高市さんが「馬車馬のように働く」と言ったとかで、早速メディアが揚げ足を取っていますね。
お勤めご苦労さまです。
対して、賢明な国民は
「いや、それ、議員のことでしょ?」
という冷静かつ真っ当な切り返しをしていたりするわけですが。
やりたい人にはやらせたらいいのです。
やりたくない人に無理にやらせるから、うまくいかない。
そもそも、やりたくない人とやりたい人を、同じリミットで縛るのは不合理です。
やりたい人はやる気を失い、やりたくない人はストレスに曝される。
やりたい人に「もうその辺で…」と言うと、低い天井に慣れてしまい、限界を上げられなくなる。
限られた時間でやりたいことをやろうとしても、結局は時間というリミットを超えることはできないから。
「継続的にやりたい」と思っている人は、自分でやり方をコントロールします。
続けられないやり方で走り続けても、ゴールに到達できない。
だから、続ける人は自分のペースを自分で作ろうとする。
やりたくない人にやらせたら…
結果はたかが知れています。
だって、やりたくないのだから。
両者が満足するルールなんて存在しない。
ワークライフバランスとか言うけど、それって、自分で決めちゃいけないの?
「ライフ」、つまり人生とか生き方に関することなのだろうけど、
それすら他人が決めたことに従わないといけないの?
やるだけやってダメならしょうがねぇ、って生き方をしてはイカンのだろうか?
他人から押しつけられる“ワークライフバランス”のようなものが、
チャレンジを抑制する空気を作っているのではなかろうか?
なんて思ったりします。
さて、では「やりたくない人」はダメ人間なのでしょうか?
多分違う。
そもそも「楽したい」という本能的なものがあることに加えて、恐らく多くは…
やりたいことをやらなかった、
あるいは、やっていることを「やりたいこと」に変換しなかった。
それを続けているうちに、「やりたいこと」って何なのかが分からなくなってしまったのではないか。
さらに、やりたくもないことに乗っけられてしまう環境があるのは確かでしょう。
自分がやりたいことよりも、誰かが言った「良い学校」「良い会社」に属するのが幸せなのだ、と。
むしろ今や、それが普通なのだろうか。
でも、本当は、誰だって「やりたいこと」のかけらは持っている。
それを掘り出せる環境や仲間がいれば、
もう一度、自分の速度で走り出せるはず。
「馬車馬のように」というより、「自分の足で、好きな方向へ」。
そんな走り方ができる人が増えたら、世の中もっとハッピーになるのではないかと思います。