大事なものは見えない

サン・テグジュペリが「星の王子さま」で書いた

本当に大切なものは目に見えない

これは真実です。
その目に見えないものを原動力にして我々は動いています。

でも、物質の欲にまみれたこのご時世、ついついその大事なことを忘れてしまいがち。
そして情報過多ならなおさらです。
大事なことをゆっくり考えるゆとりさえなかったりする。

さらにそのゆとりを失っていることすら気付かなかったり、むしろその状態に充実感を感じたりして。

と、そんなことを考えながらも、さほど悲観はしていません。

別に年がら年中そんな感じでグルグルしちゃっているわけでもないし、そういう状態だからこそ分かることもある。
いつかはそういう状態が変わる時、というか、変えざるを得ない時が来るでしょうしね。

今はむしろ、いつも同じ状態で、変な安定感を感じることに危機感を持っていたりします。
進めるうちは進んでおかないとね。

心の中の大切なものをを保ちつつ、日々変化というか進化というか、成長していけると良いよなぁ、なんて思っています。

初詣における流儀

これが初詣のイメージなのかい?ChatGPT君よ。

ところで皆さん、初詣には行きますか?

そうですか、行きますか。
それは良いですね。

神社ですか?
なら、あなたは神道の人です。

お寺?
なら、あなたは仏教徒ですね。

ってな感じに白黒はっきりさせる必要は無いかもしれません。
神道やら仏教やらって、我々の生活に入っちゃってますから。

もうずいぶん前のことですが、神社にお参りに行って、ふと思ったのです。

「お賽銭を賽銭箱に投げ込んで、お願いする?
これ、どうなの?」

だってね、神様の身になって下さいよ。
お金を放られたあげく、お願いまでされちゃうんですよ。

それ、どうなんですか?
かなり失礼なことじゃないですか?

仮に、お店に行ってカウンターにお金を放り投げて
「それくれ!」
ってお願いしたらどうですか?
あなたが店員さんだったらどう感じますか?

その「お願い」聞きたくないですよね。
それを、よりによって神様にするの?
そういうことです。

なので、それからは変えました。
お賽銭投げない。
お願いしない。

お賽銭は、そっと賽銭箱に入れて、神様に約束をします。
もしくはご挨拶。

別にお願いなんてする必要無いのですよ。
自分がやるのだから。
もしやらなくて済んじゃったら面白くないですよ。

こういうのって、人それぞれだと思うんですけどね。
自分のやり方ってのがあると楽しいですよ。

中学生来訪

そうそう、昨日の話なのですが、夢工房に多くの中学生が見学に来てくれました。

高校生も良く見学に来てくれるのですが、夢工房としては中高生の見学は常にウエルカムです。

それはもちろん、将来的に本学に入学して欲しいというのもあるのですが、それは理由としてはあまり大きくありません。

彼らに
クルマやらバイクって自分で作れるものなんだよ、とか
海外のイベントにだって、やる気があれば行けちゃうんだよ、とか
本気でやると凄く面白い世界があるから頑張ってみようよ!
なんて事を伝えたいのです。

なので、別にクルマじゃなくても良いから、夢の実現のために頑張ってみよう!
と彼らに提案したいわけですよ。

あとね、彼らの元気とか笑顔からパワーをもらえる。
これは予想外に大きな力になります。
表情、目が輝いていますから。
そんな彼らと接するだけで、こっちが元気になっちゃいます。
頑張らないとな!って。

彼らは別に自分達の表情とか言葉によって、何かを相手に与えようなんて思っていないと思います。
しかし、結果的に彼らが発する何かが、我々に元気とか自信などのポジティブな感情を与えてくれる。
不思議といえば不思議ですが、当たり前といえば当たり前なのです。

純粋な興味とか驚き、そういったものも含めて、我々は言葉「以外」で色々と伝えることができるのです。
その威力は、言葉の13.29倍です。
我々の直接的なコミュニケーションにおいて、言葉の果たす役割は7%なので、そういうことになります。

ポジティブだろうがネガティブだろうが、人の持つ雰囲気とか表情とか声色とか、そういったものは言葉以上にものを言うってことです。
そして、そういった環境にいれば必然的に影響を受ける。
なので、日頃の態度とかコミュニケーションって、凄く重要なのですよ。

我々に比べれば、はるかに純粋な中学生と接すると、改めてそういうことを実感しますね。