人間関係が大事…なのだが

人間関係は難しいですよね。
常に課題です。

相手のことを考えた行動や仕事がちゃんとできているかな?
というのが誰しも課題になっていると思います。

…なってますよね?
なっていると良いのですが。

表面的に仲良しで、喧嘩しないとか、そういう薄っぺらな人間関係しか構築できないと、後になって悲惨なことになったり、より面倒なことになります。
あ、でも当事者は気付かないと思いますけどね。そういう経験しかしてこなければ。

でもね、世の中こんなに便利になっちゃうと、別に人のことを考えなくても生きていけちゃうんですよね。

で、そんな生活を続けていると、当然ながら人間関係がますます難しいことになってくるのですが、別にそこにフォーカスしなくても生きていける…

みたいなループがグルグルしちゃってたりすると、当人は良くても世の中良くならんだろう…といったことになるのでしょうね。

もちろん、仕事がうまくいくかどうかなんてのは、相手を考えていないと話にならんわけでして。

こういうのって、世の中便利になってきたから要らんじゃないか、なんて思うかもしれませんが、ところがどっこい「だからこそ」なのですよ。

だってね、皆がどんどん相手を考えない行動を取る傾向になったとして、その中で、ちゃーんと相手を考えられる行動なり仕事なりができたら、それは大層なアドバンテージになりますよね。

大抵は、「みんなそうなんだから、別にいいじゃん」となっちゃったら、先はありません。

だってね、単なる消費者なら何の問題もないですが(本当は大アリですが)、創造したり供給したりという側に回るつもりがあるなら、「普通で良いの?(みんなと同じで良いの?)」って話になりますよね。

普通のことやって、相手は、お客さんは、どれだけ喜ぶの?って話なんですよ。

で、そういうのって当然だと思うのですが、学生は、そういうことを全く知らずに世に出るわけですよね。
別に授業でやれとは言いませんが、役に立ちそうな経験をする経験は、ほとんど無いのではないかな?

アルバイトがあるだろうって?
まぁ、そうですが…そりゃ運が良ければ、って話ですよね。
雇用主から、そういうことを経験できるチャンスを貰えたり、そういう気付きが得られる経験ができれば良いですが、最近はそうでも無いのではないかな?

最近に限ったことじゃないかもしれませんね。
私は学生時代にレースをやってて超貧乏だった都合上、今も何をやったか全部は思い出せないほど多くのアルバイトをしましたけど、なかなか仕事の本質に触れるような機会はありませんでした。

そもそもアルバイトって、言われたことをやるのが仕事なんだから、当然と言えば当然なのですけどね。

でも、ごく僅かながら、深く人生を学べるような人生の師匠みたいな人との出会いがあって、貴重な経験もできました。それは凄いレアなケースです。
考えてみれば、仕事を通じて「師匠」というか、今で言うとメンターですかね、そういう人には恵まれてきました。
おっと、話が脱線しそうだ。

最近では、アルバイトの仕事はマニュアル化されちゃったりしてるんでしょうね。
特に大手のチェーン店なんかは。どうなんでしょう?
そうなっちゃってたりすると、ますます相手を考えて…なんてことは関係なくなっちゃってたりするのでしょうね。

そんな状態で学校を卒業して、社会に出たらどう思うんだろうなぁ。

でもね、相手を考えないって、短期的にはとても楽なんですよね。
人間の抱える一番面倒なところを経験しなくて済むわけだから。
でも、長期的に見ると、激しくしんどいことになるかもなぁ、なんて思います。

で、早い時期に、こういう一見面倒で難しそうなことを経験して、それを楽しめる領域に行けたら理想だと思うのです。

薄っぺらな人間関係で、仲間と力を合わせて深い仕事をしよう、なんてのは所詮無理なわけで、ぜひその辺の気付きを得られる経験をして欲しいと思うわけです。

うまくいかないとイヤかい?

まぁ、うまくいかないことが気持ち良いわけないでしょうね。
けどね、やることなすことうまくいっちゃったら、それ、価値あるの?って話しです。

思い通りにいかないからこそ自分の課題が見えるわけで、超えるべき壁が見えるのですよね。

物体に限らず、文章でも芸術でも、自分が生み出したものは、自分そのものです。
決して自分を超えたものにはなりません。

だったら、うまくいかないことを冷静に受け止める必要がありますね。
よーく観察すると、今の自分が分かりますから。

そうしたら、「じゃぁ、こうしたらどうかな?」という方向性が見えてきたりします。
あとは試してみて、気に入らなければ、また観察。この繰り返し。

でも、ここが難しいところかもしれません。

今の自分が不十分だということを認めたくない
今の自分のままで(自分の成長抜きで)良い結果を得たい

なんて思いがちですから。
人は楽をしたくなるものです。

でも、そう思っちゃうと成長は難しくなります。

では、たまたまやってみたことが、うまくいっちゃったらどうでしょう?
そんなことがあったら、それはそれで気持ち良いのでしょうけど、そうそうあるものではありません。

でも、
「そうじゃないとイヤだ。
きっと自分がやったらた、またまうまくいっちゃうことがあるはずだ」
なんて思って、頑張って探して、仮に何か見つかったとしても…

そういうのって、大抵は誰でもできることだったりします。
なので、価値はありません。

やはりね、なかなかうまくいかないことに、どのように向き合えるようになるのかってのが成長段階では大事なことなのですよね。

そういうのを「素直さ」っていうのかな。

人の器の話

一般的に言う、「器のデカイヤツ」の「器」のことなのですが、こいつの話をしてみましょう。

この場合の「器」とは、自分で決めた心の容量のようなものです。
よくコップに例えられますね。

それが何かしらの感情などで満たされていって、口いっぱいになれば、それが限界です。

その大きさは自分で決めるものです…ってのも、よく聞く話ではないでしょうか。

いわゆる心が狭いとか、心が弱いとか言われる人は、この器が小さくて、すぐに一杯になっちゃって、怒ったり、崩れたり、となるのは皆さんご存じの通り。
それが良いとか悪いとか、そういう話をしたいわけではありません。

夢工房でやっているような、コンペティションに挑戦しているとしましょう。
その時の努力とかの限界値を決める要素って、色々あるのかもしれませんが、極めて重要なことがあります。

それは、志や夢の大きさなのです。

大きな志や、大きな夢を持てる人って、実績や経験が豊富な人だと思われがちです。

が!
じゃぁ、ビギナーが大きな夢を持つのは変なことでしょうか?間違っているでしょうか?

そうではないのです。
ビギナーにこそ大きな夢が必要です。

もうこの辺で気付いているかもしれませんが、夢の大きさって、心のコップの大きさなのです。

例えば、「世界一速いレーシングカーを作りたい!どうしてもどうしても、何がなんでも作りたい!」と思っていたら、大きなコップを持っていると言うことなのです。

そういう状態なら、ちょっと何かやってみた、ちょっと何かを知った、ちょっと何か失敗した、くらいで、決してコップは満タンになりません。カラカラです。

「それじゃ全然足りない!」
と思って、色々やったり調べたりして、何とかコップを満たしていこうと思うでしょう。

対して、自分はまだビギナーなのだから、と、小さなコップを用意してしまうと、ちょっと何かをやっただけで一杯いっぱいになってしまって、辛くなるでしょうね。
ヘタすると、あっという間に継続する事自体が苦痛になってしまう。

でもそれ、実に普通のことじゃないですか?

自分はまだ経験が十分じゃないから、小さなところで満足しておこうとか、ヘタするとゴールの設定すらしないとか。

ビギナーは、大きなコップを用意すべきではないとか、ヘタに大きなコップを用意してしまうと大変なことになると思っていませんか?

でもそう思っているとしたら、これまで「やらされすぎ」なんだと思いますよ。
小さいコップを用意しておけば、すぐに一杯になったことが、やらずに済む理由になります。
生活の知恵みたいなものでしょう。

なにか言い方が悪い気がしますが、誰しも最初はそんなものかもしれませんけどね。
私も、そんな考え方と行動をしていた覚えが山ほどあります。
今だって、そういう状態から脱しているかと言えば、決してそんなことは無いと思います。

これまで何度も言っていますが、そういう姿勢って習慣なので修正は難しいです。
そから脱することを望んで、工夫して、それを楽しめたら良いんですけどね。

私がたまに変なチャレンジするは、そういうことだったりもします。