やらせない学校

教育ってどんな方法が良いのだろう?とか、どんな方法があるだろう?なんて考えるのですが、その際に比較対象として引っ張り出すのは、やはり現状です。

言って、やらせる

という教育です。

これ、まるまるひっくり返したらどうなのでしょう?

言わないし、やらせない
外部からの動機付けはしない、という意味です。

環境を与えて、ゴールを自分で決めさせて、手段も自分で考えて、とにかくやってみる。
そのために必要なものは、自分で取りに行く。

その結果、大抵はうまく行かなかったりするのですが、その結果に対して、なぜそうなるかを考えて、次の手を打つ。
そしてうまくいくまでやってみる。

「言わなかったらやらないでしょう!?」

良いのです。やらなくても。
チャンスがあるのにやらなければ、そこにいる意味は無いのだから、やりたくないなら辞めたらいいのです。
手を抜いて楽なことをやりたいとか、理屈ばかりで行動しないとかも同様でしょう。

自分には必要無いと思ったら、その授業は受ける必要は無いけど、必要だと思ったらトコトンやれば良い。

こういうのって、定量化した評価、つまり数字での評価がしにくいですが、そもそも数値化された評価なんて、社会に出たら大して役に立たないのですから、「何ができるのか」で良いと思うのです。

ペーパーテストなんて、徹夜で暗記したところで、どうせテストが終わったら忘れちゃうんですから。

たぶんこういうやり方って、義務教育以降で、将来の方向性を定めていて、そのための能力を得たいという前提条件は付くでしょうね。
あれ?そもそも大学ってそういう所じゃなかったっけ??

従来の教育方法が好きな人は、そういうのをやれば良いし、何かに特化した能力が欲しければ、それなりのやり方ができるチャンスがあっても良いと思うのです。

「普通」の使い方

「普通」って良く言いますか?
「普通」になりたいですか?

学生に限ったことで言えば、「普通」を目指している人は多いと思います。
それには色んな理由があるとは思いますが。

まず、「普通」より上(何が上かというのは置いておいて)を目指すのは、大変で面倒だからイヤ。
でも、「普通」より下じゃ心配。

何となくそういう感じかな。と思うのですが。

そもそも「普通」って何だか分からないけど。
たぶん単なる多数派とか平均値とか、そんなもんだとは思います。

まぁ、単なる多数派とか平均値とか、そういうものだとして、その中に埋没していれば、多少の問題とか不快があっても諦めが付くというか、結果として変な安心が得られるかもしれません。
「何か嫌だけど、自分だけじゃないからしょうがないか」
みたいに。

そして、世の中が変な方向に向いている状態などでは、そこに乗っかる流れが「普通」なわけでしょうから、その場合は全く安心では無いですね。

こうやって考えてみると「普通」の魅力は、短期的な安心感なのかな、という気がします。

なので、それを求める傾向にあるとしたら、あまり長い時間軸上で戦略的に考えられていない可能性があるわけで、そういうのをベースに、今の自分の状態を評価して確認するのもアリかな…なんて思うのでした。

要は「普通」の先を求める心理状態になっているかな?ということです。

どういう時間のスパンで、何を狙っているのか、そういうは頭で考えているものと、深層心理で求めているところにズレがあったりしますので。

クリエイティビティとかパッションとか

創造性とか想像力とか熱意とか、そんなもんあってもテストの点数は大して変わりません。
なので、何の得にもなりません。学生のうちは。

ごく稀に学生に聞かれることすらあります。
「良いものを作るのに、そういうの必要なんですか?」
って。

多くの学生達は本気で思っていたりします。
学力と知識さえあれば良い仕事ができるって。

きっと、親も先生もそう言っているのでしょう。

その価値観で社会に出るとどうなるのでしょうね。
だまされた!
なんて思うのでしょうか。
気付かないまま行っちゃうのでしょうか。
人によっては、その価値観をひっくり返せるかもしれません。
でも、ごく少数でしょうね。

今日は卒業生と食事をして、昔の話をすることができました。
彼は私が当大学で勤務を始めた頃の学生なのですが、彼らの世代は2年生で何も無いところから活動を始めて、卒業までの3年間で…

エコラン(燃費競技)を、地方大会、全国大会含めて6回出場
Formula SAEは、オーストラリア大会2回、アメリカ大会1回、日本大会1回出場

と、かなりの経験を積んで実績を残しました。
彼らと、彼らに続く世代のパッションは、20年経った今でも現役生に何かしらの影響を与えるだけのパワーがありました。

相当苦しかった反面、他に類を見ないほど濃密な経験をできた時期でもあります。
彼らの成長の速度は、今ではとても考えられないほど速くて、恐らくこの活動をしなかった学生より10年は先を行っていたと思います。これは決して大げさな表現ではありません。

対して、今の夢工房の学生達はどうでしょう。

もちろん頑張っています。
真面目で良い子です。

初期の学生達は、狂ったように頑張っていました。
そして、真面目な良い子ではありませんでした。

時代や環境の違いは当然あるのでしょうけど、その辺のことを考えて泣き言を言っていても何も変わりません。

同じ人間なのだから、やり方は違ったものになったとしても、発することのできる熱量や創造性の総量は変わらないのではないだろうかと思うのです。

昔と同じことをして欲しいわけではないのですが、彼らが持っているポテンシャルを、一杯一杯まで、本当の限界にぶち当たるまで発揮したら、もっともっと凄い経験ができるはずです。

そのトリガーとなるものは何なのでしょう。
リミッターとなっているものは何なのでしょう。

そんなのは簡単には分からないでしょうし、そういうのを命令してやらせようとしたら、身も蓋もないのですが、そういったことを思い悩んで色々試すのが私の仕事なのですよね。