理屈・理論では動けない

人は理屈とか理論、公式では動けません。
法律やルール、常識などに縛られていたりもしますが、それによって動くわけでもありません。

では、何によって動いているかといったら、やはり自分の「心」に従っているということになるかと思うのです。

だって、理屈やルールに従って、なんでもキッチリできるわけじゃないでしょう。
いくら理屈通りでも、やりたくないものはうまくいきませんし、ルールに従えないことだってあるでしょう。ここでは、それが良いとか悪いとかという話をするつもりではありませんが。

結局、行動を決めるのは各人がどう思っているかということです。

なので、国や組織、個人の行く末とか、そういったところを理想に近づけていくには、同意できたり信じることができるゴールが必要で、それに対して「どう思っているのか」というのがとても重要になるかと思うのです。
だって、どう思っているかが行動につながって、それによって結果が決まるのですから。

我々の心が何をするかを決めている、未来を決めているということになりますね。

そんなことを考えていると、一人の学生がやりたいこと、やるべきことを一所懸命やるというのは、実はとても大事なことなんだよなぁ、と思うのです。
その成果が及ぼす効果は、本人が思っている以上に広範に影響を及ぼすはずですしね。

そういったことがうまくいかなかったりする理由などは、調べたり考えたりすれば色々出てくるかと思うのです。でも、大事なのは「ではどうするか?」です。
これも答えなんて無いでしょうから、やはりトライアンドエラーで模索するしかないのでしょうね。これまた理屈じゃないってことですね。

夢を叶えるのは不快だ

何を言ってんのやら?
というタイトルですが、こういうことです。

自分の成長とか、夢を叶えるとか、そういうのって端的に言うと「今の自分ではなくなる」ってことなわけですよね。
だって、今の自分のままでは、成長していることにはならないし、夢が叶った状態ではないから。

ということは、当然ながら今の自分からの変化が必要なわけですが、ここが厄介なところで、人は変化しない方が楽ちんなのですよね。つまり快適。
でも、複数の選択肢があるときに楽ちんな方を選ぶと、間違いなく成長や夢からは遠ざかるわけです。

その逆をやろうってのは、なかなか難しい話だったりするのかもしれません。
だって、快適な状態から脱する必要があって、大抵は何かしら不安や不快な感覚を伴うから。
でも、そうすれば間違いなく現状から離脱できます。

これ、超シンプルだけど、実行は難しいですよね。
「実際やってみて、うまくいかなかったらどうすんだよ」とか、「じゃぁ何をやったらいいのだ?」みたいなことになるでしょう。

「うまくいかない」というリスクを払うことを恐れる気持ちはわからなくないけど、じゃぁ、今がうまくいってる状態なんですか?それを維持するのがいいですか?と考えると、現状維持もリスクだと気付くかもしれません。
というか、現状維持こそが最も大きなリスクだとも思いますが。

「なにをやったらいいか」については、答えは簡単で、好きなことをやったら良いと思います。
まぁ、単に好きなことというか、自分がやるべきだと思ったことというか。
そういったことじゃないと、変化に伴う不安とか不快を乗り越えられないし、一所懸命できないのは当然で、最も成果が出せるはずだから。

と、そこまで分かったところで、これはちょっとなぁ、と思うのは、せっかく現状維持から一歩踏み出して、好きなことをやる入口に手がかかっているとき、中途半端なことをやってしまうこと。

それは時間の無駄になるし、その結果うまくいかなかったことによって、「やっぱり好きなことなんてやってもうまくいかないんだ」なんて思ってしまうかもしれないから。
まぁ、何もしないよりはマシかと思うけど。

というわけで、チャレンジの過程で、苦しいとか大変だとか辛いなんて思うことがあるだろうけど、それは間違ってはいないということ。
それを信じて乗り越えるのが成長で、そのためには好きなことをやるってのは、とても重要なのですよ。
というのが今回言いたかったことです。

学生の問題だけど学生だけの問題ではない

言われたことをやる・言われたことを覚える人間を育成しているのは我々年長者。
そういうことを優秀さとして測る物差しもあるけど、皆がそれでは困るし、そもそもそんなのばかりじゃ面白くない。

でも、新しいことに挑戦したり、新しいものを作り出すってのは面倒なんですよ。
当人も面倒を見る側も。
面白さとは表裏一体ですけどね。

挑戦したりすると失敗するし、何が起きるか分からない。

外部から評価したり、面倒を見る側は、大抵はそういう状況を嫌うでしょう。
何が起きるか分からないんじゃ、対応のしようがないし、評価が面倒だ、と。

学校の授業なんかは、そこそこ人数がいたりするので、できることなら最小限の手間で、たくさんの人数を同じように扱いたい。そんなふうに思っちゃうのは当然かもしれません。

大量生産とか効率の追求とか、そういったやり方のために構成された組織の構造みたいのが問題だったりするのでしょう。
その証拠に、学生達は同じようなことをやりたがるし、面倒なことをやりたがらない。
大量生産と効率の追求そのままじゃないですか。

その構造を変えずして、学生達に今までと異なることを求めるのは無茶というものでしょう。

とはいえ、学生達にはそういったものを言い訳にして我慢したりはして欲しくない。
一度限りの自分の人生だから。

多分今は過渡期で、これから大きく変わらざるを得なくなるけど、それが明確になるまで…恐らく追い込まれるまで組織は変わらないでしょう。

我慢して待っていても面白くないし、誰かのせいにしても何も変わらない。

今の環境だってできることはあるわけで、時が来るまでは、学生も面倒を見る側も、みんなで工夫して頑張って、それを楽しむのが良いと思います。