良い子のロジック

良い子になって欲しい

それは皆の願い
なのかな?

でも、そもそも良い子って何だ?
ってとこが今回のポイントなんですけどね。

ところで、良い子のイメージってどんなの?

言われたことをやる。ちゃんとやる。

ですかね?

そして良い子はそこから踏み外したりしない。
余計なことをしない。

それが極まると…

言われたこと以外やらない
となりやすいのではないかな。

それによって怒られるという面倒が発生しないので、リスクを回避できる。

しかし!
言われたことをやる
というのは、指示する側の想定の範囲内で行動するということだから、意外性が無くて面白くないのですよね。
新しいことや、驚くような結果は出せないのです。

何より問題なのは…

小さいことから積み上げる思考をするということだと思っています。

これ、どういうことかというと、何か新しいことをやったり、方向性をスイッチしたりするときに、現状に対してチマチマ付け足すような考え方ややり方をするってことです。

それやっちゃうと、入出力に対するゲインが良く分からないのですよ。
あ、良く分からない言い方でしたね。
何によってどれだけ変わるかとかが分かりにくいってことです。

何をやったらどうなるのかよく分からない
分からないからできない
もちろん面白くない
みたいなループにはまりやすい。

色々言いましたが、言われたことをやってくれる人は必要です。絶対に。
でも、皆が同じじゃつまらないのですよ。
言われてもいないことをやって、驚かせてくれる人も必要です。

余計なことをやると大抵怒られますが、時に驚いたり喜んだりしてくれる人もいます。
それが付加価値ですね。

人は生まれたら、ルールも常識も倫理観も無い状態から成長していって、大人になるのだけど、どうなるかの鍵は、やはり環境なのですかね。

色々言ってきましたが、チャレンジはできないのはつまらないよね、というのが今回言いたかったこと…で良かったのかな。

ものづくりの素晴らしいところ

たまに思うのです…

成績表って要るのか?

って。

ダメですか?学校の教員がそんなこと思っちゃ。

いや、いいんですよ、成績表があっても。
でも本当に言いたいのは

それが全てなのか?

ってこと。

そんな限定された「部分」だけを示す数値だけで何が判断できるんだ?って思うのです。
成績とか学歴とか資格とか
そういうもの全てに対して。

別にそれらに意味が無いと言うつもりはないのですけど、仕事ができる、もしくはできるようになる可能性がある、というのとイコールでは無いですよね。

いわゆる成績至上主義
成績を、学力とか学歴とか、資格に置き換えてもいいのですけど、それってこういう理屈でしょ?

部分的な優れたものを持っていれば、それによって素晴らしいことが為される

どうもそういう考え方には違和感を感じるのです。
学力とか学歴とか、資格が無意味だと言うことでは無く、順番が逆だろうってことです。

だってね、素晴らしいボルトやらナットやら、それこそエンジン部品やらタイヤやら…
そういうものを片っ端から集めたら、素晴らしいクルマができるのだ!なんて言えませんよ。

「素晴らしい部品」とは言っても、一体それはどういったクルマを形づくることを前提としているのかによって変わってくるからです。

例えば、大馬力のエンジンで、高いスピードでサーキットを走ることを前提に「良い」サスペンションを、乗用車に取り付けて街乗りしたら、全く良くないですから。
もちろんその逆もしかり。

つまり、細々したものを手に入れるには、その前提というか、ゴールが定まっていないと基準が無いわけで、基準が無ければ「良い」なんて相対評価の結果は得られないわけです。

なので、成績表が大事なのであれば、それは何のための成績なのか?どういったシーンで、その成績を形づくる要素が利用されることが想定されているのか?というのが最も重要だと思うのです。

それ無しに「良い」とか言われてもねぇ。

かつては「理系」とか「産業」とかのカテゴリーに向けた汎用的な評価としての成績表が役に立ったのでしょうけど、これだけ多様化した世の中であれば、もっと具体的で実践的な目的に合った評価方法があるべきだと思うのです。

クルマとかロボットとか、そういった具体的なものに利用できる資質をどれだけ持っているのか?というのはとても参考になると思います。

そこまで対象を絞ってしまうと、必要なものは限定的になってしまいそうですか?
クルマしか作れないんじゃないか?
ロボットを作ることにしか役立たないのではないか?
って。

実はそうではありません。

ものづくりが素晴らしいのは、知識やスキルだけではたかがしれていることが簡単に分かるからです。

単に知識やスキルがあるだけでは大したものは作れません。
企画力やチームワークや勇気や持続力…数え上げたらきりがありません。
そういったものは、単体としての評価が凄く難しい。というか、できない。

そして、そこから得たものは、他の分野でも大いに役に立ちます。
本質的な部分は変わらないから。

で、どうするの?
ってとこですね、重要なのは。

価値って何だ

無難に賢くやろう
なんてのは、無難どころか大抵うまくいかない。

これは自分の過去の経験を振り返っても、学生達を見ていても思うこと。

無難に賢く
なんて思っている時、その対象をどうしたいと思っていますか?
ものを作ることを想像すると良いかもしれません。

そういう時は、「要求レベルに達すればいいんでしょ」と考えて、今知っていること、今できることで最低限にやろうとします。

そうやって作ったものは、面白いものでは無い。
だって最低限なのだから当然。

さらに、往々にして狙ったレベルよりも低いところに到達してしまうものです。

何でそんなことになってしまうのか?

理由は凄く簡単。

無難に賢く
と決めた理由は何のためでしょう?

自分のためです。
さらに楽をするため。もちろん自分が。

そんなもの、他人が見て面白いわけはないのです。
他人からは価値が無い。

そんなの当たり前です。
でも、学校でそういったことを考えて、気付くチャンスはほとんどありません。

価値とは何か、それはどうやって形づくるのか
それを知らなければ、「仕事とは何か」という本質的な部分を理解できないまま社会に出るしかありません。

そういったことに気付いて、トレーニングできると良いのですが、そういったことって知識だけの話では無いので、授業には向いていないのでしょうね。

チャレンジとか、それを支えるモチベーションとか、そんなの知識として伝えて、テストで評価できるようなものでは無いですから。

価値は金額ではありません。
価値を形づくるのは、知識やスキルだけではありません。
それらの上流にあるものです。

道徳と価値の創造は似ている
と言ってもいいのかもしれない。

技術は人なり
そういうことです。