教えるということ

先日、寝床に入って「教える」って何だ?
と考えてたら眠れなくなりました。

「ねえ、3時になったら教えてくれる?」

それは決して「教育」ではない。

何と、日本語の「教える」は、「知らせる」「伝える」などが混同されているではないですか!

英語で言う…

instruct
teach
train
tell
show

これら全てを「教える」で表現できるのだ!
なんてややこしくて、なんて便利なんだ!

「教育」とはなんぞや?
それは決して「言ったことをやらせる」ということではない。
まあ、そういうことも含まれるでしょうけど。

「言ったことをやらせる」は、教育の手段の一部のはずなのだけど、なぜか目的化している気がしませんか?
確かに「教える」って、そういう印象ありますからね。

本人が自ら考える立ち位置に導けたら、それが理想なのだと思うのです。
でも、それは難しいし、面倒なことです。

ついでに言うと、知識を手に入れることは大事です。
ですが、知識を使うことをはもっと大事です。
さらに言うなら、知識を使って、その結果起きることを知り、その知識と経験を使って…
とグルグルとループを描きながら成長するのが理想だと思うのです。

知識を手に入れて、テストで解答して、合格したら、はい良かったね、で終わるってのは、実社会で起きていることから考えると、現実離れしたこと。

そんなことを考えていると、「実践」って最重要じゃないか!と思うのですよ。
いや、本当に要なのは、グルグルとループしながら成長することかな。

やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

「やってみもせんで何が分かる」
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。

直感を信じよう

直感は正しい
そんな話をしてみましょう。

そりゃぁ、最初からなんでもかんでも直感で決めていたら、外れもたくさん出るでしょう。
なので、そういうむやみなことを言っているのではないのです。

考えたところで答えが出ないことに
これに関しては、直感はかなり役に立ちそうな気がします。

そもそも、そういった答えがないものに関しては、考えすぎるとロクなことは無いのです。
まぁ、ものごとにもよるでしょうけど、特に若いうちはそういう傾向にあると思います。

何を例に挙げましょうかね。

進路とか仕事とか
はたまた趣味とか

そういったことにおいて、何を選ぶか?
それには正解はありません。

なので、直感で決めちゃって良いのではないかな?
というのが今回言いたいこと。

進路でも仕事でも良いのですけど、そういったことを選ぶとき、多くは考えちゃいますよね。

将来儲かりそうな仕事をしたいから、とか。
そういうのって、自分以外の誰かが言ったことをベースに考えたりするものですが。

まぁ、それはそれでも良いのですけど、大事なことを忘れています。
その仕事は自分がやるのです。

「将来儲かる」というのは、それがうまくいった場合です。
うまくいくかどうかは自分次第なのですが、好きでもないこと、自分に向いていないこと(特に価値観ベースで)、そんなのをやったところで、うまくいかないでしょう。

逆に、現在流行っていないことを仕事にしたらどうでしょう?
そして、それが自分の性に合っているというか、好みのものだったりしたら?

そりゃ頑張っちゃう可能性はありますよね。
楽しかったりしたらなおさらです。

さて、ここで一つ考えてみて欲しい。

例えば、パソコンでもスマホでも、ゲーム機でも何でも良いのですが、いわゆる「ヒット商品」ってありますよね。
それ、ヒットする前はどうだったのでしょうか?

当然ながらヒットしていませんでした。

でも、なんでヒットしたのでしょうか?

そのものが持つ働きとか、性能とか、はたまたマーケティングとか、色々要素があるでしょうけど、その根底にあるのは関わる者のパッションですよ。大抵は。

そして、今まで誰も見向きもしなかったもの、今まで存在していなかったものが、注目されるようになってヒットしたのでしょう?

よーく考えて、良い答えを出せるなら、それでも良いのかもしれません。
でもそうやって答えを出せそうですか?

出せないなぁ
と思ったら、そりゃもう直感を信じて、何をかやった方が良いでしょう。
好きなことリソースを投入すれば、そこから分かること、見えることはあるはずで、ある程度うまくいくのも当然です。
結果がどうあれ、その経験は必ず未来に活用できますしね。

一番もったいないのは、考えすぎて実行する時間が無くなること
そして、他人の価値観で動いて時間を無駄に使うこと

直感を信じて経験を積めば、その経験によって、さらに直感は磨かれます。
なので、良いのです。失敗しても。
その経験は、次に直感を働かせるときの材料になりますから。

雑念が無く純粋な直感は、意外なほど正しい。
磨いていけば、そんな感じになりますよ。