ARLISS 2023 出発

今年もアメリカのネバダ州にある乾湖のブラックロックデザート(Black Rock Desert)で行われる模擬惑星探査機のコンペティション、ARLISSに参加します。

遠征参加者は、お馴染みの3年生のコータローと、1年生2名です。

まずは成田から午後4時25分発、LCCのZIPAIRでサンノゼへ。
そこからは、Southwestでラスベガス経由でリノへ。
リノ到着は現地時間9月6日の午後4時頃の予定。そこからレンタカーで東へ60km行ったファーンリーが前回同様、我々の前線基地です。

日付と時間だけで見れば、日本を発ってから数時間後には目的地到着となるのです。面白いですね。
実際は16時間の時差があるのですけどね。

選択肢が多いと…

ものごとが長続きしないのは何でだろう?
というのも気になるところ。

例えば、有名な一部上場企業に入社した新卒の4割近くは3年後に辞めちゃうとか。そういう世の中なのですよね。
学校なんかも似たようなもんです。辞めちゃう訳じゃ無いですが、なにか一つのことを頑張り続けるってあまり無くなってきた気がします。

私なんかは転職が多い方なので、あまり人のことは言えないのですけどね。

あと、技術が進歩すればするほど、あれもできなきゃダメ、これもできなきゃダメみたいになるのは仕方ないのかもしれなくて、そうなると何か一つに集中して…なんてのは難しいでしょう。

一つのことに集中して頑張り続ければ成果を残せる可能性は高くなるし、頑張る過程に現れるハードルを乗り越えるからこそ成長するわけです。
その辺の価値は不変なのでしょうが、実践が難しい世の中になっている気がします。

それに加えて、生きるのに困る世の中では無いので、難しいこと、辛いこと、苦しいことがあったら、さっさとやめちゃうのが正しいやり方だ、みたいな風潮なのかなという気もします。

とか考えていると、大学進学の理由にありがちな「将来の選択肢が広がるから」ってのは、「これがダメなら別のことで…」となりやすいわけで、保険みたいのは増えるけど、凄いこととか面白いことにはなりにくいのだろうなぁ、なんて思うわけです。

でも、分からなくは無いなぁ、

「それやってダメだったらどうするの?」
という恐怖でしょう?気になるところは。

その気持ちは分かるのだけど、物事の本質って結構共通だったりするので、一所懸命できる人って、何やってもうまくいくようなところがありますよね。

なので、いつの世も何かに集中して頑張り続けられる人って強いですよね。

とか言うと、肩に力が入っちゃって、視野が狭まりがちだけど、そうじゃなくて、柔軟性を持って視野を広くてきたら良いんですけどね。
そういうの、難しいのかもなぁ。

やはり好きなことをやらないと、そうはならないかな。
「これでいいんだ!」「これで行くんだ!」って思えるような。

「やる」か「やらされる」か

昨日の記事で「幼少期からの経験がものを言う…」とか書きましたが、じゃぁ一体どうしたら良いのだ?となります。

正直、正解なんて分からないし、そもそもそんなものは無いのでしょうけど…とはいえ考えちゃいます。

幼少期の経験は、環境から得られるものがほとんどでしょう。というか、それが全てか。

その環境ってのは、親とか学校とか、社会が作って用意したものが多いでしょうね。
それらは子供達への期待によって作られる。
場合によっては、利己的な理由とかもあるけれど。

で、ここが難しいところなのですが、期待する側には当然望むことがあるわけです。
「こうなって欲しい」と。

それがあまりに具体的かつ強力な場合、子供達に「やらせる」わけですよね。
その場合のアプローチは色々あるでしょう。
強制的にやらせたり、「心配だ」ということでやらせてみたり。場合によっては、トレンドのようなものを示すことで群集心理による行動を促してみたり。
すると子供達は「やる」わけですが、これは「言われたことをやっている」のです。

その結果は、できたりできなかったり様々でしょうけど、いずれにせよ、創造性や自発性は必要無かったり、夢中になってのめり込んで、失敗しながら限界を突破しつつ伸ばす、なんて経験はできません。
多くはウンザリします。
ウンザリすればするほど自発性は消滅していきます。
そして、「やる」と「やらされる」の違いが分からなくなる。

言われたことをやってみて、そこそこできたことを「できる」と勘違いしたりもするでしょう。まぁ、これは言われたことをやっただけに過ぎませんが、マシな方かもしれません。多少なりとも自信が付きますから。

とまぁ、色々言ってみたところで、結局は正解なんて無いわけで、色々試すしか無いのですよね。
本人が自身で色々試すのが最高ですが、場合によっては、学校とか指導者が学生達を試すというようなことになるでしょう。
まるで人体実験のようですが、現状が満足いかない状態なら、変化するしか無いわけで、そのためには試してみるしかありません。

その試した内容や結果など、短期的なものの細部に対しては良いだの悪いだのは言えるかもしれません。
ことによっては、そんなことしない方が良かった…のようなこともあるかもしれません。

ですが、そういう細部を抜きにして、一所懸命考えたりやったり、諦めずに続けたり、そういったことは、理屈抜きで素晴らしいことです。

知識なんてのは、将来役に立つ保証はありませんが、頑張った経験は必ず役に立ちますから。これはどう考えても間違いない。

なので、諦めたくない好きなことを一所懸命やるべきなのです。そう思います。

好きなことに夢中になったり、言われてもいない余計なことをやって、しょっちゅう怒られていたような幼少期の経験を持つ人は、結構凄い仕事をしている気がするのですが、どうでしょうか?

大学生になってからでは遅い?

そうかもしれません。
でも、何とかなるのかもしれません。