何のために 2

大学で何のために
どんな風に学んでいるかというと
今も昔も多くは
ぶっちゃけ
単位を取得して卒業するためでしょう。
そのために我慢してる。

まぁ、それで卒業後は何とかなる
と思っているのだろうけど
そんなことはないのは
社会人の皆さんならご承知の通り。

まぁ、「何とかなる」ってどういうことだ?
ってのもありますけどね。

で、やはり思うのだけど
単位を取るために勉強する
というやり方がダメなんじゃないか、と。

だってね
単位が欲しい者は
何が欲しいかといったら
「単位」という数値ですよ。
本来、単位はその学問(知識)を修めた
という証拠みたいなものでしょう?
でも、欲しいのは知識本体じゃなくて数値なんですね。

別にその学問が特別好きじゃなくても
我慢して覚えたりして
その結果もらえる数値が欲しい。

「オレは違う!」
というキミは偉い。

で、数値としての単位を取るために勉強した人間が
卒業して社会に出たら
何のために仕事するのでしょう?

お金のためですよね。

価値を数値化したお金のために仕事します。
好きじゃない仕事でも我慢して
数値を得るために仕事します。

我慢しているのだから
発揮できるパフォーマンスにも
自ずと限界が来る。

で、言われたことを我慢してやる日々が続く。
得られる給料は、言ってみれば「我慢代」です。

我々は、みんな消費者なので
ちょっと考えれば分かりそうなものですが
ある商品を作るのに
嫌々お金のためにやっている人の姿が
透けて見える会社の製品を買いたいと思いますか?

「いや~、本当はこんなことやりたくないんだけど
金のために仕方なくやってんですよ~」

もっと露骨な表現をすると

「カネ下さいよ~」

といってる人に気持ちよく払えますか?
って話なんですが。

そんなのきれい事ですか?
そうかもしれませんが
対比すると良く分かるかもしれません。

例えば、技術を夢中で追求して
とにかく面白い製品を作りたい
とか。
そういうバックグラウンドとか
ヒストリーは
良く企業の宣伝に使われるでしょう?
そこに価値があるからです。

職人さんなんかだと分かりやすいんですが

「金とか理屈以前に
プロとして納得いく仕事をしたいんだ!」

って人がいます。
最近減ってるのかもしれませんけど
確実にいます。

そういう相手には気持ちよく代金を払いたくなるでしょう?
もちろん、そういう姿勢で仕事している人
大抵腕が良いですよ。

何でかというと
好きでやってるからです。

話を戻します。

なので、大学だって
好きなことを夢中でできるようなやり方ができると良いな
と思うのです。
そうしたら学生達のパフォーマンスは凄く伸びると思います。

嫌いなことを我慢してやることに価値があるんだ
みたいのは、ちょっと違うのではないかな。
そんなの、外部から見たら価値無いですよ。

失敗したり壁にぶつかったら逃げるってのとは
話が違うので誤解無きよう。

人生もやはりグルグル

学生諸君には
いつも元気でやって欲しい!

ですが、学生だろうが何だろうが
メンタルの状態が低下してしまうことはあります。

いつもバリバリで
アゲアゲな人は…
普通じゃないですね。
病気が、変な薬やってるか、宇宙人でしょう。

皆さんご存じのように
大抵は定期的に
というか周期的に
上がったり下がったりします。

人間だって生き物ですからね。
自然に同期するサイクルで生きてます。

もちろん、毎日上下していますし
年単位の大きなうねりもあります。

この上下は
いつも同じように変化するのではなく
時として大きく上がったり下がったり
そんなこともあります。

自分で気付かないような変動もあるけど
時として、どうしようもないくらい
調子が悪くなることもあります。

天中殺とか
厄年とか言うじゃないですか。

アレがそうです。

人間の持つリズムというか
サイクルを可視化したものですね。
バイオリズムとか算命学とか
色々ありますが
そもそもは統計から組んだデータベースだ
と、私はそう思っています。

そういうのをオカルトっぽいと拒絶する人もいますが
そう思いたければ思えば良いし
自分の生活に利用できそうならすれば良い。
そんなの自由ですから。

面白いもので、大きく調子が悪くなる時に対しては
固有の呼び名がありますけど
調子が良い時の呼び名はないですね。

まぁ、調子が良い時は放っておいても特に問題ありませんが
調子が悪い時は、それこそ死にたくなるほど調子悪くなって
何もかもがうまく行かない時がありますからね。
深刻な方を重視しているのでしょう。
色んな説がありますけどね。

さてさて、その深刻な落ち込みに
はまってしまった時にどうするか
これは問題です。

問題なのですが
実は答えは簡単で

「そのうち上がるから大丈夫」

なのです。

下がるだけ下がってしまったら
これはサイクルなのだから
いつかは必ず上がる。

でも、その渦中にいる本人は
そうは思えないかもしれません。
そんなもんです。

ただ、「もうダメなんだ」と思ってしまって
その思いに捕らわれてしまうと
マズイ方向に行くかもしれません。
自己暗示が掛かっちゃうこともあるでしょうね。

そうそう
なので、調子悪くなってしまった時は
「今はそういう時期なんだ」
と思って、その後に上昇する時のために
準備をすると良いでしょう。
どうせ無理に上向きにしようったって
無理な時は無理です。

ちなみに、絶好調の時はどうしましょう?

ぐんぐん上がり始めたら
イケイケで行っちゃっても良いのかもしれませんが
その後は必ず停滞して
その後は低下します。
これも自然の摂理なので逃れられない。

けど、行けるところまで行っておかないと
自分のベースのポテンシャルが上がりません。
つまり成長できない。
なので、そんな時は頑張りましょう。

ただ、上がりはじめにさしかかっていることを
自分でも気付かないことが多いので
このチャンスを逃してしまうことも多いですね。
イケイケの時期なのに
今まで通り普通に過ごしてしまうとか。

なのでやはり
こういうサイクルを理解しておくことは
大変重要なのだと思っているのです。

アクションとリアクション

学生諸君には
もっと自発性が欲しい!主体的になって欲しい!

そうですか。
そうですね。
でも、なに言っちゃってんですか?
と思わないこともない。

だって学校での生活って
リアクション中心だもの。

「教育」
って聞いてイメージするのは
「言われて」
「やる」
でしょう。
実際そういうシーンばかりですが。

まぁつまり
リアクション中心の生活
ってことですよね。

20年近くリアクションの訓練してるようなものです。

大学生になると
義務教育よりはだいぶマシになりますが
それでも基本は変わらないでしょう。

大学で突然
「自発的に!」
「主体的に!」
って、急に言われたって難しいですよね。

「なんだそれ?」
ってなもんでしょう。

こんなこと言ってる自分だって
学生のことはリアクション中心だったと思います。
そもそも大学で自発的に何かやるなんて
思い付かなかったかもしれない。

まして先生からそんなの求められた記憶も無い。
…あまりにテキトーな学生だったから??

そもそも、サーキットが学校みたいなものだったから
大学で自発性なんか発揮する必要なかったのかも。

何で今回こんなことを言ってるかというと
別に堅いことが言いたいわけではないんですよ。

リアクション中心だと
面白くならないよ!

自分からアクションしていけば
思い通りになることが増えるから
もっと面白くなるよ!

と言いたいのですね。
まぁそりゃ当然なのですが。

だって、リアクション中心ということは
相手の基準に合わせて行動する
ということになるのでしょう?
けど、その「相手の基準」って見えないので
うまくいかないことが多いし
どうしたら良いか分からなくて
ストレスたまるんですよ。

一方、アクション中心にするということは
最初に「思い」があるわけで
そのための行動を取れば
うまくいけば思いが遂げられるわけで
ストレスたまらないどころか
そりゃぁ楽しいでしょう。

もちろん、そうやって
うまくいかないことも多いと思いますが
そもそも人の行動なんて
半分以上は失敗ですよ。
だったらストレスたまらない方がいいじゃん!
と思うのです。