AIに思うこと

このところサーバーのメンテナンスでヒーヒー言ってます。

色々プログラムのソースコードというか、そんなのをいじり回して、バグやらエラーが出たら修正して…
頭がパンクしそうでしたが、何とか形になってきて、だいぶ落ち着いてきました。

そもそも私は、どちらかというとメカ屋なので、そういうのは本職ではありません。
なので、あまり得意ではないのですが、前職の時からネットワーク組んだり、設定したり、というのをやっていたので、多少は理解できるのです。

今回は、私にとってはそこそこ難易度の高い面倒な作業だったので、生成AIの力を借りたわけですが…
いやぁ、お陰で助かりました。
いくら生成AIの力を借りたところで、基本的な知識とか用語とかは分からないと手に負えないとは思うのですが、AIは作業者の能力を数倍ブーストしてくれる感じです。

今回の作業の前も、生成AIにパソコンの中の大量のファイルを検索して、条件によって処理するプログラムを作ってもらったりしてました。

で、前々から思っていた
プログラマー要らずでプログラムを作れるのが理想だよなぁ
という世界が、具体的になってきたのを実感しました。

確か、以前からGUIでソースコードを作ってくれるようなソフトがあったとは思うのですが、対話して生成するとなると、ちょっと話が違いますよね。

しかし!
今日思ったのは、今の生成AIは、広大なネットの世界から事例やらノウハウやらを探してきて学習して提示するのだろうけど、皆がこのやり方でAIに頼ると、ネット上の情報は古くなったり枯渇したりするのではなかろうか?ということです。

今の我々の身近な生成AIは、ユーザーから言われたときに言われたことしかやりません。
しかしこの先は、AIが言われたことだけをするのではなく、自分で勝手に考えて学習する時代が来るのでしょうね。

果たしてどんな世の中になることやら
そんなことを改めて思った一日でした。

今後の教育のあるべき姿は? その5

仕事をする上では、気持ちよく継続できることが大事です。
じゃないと、力を発揮できないし、継続も難しくなりますから。

で、気持ちよく仕事をするためには何が必要か?

収入?
もちろん、そうかもしれません。

が、その収入を生むのは何?

成果ですね。
そして、その成果は誰かの役に立っていることが前提です。

じゃないと、対価は得られない。でしょう?
そして、感謝されればなお良し。
誰かの役に立っているという実感が無ければ、継続は難しい。

そう、大事なことを忘れてはいけません。
仕事は、相手のためにするのです。

そんな基本的なことを忘れがちではないですか?

我々は皆、消費者でもあります。
その視点で考えてみましょう。

自分が儲けることばかり考えている店員
利用者のことを考えていない製品

そこに価値を感じますか?
という話しです。

ものを売る人、作る人
その人となりが、サービスや製品の質に現れてくるものです。

もちろん、一人で何でもできるわけではありません。
なので組織が必要なのです。

機械的に言われたことをすれば、対価が口座に振り込まれる
それじゃぁ、あまりにつまらないし
価値の大きさとしても最低限でしょう。

喜びを感じながら仕事をするから
相手が喜んでくれるから
成果を出せるし、継続ができる。

とか考えていると、本質的には大事なのは道徳心なのだろうな、なんて思うのです。
その上で、「こんな人を、こんな風に喜ばせたいな」というビジョンを実現するために、知識やらスキルやらの、定型的なものが必要になるのです。

というわけで、やはり「心」抜きでは、技術も教育も理想的な形にはならないところか、うまくいかないのだろうな、と思うのです。

今後の教育のあるべき姿は? その4

「社会に出て役に立つ」とは言っても、そもそも社会の側からのニーズが明確化がされてないわけで、それは問題でしょう。

そんなこと言い始めると、我々は具体的な知識とかスキルに注目してしまいます。
世には多種多様な仕事があるので、それぞれのニーズ合った特定の知識とかスキルに。

とはいえ、そんなに細々とやるわけにはいかないので、様々な仕事に共通して利用できる、汎用的な知識とかスキルとかを中心として身に付ける。

加えて、将来どんな仕事をするのか分からないのだから、どんな仕事についても、そこそこ潰しが利くように、色々な分野からピックアップした多様なものをゴッソリ学ばせればいいじゃないか、となるわけで。
そして、それを高度化していくと、何の役に立つか良く分からない専門知識と称する難しい学問を修めることになる。

ところが、学んだもの全てが必要なのかというと、残念ながらそんなことはありません。
というか、ほとんどは使わないまま仕事をして、定年を迎えます。
大学で学んだ多様な知識をフルに使ってやるような仕事は、全く無いと言っても過言ではないくらい。

とはいえ、色々知識があった方が良いのは事実でしょう。
しかし、そのほとんどは使わないというジレンマ。
その狭間で起きるのは、熱意の低下。

で、ここで思うのです。
皆が同じじゃなくて良いじゃないか、と。

色々知識を得ておきたいのなら、そうすればいい。
言われたことをキッチリできる人になりたいなら、そうすればいい。
何かピンポイントで強みを伸ばしたいなら、そうすればいい。
自発的な行動やアイデアで勝負してみたいなら、そうすればいい。

そんな風に、多様な動機をベースにして、それぞれに敵した取り組み方があるのであれば、もっと自発的に能力を伸ばすことができるのではないかと思います。
この本質は、学び方の多様化というより、自発性の発動にあります。
心のパワーが低い状態で、知識だのスキルだの言ったところで、たかがしれているのです。それは教わる方も、教える方も。

やる気が十分では無い状態で、学びのレベルを上げていくとどうなるか?
そんなのは、すでに皆分かっているでしょう。
逆に、やる気が先走っている者に、ツールとしての知識とスキルを与えると何が起きるか?
私は知ってますよ。

動機が無い状態って、モチベーションが無いってことです。
それは心の問題です。

理屈では現状は変えられません。
現状を変える根源にあるのは、人の心です。