、一所懸命やっているようでも
「何のために」が抜けていることや
ついつい「自分のため」に
効率の良いやり方をしようとしていることがある
これも注意。

効率が良くて何が悪いんだ?
とお思いかもしれませんが
自分のための効率向上なんて
大抵はろくでもないことです。

なぜって
自分が楽するためだから。

でも本人は
そうは思っていないことが多いものです。

ありがちなのは
ものごとを考える初期段階で
考えを広げないこと。

アイデアなんてのは、初期段階に沢山出して
その中から最適なものを選択すべきなのに
最初から「正解」を探そうとしたりします。

その結果
そもそも方向性がおかしいとか
正解が出なくて時間を浪費するとか
そんなことになります。

これって、根底にあるのは
自分が楽するための考え方です。
最低限の手間で要求をクリアするための。

なので、仮にうまくいっても最低限の成果です。

本人には全く悪意はありません。
それどころか、ちゃんとやってると思ってます。

学校の教育なんて
課された課題をクリアすれば良いのだから
そうなっちゃうのは仕方ない。
習慣の結果です。

もちろん本人は
なんでそういう行動を取っちゃうのか
分からなかったりします。
習慣なんてそんなもんです。

なのでそこに「きっかけ」が必要なのですね。
気付くための。
「こんなふうになっちゃってるよ」と。

習慣は、そう簡単には変わらなかったりしますので
何度も何度もきっかけを作る。

繰り返すにも限度があるけど
簡単に諦めるわけにはいきません。

ただし、「何度も何度も」の間には
本人のアクションとかトライが入るわけで
もちろんそこでは失敗します。
その結果のフィードバックが「きっかけ」です。

「こうやればいいよ」
という直接的な答えを渡すわけではないので
効率は悪いかもしれないけど
人の成長は、持っている形式的な知識量と
イコールではないから仕方ない。

この辺を勘違いすると
成長の効率を求めているつもりが
逆の結果になる。

「直接的な答えを渡す」というのは
「考えなくていいよ」
「やらなくていいよ」
というのとイコールだから
肝心なところを考えられない、できない
ということになる。

こんなことを考えたりやったりしていると
学生本人と向き合っているようで
実は、学生を通して
その習慣を形作った相手と戦っているような
そんな気持ちにすらなります。
実際そうなのかもしれませんが。

すぐやるヤツが最強

色々学生を見てきましたが
やはり、すぐやるヤツが最強ですね。

どんなに頭が良くたって
どんなに良い子だって
すぐやらないヤツは残念な結果に終わります。

やるヤツって、依存性が少ない。
だって、自分でやるんだから当然です。

すぐやるヤツの価値観は
失敗を恐れる心より
圧倒的に
欲しいものを求める心が強いのです。
「自分」が「やりたい」のです。

なので、やるかやらないか
という選択ではなく
どうやったらできるか
という思考が働く。

その違いは大きいです。

で、すぐやらないヤツは何してるかというと
「後でやろう」
って思うんですよ。大抵は。

日々色々起きる中で
「後でやろう」
が沢山発生して
それは未来に送られるのですが
いずれやらなきゃいけない時が来る。

そこで膨大な
「後でやろう」
に向き合うことになります。

しかも大抵は
凄く忙しくてどうにもならないときとか
何かが起きたときとか
最悪のタイミングにです。

で、いわゆる究極の選択
をせざるを得なくなります。
どれも選びたくないけど
どれかを選ばざるを得ない
そんなヤツです。

この「後でやろう」は
本人は「やらない」に分類しているつもりは無くて
むしろ「やる」の仲間だと思っているでしょうけど
結局はできなくなっちゃうはずなので
「やらない」や「できない」と同義です。

なんでこんなことを記事にしたかというと
もちろん自分の経験から大事だと思ったからです。

学生に限らず、色々と先送りにしてしまうのは良くある話ですが
好きなことを先送りにするのは救いようが無いです。
大抵は、とてもつまらないことになっちゃいますから。
とはいえ、仕方ないこともありますけどね。

そんなことを考えていると
好きなことをすぐにできる夢工房の連中は良いよなぁ
なんて思ったのです。

好きなことを躊躇無くすぐやると
もちろんうまくいかないこともあるでしょう。
でも、成長のスピードは凄いことになります。
恐らく本人は、そんなことを気にしている暇もないでしょうけどね。

想像力と創造力

存在しない未来のことを想像できるか?
世には存在するけど手元に無いものを想像できるか?
その違いは結構大きい。

前者は創造(クリエイション)に繋がるので
創造的な想像力とでも言ったらいいのか。
でも後者はそうではない。

これができるかできないかは
能力の問題なのか
時勢や世代の問題なのか

いずれにせよ
なぜ創造的な想像をしないのかというと
必要無いから
もしくは、そうしたくないか。
それに尽きるでしょう。

それを決めるのは自分です。
外部からは直接どうにもできない。

何かにチャレンジするとき
どうしたらいいか考えるのですが

その「考える」が
果たして創造なのか
それとも単なる創造なのか
その違いは大問題です。

チャレンジというのは
やったことがない未来について
思いを巡らせることなので
ありもしないことを脳内ででっち上げる
ようなことが必要です。
その、でっち上げた仮想のネタで
シミュレーションをする。
それが創造の根源でしょう。

対して、同じ「考える」でも
「正解探し」みたいな考え方をすると危険です。

だって、やったことがない未来について考えるのに
「正解」という過去の情報を探し始めたら出口はありません。

なので、いつになっても考え続けることになるでしょう。
結果として
時間切れで実際に「やる」経験を捨てざるを得ない。

果たして相手が「創造」しているのか
それとも「想像」してるのか
それを見分けられるのが
「人を見る目がある」
ということなのかもしれません。