動力の話その7 拡張されたエコシステム

動力の話からは外れてしまうかもしれませんが、実は動力はこういった全体の一部なのです。
ということで話を締めくくりたいと思います。

そもそも、道具やテクノロジーを持たなかった頃の人間は、食べたもののカロリーによって、体を動かすというシステムです。
とはいえ、その食物も自然界から得ていたわけですが。
そして、自然は主に太陽からのエネルギーで成立していたりするわけで…
結局のところ、人が摂取できる食料も持つカロリーと、体力で仕事量が決まる。
記事にはしていないけど、、道具の工夫も重要な要素。
そんなエコシステムです。

今回の動力の話は…

人の持つ限界を超えるために、より力の大きい家畜の動力を使った。
当初は、ものを運ぶとか、畑を耕すといった仕事だった。
エネルギー源は自然から得た餌。
これにより、楽に大量の仕事ができるようになった。
設計要素としては、家畜に取り付ける器具や道具。

その後、機械を組み合わせて、水を汲み上げるとか粉を挽くといった発展をした。
しかし結局は、動物の持つ力の限界や、安定性などが限界になる。
しかし、機械要素の設計技術は発展。

そこで、力の発生源そのものを機械化する。
システム全体が人による設計となる。
エネルギー源は、餌から化石燃料へと変化。
より安定した仕事、よりパワフルな仕事ができるようになった。

そんな風に、動力源を家畜から人工のものに置き換え、エネルギー源は化石燃料を用い、ますます楽に大量の仕事ができるように発展してきましたわけです。

そして、そこに制御が入り、自動化ができるようになりました。
当初は機械による制御でしたが、後に電子制御になり、コンピューターが発達して、より安価で高度な制御が可能となりました。
加えて通信技術が統合されて、遠方からの制御も可能に。

そして今、この地球規模で制御が可能となった巨大なエコシステムに、人工知能が加わりつつあります。
それと同時に、エネルギー問題と環境問題が顕在化しています。

巨大なエコシステムを維持・発展させるには、膨大なエネルギーが必要です。
巨大じゃなくても、文明を発展させるためにはエネルギーが必要。

エネルギーを消費すると、基本的にCO2が出ます。
人だって、家畜だって、機械だって
動作時はもちろん、作るときも、処分するときも
CO2を出すな、というのは、発展するなというのと似たようなものです。

果たしてどうなることやら。

動力の話その6 ガソリンの正体

ダイムラーとベンツガソリンエンジンで走行する自動車を開発したわけですが、その当時ガソリンがあったのか?一体何に使われていたのか?

実は当時(1880年代末〜1890年代初頭)、ガソリンは一般人が手軽にどこでも入手できる燃料ではありませんでした。

19世紀後半(1870〜1890年代)は、ランプの燃料として灯油が主流でしたので、当時の石油産業の主目的は、原油から灯火用の「灯油(ケロシン)」を得ることでした。
ちなみにそれ以前は、鯨から採った鯨油や植物油がメジャーな液体燃料でした。

原油から灯油を精製する際、副産物としてガソリンが生成されてしまうのですが、引火性が高く、危険で厄介な物質とみなされており、多くは捨てられて、一部は化学実験用や洗浄用として用いられていました。
なので、今のように手軽にガソリンスタンドで給油できるようなシロモノではありませんでした。

有名なエピソードに、開発者ベンツの妻、ベルタ・ベンツのドライブの話があります。
ベルタは、夫に内緒で試験走行を敢行したのですが、燃料は途中で切れてしまいました。
そこで彼女は、薬局に立ち寄って燃料を購入しました。
そう、薬局で燃料を購入したのです。

当時、薬局では「リグロイン」または「ナフサ」という名で販売されており、これはガソリンとほぼ同等の化学物質でした。
ちなみに、その時の薬局は現在、「世界初のガソリンスタンド」として記念館になっているそうです。

参考:当時のガソリンの入手経路
薬局(薬品として販売) 化学溶剤・洗浄液として少量販売(高価)
化学商(薬品卸) 実験用・工業用ナフサとして扱いあり
石油精製所の副産物 灯油精製の副生成物として廃棄同然に存在

ダイムラーやベンツは、直接化学商や精製所と契約して入手したそうです。

このように、動力用の燃料の歴史は
薪 - 木炭 - 石炭 - ガスやガソリン
と移り変わってきたわけです。

薪の持つエネルギー量を1とすると、木炭は2で、石炭は2~2.5くらいの違いがあるという話はすでにしました。

ガソリンは薪の3倍のエネルギー量を持ちます。
液体燃料のエネルギー密度は高いのです。
なので、より軽量で動力の性能が高い機関を作れる可能性があるということです。

また、原油からは、重油、軽油、灯油、ガソリンなど、多様な燃料の他、アスファルトやプラスチックなど、様々なものの原料も得ることができます。
ただ、困ったことに、埋蔵量には限度があり、CO2排出の問題もあるのです。

単に動力などのためのエネルギーとして「電気と入れ替えればいいじゃん」とならないのは、その電気ですら石炭やガスや液体燃料からのエネルギー変換で生み出されるもので、自然から採掘されるわけでは無いし、原油のような原料を生み出すわけでもないので、電気とガソリン、どっちがいい?といったような単純な話では無かったりするのです。

ちなみに、ニコラ・テスラによって、交流モーターが発明されたのは1888年です。
1821年のファラデーによる電磁回転運動の発見から実に60年以上経って、電動モーターが生まれたということです。

そして、1892年には、 ディーゼルによって高効率内燃機関であるディーゼルエンジンが発明されました。

ヘンリー・フォードが自動車を製作したのは、ダイムラーとベンツによる自動車の発明から10年くらい後の1896年です。
その頃、世には蒸気自動車と電気自動車、ガソリン自動車が混在していて、蒸気自動車が一番パワフルだったのです。
そして、エジソンは仲良しだったフォードに、「ガソリン自動車は有望だから頑張れ」と言ったそうです。

つづく

動力の話 その5 蒸気機関からガソリン機関へ

炭鉱で水をくみ出すポンプを動かすための蒸気機関が登場した後、いよいよ移動のための機械、自動車やら鉄道車両の発明と発展に行くわけですが…

この辺の歴史がややこしい。

1769年に、フランスでニコラ=ジョゼフ・キュニョーが蒸気機関で走る「砲車」を作ります。大砲を運ぶためのクルマです。
これは 木でできた荷車のような車体の前端に蒸気機関を取り付け、それで前輪を駆動し、走行速度は時速4km程度。人工動力で走る世界初のクルマです。
ただ、この砲車は、初走行でブレーキが効かず、操舵ができず、壁に激突して廃車になってしまいます。
この砲車は実働可能なレプリカが製作され、現在は博物館に収蔵されています。

それからずいぶん経った1801年に イギリスのリチャード・トレビシックが「蒸気馬車(Steam Carriage)」を製作し、公道を走行。
この時点では、実用的な乗り物というより、物珍しい乗り物、といった感じでしょうね。

そうなったら次は乗用車が!
と来そうなものですが、そうはいきません。

1804年 に、蒸気機関車が製作され、鉄道レール上を走行。
これは石炭輸送に使用されました。
石炭を使って炭鉱のポンプなどを動かすように、石炭を使って石炭を運ぶ、となったわけです。
もちろん、そうした方が効率が良いからです。

1820〜1830年代には、蒸気バスの商業運行が始まります。
が、 早すぎた技術として失敗。
しかし、後のバス産業の原型となります。

ここまで、燃料は石炭の時代です。
でも、クルマの世の中が始まりそうな雰囲気になってきましたね。

1821年 ファラデーが電磁回転運動を発見します。これは後のモーターの原理となります。
が、ここでは「原理」だけです。

1860年に、ルノアールによって、ガスで動くエンジンが作られます。
ここでやっと内燃機関の始まりとなります。
ここでのトピックは、ボイラーを使った外燃機関である蒸気機関から、機関の内部で燃焼が行われる内燃機関になったことと、燃料が石炭からガスになったことです。
ただ、この時点では、コンパクトで高回転の我々が想像するエンジンとはほど遠いものです。

1876年、オットーが4サイクルエンジンを発明。これが自動車エンジンの原型となります。
そして1885年、なんとキュニョーの砲車から100年後に、ダイムラーとベンツのそれぞれが、ガソリンエンジン用いた自動車を実用化。

はい、これでやっとガソリンエンジンの自動車まで来ました。

しかしここまでの歩みは、エンジンや車体のみにフォーカスするのでは無く、複合的な要員があったと見るべきです。

工業技術の進化はもちろん重要ですが、その土台にある燃料の変化も重要だったりします。

燃料は、木炭から石炭、ガソリンへと、同じ体積や重量で比べると、より大きなエネルギーを持つ、エネルギー密度の高いものに変わってきたわけで、それが実用的な動力源に必要だったわけです。

つづく