ダメ出しは人生の研磨剤

成長するには評価が必要
現状が分からないと先に進めないから。

自分でやったことに対して
自己評価や自己点検をしても
自分が大丈夫だと思っていることは
大丈夫なようにしか見えません。

そのまま進んでみて
壁にぶつかったり
崖から落ちたりするのも
良い経験なのですが
限られた時間内にできるだけ成長したいなら
悠長なことを言っている場合ではありません。

外からの評価を入れて
自分の立ち位置を確認すれば
現状の確認ができます。

それを元に考えれば
どうすべきかが見えたりします。

ある程度経験を積めば
客観的な視点を持って自己点検できるのだけど
ビギナーには難しい。

でも、経験が無いうちって
外部評価が怖いのですよね。

ダメだって言われるのは嫌なことでしょう。
そりゃそうだ。

でも、宝石の原石は磨かないと光らないのですよ。

若いってことは
時間という最強のリソースを持っている原石のような状態です。

人生のどこで輝くか
それを決めるのは自分自身ですが
そのためには磨かないといけない。

ちょっとやってみて
まだ光ってもいないのに
早々に諦めるのも自由です。

でも、ダイヤモンドみたいに最高に硬い鉱物は
磨いて光らせるのも大変なわけで
ちょっと磨いてみて諦めるのはもったいない話です。

さぁ、限られた時間で
どこまで磨けるかな?

「何ために」はどこに向いてる?

当たり前の話なのですが
仕事は人のためにするから価値があるわけで
その辺を学生に理解して欲しいな
と思ってはいますが
若い人には理解しにくいことの
一つなのかもしれません。

でもいいのです。
そんなことは色々やっていく中で経験して
気付きを得ればいいでしょう。

コンペティションで勝ちたいなら
単純に「やってみたい」
「勝つためなら何でもアリ」
で良いと思うのです。
興味や優位性、独自性は大事ですから。

学生のうちは
特に初動においては
まずはそのような価値観で動いて良いと思います。

大抵は視野が狭くて
ピンポイントなところに魅力を感じたりするわけで
内的な欲求や私的な成果のために何かをやろうとするわけで
それが入り口でも良いと思います。

経験が不十分で視野が広がっていないうちから
「他のために」というのは理解できないでしょうから。

それを理解してからものごとに取り掛かる
ということができれば良いかというと
そうでもありません。

狭い視野で我欲に突き動かされて
失敗して行き詰まって
そこで得られる気付きというのは
単に人から教わるのとは重みが違います。

失敗や行き詰まり
それを克服すること自体が成長ですから。

いっぱいものごとを知るのが成長ではないのです。

なので、「まずやる」「ダメなら変える」
くらいで良いのだと思います。
というか、それがベストです。

最初は内的で私的であっても
続けていくうちに
それでは継続できず
成果を出せず
自分達を支えてくれているもののために
成果を出すべきだと気付く。
これが学びで成長だと思います。

そして成長していって
最終的にどこに向く必要があるかというと
社会に向かなければならない。

社会のためにならなければ
それらは価値を持たないし
そもそも公益がないものは持続不可能ですから。

というわけで
最初からパーフェクトである必要はないし
むしろそうあるべきではないのかもしれません。

最初から考えすぎると動けなくなるし
間違った考えで動いてしまって
それに気付くのも学びだから
どんどんやって
転んで立ち上がって
ジタバタすればいいのですよ。

大きなビジョンを持つのも行動するのも自由

渋沢栄一が今ホットなんですか?
TVでドラマ化か何かされたのかな。

よく分からないけど
良いことですね。
日本の未来を考えて
頑張った人に注目が集まるのは良いことです。

でも、渋沢栄一の生き方を参考にして
そんなふうになりたいと思う人はいるのでしょうか。
我が子にそんな人生を歩ませたいと思う親はいるのでしょうか。

もっとも、当時とは時代が違うので
同じようなことはできないでしょうけど。

渋沢栄一は、チョンマゲの時代から
日本が西洋文化を取り入れる
大きな変革期に生きた人です。

さぞや立派な教育を受けた
高学歴で頭の良い人
だと思いますか?

全然違います。
興味がある人は本を読むなりして
調べてくれれば良いかと思いますが。

そもそもは、今の埼玉県の
深谷あたりに生まれたのではなかったかな。
農家の生まれで藍染めに使う藍玉の生産とか
売買をしたりしていたそうなのです。

その後、高崎城を襲って武器を強奪して
当時の横浜にあった外国人居留地を
襲撃することを計画します。
攘夷ってやつですね。

結局、説得されて襲撃は諦めるのですが
その後、攘夷派から言ったら敵方の幕府側に立って
幕府が倒れた後も日本の未来のために活躍するわけです。

まさに波瀾万丈な人生です。
TVなどのメディアも良いですが
ぜひ本を読んだりして欲しいと思います。
その方が面白いから。

さて、このように渋沢栄一は学歴はないですが
日本の未来のために
という筋を一貫して通した人生を送りました。

今、我々がいわゆる文化的な
豊かな暮らしができているのも
渋沢栄一の活躍があってこそ
と言えるかもしれません。

こんなストーリーを見ていると
そもそも学びって何なのだ?
と思います。

もちろん、当時と今では時代が違っていて
社会のシステムも違うので
単純な比較はできません。

時代が人をつくる
という側面もあるのでしょうし
今の世に渋沢栄一のような考え方と
行動力を持つ必要があるのか
と言ったら疑問ではありますが。
…あるかもしれませんが(笑)

大事なのは、生まれがどうであろうが
学があろうが無かろうが
大きなビジョンを持って行動するのは
自由だということです。

そういうことは
他人に決めてもらうことではありません。

自分の持つビジョンの実現のために
必要なものを得ていく
それが学びなのでしょうね。

出来の良い、いい子だったら
いずれ大きなビジョンを持つだろう
なんて逆説は成立しないと思います。

良い部品を集めてきて組み立ててみたら
良いクルマができちゃった
なんてことはあり得えませんから。