価値は人にあり

機械的なのはダメってことです。
分かりやく言うとこういうことです。

実用的なAIが登場してくれたお陰で、人の価値について見直す契機になりました。
マシーンと同じ方向を向いて、奴らと競争したって仕方ないのです。

そうは言いながら、テクノロジーは今後も発展していくでしょうから、技術の価値が無くなることはありません。
ただ、ひとたび一般化された技術の価値(というか価格)は低下していきます。
これは過去を振り返れば一目瞭然で、例えば自動車が出現した当初は、一般庶民が手に入れることはもちろん、乗ることすらできませんでした。

最近、このブログでは頻繁にAIが生成した画像を挿入しています。
あれが良いとか悪いとかは置いておいて。
あれだけのものを絵を描く商売の人にお願いしたら大変です。
依頼にも作画にも時間と手間が掛かるでしょう。それなりのコストを要するはずです。

あれ、どうやってAIで生成しているかというと、ChatGPTに、「この文章のイメージで画像を生成して下さい。画像の大きさは1024 x 1024ピクセルでお願いします」に続き、毎回のブログの文章を貼り付けただけです。それでああいう絵を生成してくれます。

要する時間は数十秒です。掛かったコストは、ChatGPTの有料プランに月3千円くらい払っているので、毎日画像一枚の生成だけに使ったとしても、一回100円くらいですね。
まぁ他のことにもこき使っているので、実質的な画像生成のコストはかなり低いはずですが。

あんな絵を「毎回100円で、すぐに描いてくれ」と絵描きさんに依頼したら怒られるでしょうね。

と、こんなふうにコストが下がって日常使いできるようになることを、一般化とかコモディティ化とか言います。

ブログの記事だって、数行のテーマを与えただけで、結構なボリュームの文章を作成してくれます。
実は何度か試しているのですが、私の言いたいことと方向性が違うし、かなり当たり前というか、もっともなんだけど面白くない文章を作ってくるので一度も記事には採用していません。

参考までに、このブログからイメージできる風景をChatGPTで画像化したら、以下のようなものになりました。

和風…で、メカ…なのか?

ChatGPTには「ブログからイメージできる風景を…」と入力しました。こういった文章はプロンプトと呼ばれる命令文のようなものなのですが、画像が生成されるのと同時に、その画像を生成するのに実際に用いられたプロンプトも見られるのです。
実際に用いられた?意味分からないでしょう。

自分が打ち込んだプロンプトで直接生成された訳でなく、それをChatGPTが再解釈して詳細なプロンプトを自分で作っているのです。
これがそのプロンプトです。

A serene and inspiring landscape inspired by the blog ‘夢工房より,’ combining elements of traditional Japanese scenery with a modern engineering touch. Features a tranquil Japanese garden with a flowing stream, surrounded by futuristic structures like abstract gears and machinery seamlessly integrated into the natural environment. The atmosphere is peaceful, creative, and innovative, reflecting a blend of tradition and modernity. No text or characters, purely a visual representation.

こんなのをいちいち和訳するのも面倒なので、これまたChatGPTに和訳してもらいましょう。

ブログ「夢工房より」に触発された、静かで心を動かすような風景を描いたもの。伝統的な日本の景観に現代的なエンジニアリングの要素を融合させています。穏やかな日本庭園には流れる小川があり、その周囲には抽象的な歯車や機械のような未来的な構造物が自然環境に溶け込むように配置されています。雰囲気は静かで創造的かつ革新的で、伝統と現代の調和を反映したものです。文字やキャラクターは含まれず、純粋にビジュアルとして表現されています。

ですって。

何だよ、勝手に「伝統的な日本の風景」とか言っちゃってんじゃん!
でも、「雰囲気は静かで創造的かつ革新的で、伝統と現代の調和を反映」とか言ってるのは気に入りました。そういう印象なのね。

というわけで、こういった我々庶民でも便利に日常使いできるものは、利便性は高くて、欠かせないものになるけれど、誰でもいつでも使えるので、価値の大きさ自体は低下するのです。

なので、これに対して今後は人間的なものの価が高まるでしょう。
縄文ブームとか、古民家が見直されてきたりするのも、そういった傾向なのかもしれませんね。

さて、では我々自身の行動についてはどうでしょう。

例えば
リアクションではなく
アクションにこそ価値がある

とか
メモリーに突っ込んで、それを取り出すことではなくて
新たなものを創造することに価値がある

とか
言われたこと、決められたこと(だけ)ではなく
言われてもいないことに価値がある

とか
確定されたものでは無く
不確定なものの中に価値がある

そんな傾向を目指すべきなのではないかな。

いずれにせよ確かなのは、AIにできることを自分の価値の中心に据えてはならない、ということでしょう。
シンプルですね。

こんなことを考えていると、いかに我々が機械的な反応をするように教育されてきたかってのが分かるかと思います。
これを再検討して新しいやり方を構築する必要がありそうです。
習慣化されたものを変えるってのは手強いですけどね。

あ、そうそう、最も重要なのは、勇気を持ってチャレンジすることです。
我々夢工房にとっては。

「波」を使おう

かめはめ波は危ないので、むやみに使わない方が良いですね。

人には好不調があります。
周期的なものであれば、バイオリズムと呼ばれたりしますね。

「天中殺」も周期的なものと思って良いのでしょうね。
概念自体は、ずいぶん昔からあるようですが、「天中殺」と呼ばれて、多くに知られるようになったのは戦後なのですって。

良い方向、ダメな方向に向かうなんていうときは「方向」です。

まずこの二つを混同しないように。

で、好不調の「波」ですが、それをどれだけ意識していますか?できていますか?

地球は周期的に自転し、太陽の周りを周期的に回り、月も地球に対して周期的な関係を持っています。
そこに生きる我々も周期をもっているわけで、それがバイオリズムと呼ばれます。
ここではバイオリズムにフォーカスするつもりはないので、興味がある方は別途調べてみると良いでしょう。

で、問題は「周期」であり、「波」です。

別に難しいことではないのですが、波である限り上がったり下がったりするわけです。
上がった後には必ず下がるし、下がった後には必ず上がる。

そんな時に「なんか最近調子良いぞ」とか「最近は低調だなぁ」なんて思うことはあるでしょう。
その時にどうすべきか、これが問題です。
意外と多くの人が、好不調そのものにフォーカスして、その後のことを考えていなかったりしませんか?
そういう自分も見失うことがありますが。

好調の時
このタイミングを逃さずに、イケイケドンドンが基本です。
一つの理由は、その後は必ず下がるので、この時の上げ方次第で、その後に訪れる下がる波の「底」をある程度押さえることができるからです。

もう一つは、単に成長するチャンスだから。

「これから上がるぞ」というタイミングが分かれば、そこから準備ができることを分かっておくとなお良いと思います。

低調の時
一口に低調と言っても色々あるのですが、本当にダメな時は何をやってもダメです。
特にアウトプットに関するものや、思考に関するものがうまくいかなかったりします。

そんな時は潔く諦めるしかない場合もあります。

では、何もしないのが良いのかというと、そうでもなくて、あまり余計なことを考えずに、とにかくインプットに徹するのが良いと思います。
その際、思考が鈍っているなら、無理に情報を整理しようとしたりする必要はありません。
この時期にインプットしたものは、いつかきっと役に立ちますから。

そういう時にお勧めなのは、本です。紙の書籍です。
電子書籍とか、ネットの情報とかでも良いのかもしれませんが、私は紙の本にします。
ネット上の余計な情報に引っ張られてしまうことを避けるために。
なので、気になった本とか、以前に入手して読まずに手元に置いてある本などを無心に読んだりします。

冒頭に書いた「方向」にも気を付けましょう。
悪い方向に進みつつ、波が低調になったりすると参っちゃいますから。
でも、それも良い経験かもしれませんけどね。

ただ、方向は自力で修正ができます。
それに気付くのであれば、ですが。

とはいえ、「良い方向」「悪い方向」なんてのも、色々やってみないと分からないものですから、あまり構えずにトライ・アンド・エラーで行ってみたら良いでしょう。

時代は巡るのだ

当然のことなのだけど、忘れられ、意識されていないこと。
資本主義だって、自由主義だって、政治だって、経済だって、人が考えたシステムは完璧では無いし、絶対的なものでもない。
地球の歴史、人類の歴史から言ったら、誤差みたいについ最近に誕生したもので、いずれは終わり、きっと新しいものが生まれる。

成長していずれ滅びる、それは必然。
今あるものの終わりは、楽しいものになるかもしれないし、辛く悲しいものになるのかもしれないが、新たなものが生まれるためには必然のプロセス。

この世の全ての物事は移り変わってしまい、一定では無い。
終わりの時、変化の時はいずれ必ず来る。
そして今現在もそのプロセスの途上にある。

変えたくないし変わりたくない
現状に拘り、とらわれてしまって無意識で自然とやってしまうのだけど、そのとらわれる心が恐れとか苦悩を生むわけで、それによって変わりたくない気持ちが強化される。
でも、そこにとらわれているうちはループから抜け出せない。

どうせいずれは変わらなければならないのだから現状に執着するのは無駄なことで、とらわれから解放されて自由にならないと明るい未来には行けないのでしょうね。

あとは、待ちの姿勢で変化を受け止めるのか、それとも自ら掴みに行くのかの選択も大事。
それは自分次第だけど、その思いや気持ちに気持ちによって未来が変わるというか、決められるものでもある。

そういうの、分かってはいるけど、いざやるとなると難しいことですよね。

と、そんなことを考えていると、仏陀は良いこと言うよなぁ。凄いなぁ。なんて思うのです。

諸行無常とか、色即是空 空即是色なんて、まさに真理ですよ。