キミはどうする?

「どんな風に生きていくか」
なんて言ったら大げさかもしれないけど

多くの経験を積みながらチャレンジしていくのは
「自分はこうする」
を作っていくため。

「自分は…」ですよ。

「普通は」ではないし、ましてや正解不正解という話でもありません。

こういうの、何て呼んだら良いのでしょうね。
個人的な哲学みたいなものかな。

何かをやるときのプロセスの骨組みみたいなものかな。

いや、単に「考え方」で良いかもしれませんね。
行動の上流にあるものですから。

で、知識やスキルは実行・実現のための道具に過ぎないので、必要なら身に付ければ良い。

そんな風に考えています。

もし「自分はこうする」が無くて、「普通は」とか「正解は」といった考え方だけだとどうなるでしょう?

誰がやっても同じになるものを追求することになります。
全く面白くありませんね。
独自性とか競争力も無くて、その価値は最低限になります。

そう、常識的なものや正解を積み上げたところで、行き着く先はつまらなくて価値の無いものになったりするのです。

そんなことは普段考えないかもしれないけど、当然のことです。
普通な当たり前のものに価値を感じたり喜んだりする人はいない。

価値ある製品の開発をする人になりたいなら、この「自分はこうする」を作り上げる必要があるってことです。

これは、与えられた知識を頭に入れて、正解を積み上げていっても手に入りません。
チャレンジして多くを経験しながら、トライアンドエラーで作り上げていくものです。

さて、キミはどうする?

考えて、決めて、やる

考えて、決めて、やる
人のやることは、基本的にはこうですよね。

でも、便利な世の中では、あまり重視されていない気もしますがどうでしょうか?

あまり考えなくて済む
決める(決断)する必要が無い
あまりヘビーに「やる」必要は無い

でも、便利で快適ってそういうことですよね。
そういう負荷が低減されるのが「楽」ってことですから。
なので「夢が叶って良かったじゃん!」ってなことなのですが、当然ながら「何かが足りない」って感じもするのです。

まぁそりゃそうですよね。
楽ちんってことは、そこに自分の能力や労力とか個性を入れ込む余地は少なくなるわけですから、「誰でもいいじゃん」ってことになるわけで、それがメリットでもあるのです。

世の中には、そのメリットを享受することを追求する人がいる反面、その逆を行く人がいます。

開発の仕事をしたいなんてのは、当然ながら「逆をいく人」であって、便利とか快適とか、価値を作って供給する側の人です。

で、気になるのは、学校での「言われて」「やる」では、社会に出てから必要な、「考えて、決めて、やる」に繋がっていかないのではないかな、ってところです。

だって、「考える」と言ったところで、教科書ベースの理論とか公式とか、すでにやり方が明確化された過去の情報に沿って「やる」わけで、それは考えると言うよりも「作業」に近いのではないかな、と思う。

そしてもちろん何かを自発的に決めているわけではなく、すでにやることは決められていて、「やる」と言っても、それは自発的にやっているわけでも無い。

とはいえ、それらに意味が無いとも言えないので、そうしたい人はそうしたら良いのだけど、リスク覚悟で、自分で考えて、決めて、やってみたいって人にはストレスが溜まるだろうなぁ、と思うのですよ。

ここまで書いてふと思うのは、これは「失敗はネガティブなものである」という価値観で捉えるとそうなっちゃうのかなってことです。

だって、経験も無い者が、チャレンジしたらうまく行かないことがあって当然なのです。
それを避けたいから理論的な裏付けで固めれば、そこには正解しか無いわけで、失敗の経験なんて無くなるよね、とか、効率良いよね、ってこと?

リスクを取ってチャレンジする経験が無いこと自体が失敗ではないかと思うのだけどなぁ。
それに、失敗やら成功やらの中から工夫するとか、色々と幅広い経験をして、一見効率が悪い生き方をしても、最終的にはそれらの経験が活かされるわけだし、だからこそ面白いんじゃないかな。

興味に・直感に従おう

興味を持てないことなんてうまくいかない。

それは自分自身の今までの経験からも、学生の成長を見ても実感したことです。

けど、周囲を見渡すと、興味が無くてもソコソコ何とかしなければならない、というようなことばかりではないかな?

「言われたことをとにかくやって、その中に興味を見出しなさい」
といったようなことはあるかもしれませんね。
まぁ、それはそれで良いのかもしれませんし、それが必要なこともあります。

でも、そもそも「言われたことをやって」という辺りに怪しさが潜んでいるというか…
時と場合と程度によっては、それがトリガーとなることはあるでしょう。

しかし、年がら年中、何から何まで「言われたことを…」となると、困ったことになります。
言われないと動かない、言われたことしかやらない(やれない)となってしまう。

しかもその場合、言われたこと(しか)やらなかったりするので、最低限の結果しか得られません。
そして、それで安心したりします。

そんなこんなで、言われたらやる、最低限やるというのが習慣化されていきます。

それで良いなら別にかまわない、と言いたいところですが、そうはいきません。
そんなの面白くないから。

最低限を狙って、本当に最低限に到達するのは実は凄く難しいことってのもありますが、仮にそれが成功したところで、そこにあるのは安心で、喜びには到達できません。
なので面白くない。

でも、最低限を狙って安心を得ることが喜びだ、みたいにはなるかもしれません。
それまた面白くないですね。

で!

何が言いたいかというと、我々はもっと高い付加価値を追求すべきではないかということです。

だって、人件費が高くて、人口が減少していくのでしょう?
そんな環境で、皆で同じように最低限のことをやっていたら、ガンガン下降していくのではないかな?それはもうあらゆることが。
で、心が萎んで守りに入って、下降のループが加速していくのは目に見えていませんか?

こういうことの理屈に関して私は素人ですが、それでもこのくらいの見当は付きます。
というか、そんなのは誰でも分かることですよね。

人件費が高くて、人口が減少していくのであれば、それぞれがより高い価値を生み出せるようになる必要があるのでしょう。
効率やら何やらってのは、その先の話だと思います。
そういうのって、ものを作れば誰だって分かることだと思います。

面白さに絡めて、独自性や希少性を追求していけば、きっと上昇のループを作れるはずです。
そこで大事なのは、やはり興味を持てることでしょう。

「あ、これは好きだな」という直感は思いのほか正しいです。
いや、別に正しくなくても良いのです。そう思うことが大事。

「好きだな」という思いは強力な動機ですから。
それ以外に理由は要らないくらい。
「好きだからやってる」というのは崩しようがありませんもの。

その気持ちから
知りたい、できるようになりたい
と、自分発の本当の学びが始まるのが健全なのではないかな。

そこから始まる上昇ループには終わりがありません。
しかも自発的です。
こうじゃないとね!