必死さの価値

我が国は先進国の中でも、貧富の差が少ない、もしくは見えにくく、皆がそこそこ豊か。
で、安心、安全、便利。
そんな世の中なのは結構なことなのだけど…

何事も多面性があって、善悪二元論で割り切ることはできない。
何事も固定された価値観で判断するのは危険。

安心、安全で便利な世の中
そんな世の中になると、必死になる必要が無い。
動機が無いから。

でも、大変な思いをしないと得られないものはある。
必死にならないとできないことはある。
そういったリスクと引き換えになるものは、大きな価値を持っている。

必死な状況に置かれる事による負荷やリスクを回避する
それと
必死さの先にあるものを取りに行く

それらを秤に掛けて、どちらを選ぶか?
それは価値を生み出す立場に立つか否かを選んでいるということなのだけど。

でも、大抵はそのような比較をするまでも無く、ほとんど反射的にどちらかを選んでいるのが実情でしょう。

その反射的な反応は、恐らく環境によって構築されて習慣化されたもの。
そう、安心、安全で便利な世の中になることによって。

では、安心できない危険な世の中なら、そんな環境なら良いのか?というと、決してそんなことはない。
でも、そんな安心できない社会に生きる人が、我々が持っていない感性や価値観を持っていることも事実なわけで。

結局の所、環境に流されたり、既存のお仕着せの価値観に無条件に流されるのではなく、必死にチャレンジして自分の価値観を構築していくことが大事なんだよな、と激変する世相と学生達を相互に見ながら、なぜがそんなことを思うのでした。

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