投資だって「保証」は無い

投資の話で思ったのだけど…

これは、そういうセンスが無い私だから思うことなのかもしれませんけどね。

投資の対象は、自らコントロールできませんよね。
予測の付かない未来においては
予想外の事態が起きる可能性があるわけで
それはもう仕方ないことなので
それを恐れても仕方ない気もします。

そうなったら、その時はその時だ!

なのですが
それに賭けるのはどうかな?

というのも
投資に賭けることによって
それ関連の知識や経験は積めると思うのですけど
それで勝負していけるのか?

余裕があって、投資”も”というならそれもアリだとは思うけど
そもそも若いうちにそんなに余裕があるわけ無いでしょうし。

さて、ここまでは前振りみたいなもので
本題はここから。
投資の話ではありません。

世間でよく言われるのは
リスク回避のために分散するとか
色々とあった方が選択肢が広がるとか
ってこと。

確かにそういう考え方もあるでしょうけど
それ、本当か?
と、思っちゃうのです。

色々心配だからと言って
持てるリソースを分散すると
投入先それぞれのパフォーマンスは低下するでしょう。

選択したくない選択肢が増えたところで
それはどうなのでしょうね。

それに、そのやり方が他の多くと一緒ならば
競争力や差別化にはならないよね
ということです。

結局のところ
分散しようが
色々手を出そうが
保証なんて無いのです。

当然
一点集中でやっても同様です。

なのですが
分散すると、対象をコントロールしにくくなる

対して
一点集中なら、対象をコントロールしやすい

そういうのもリスクコントロールであって
その辺を考えるのも大事ではないでしょうか。

まぁ、自分にとってのリスクは何なのだ?
という話でもあるのでしょうけど。

何をどうするかは個人の自由なのですが
限られた自分のリソースをどう使うか
ということ自体を考えるのは大事です
というお話しでした。

NISA貧乏に思う

今話題の「少額投資非課税制度」、NISA。

そして最近、若者達が将来を心配して、十分とはいえない収入から投資に資金を使い、貧乏になってしまうという「NISA貧乏」が問題視されているようです。

気持ちは分かります。
こんな世の中ですからね。
平均寿命は延びるのに、年金がどうなっちゃうか分からないとか
社会の情勢だって、どうなるか不透明で、何の保証も無い。
そもそも昔から保証なんてありませんでしたが。

なので、NISAに投資したければ、すれば良いと思うのです。

その分、自己投資が抑制されて、自分が将来に向かって生み出していける価値も抑制されるわけですが。

別に脅すつもりなんて無くて、それが分かっていて
それでもやってみたいなら、やってみれば良いと思います。
意地悪で残酷かもしれませんが、そこから学ぶこともあるでしょう。

フルパワーで投資していたら生活が困窮して
さらに、将来を考えると先細りになることに気付く時が来るかもしれません。
それも大きな気付きで学びです。
開始時期が早ければ、その気付きも早期に訪れるかもしれません。
なので、やりたければ早めにやってみたら良いでしょう。

もっとも、それでうまくいっちゃう可能性も…あるのだろうか?
私は、投資とかのセンスがないので分かりませんが。

私は学生時分から前職のサラリーマンまで
自らのレース活動に投資していたようなものです。
あとはもちろん、自らの仕事への投資ですね。

いつまでも生きている保証なんて無いのだから
というのが前提になっていました。
投資なんて眼中になかったし
生命保険なんかも入りませんでした。
バカですね。

もちろん、普通の人が楽しむようなことはできませんでした
というか、そもそも興味ありませんでした。

でも、そのお陰で色々と手に入れることはできたと思っています。
それらは、資格や学歴のように、目に見えるものではないけど。
だからこそ大きな価値が得られた実感があります。

現に、楽しい仕事ができたし、さんざん好きなことやった末にメシ食えていますしね。

学歴とか資格とか資本とか
目に見えるものって、多くの人が持っているわけで
あまり独自性が無かったりします。
でも、それらを持っていると安心なのかもしれません。

対して、私はそういうのは性に合わないというか
今になってみると「腹を括ってた」のかもしれません。
楽しかったので、自覚はありませんでしたが。

そして、そこから得たものは何なのだろう?と考えると…

やらないと分からないノウハウとか感覚とか
人間関係とか
そういったものだと思います。

それらのレベルは決して高くはないかもしれませんが
教科書はもちろん、ネットからは学べないものばかり。

というわけで
やりたいことをやってみたら良いと思うのですよ。
そこから学べるなら無駄な経験なんて無いのですから。

安定は継続できない…ではどうする?

多くの人は「安定」を求めますよね。
それは生存本能から来るものだったりするでしょうし
特に昨今のような不安定で先の見えない世の中ならなおさらでしょう。

では、安定を求める時、我々は何をするのでしょう?

今の状態を保ちたいのだから、何もしない?
理想の状態にたどり着いて、それを保ちたい?

いずれにせよ、最終的には上がりも下がりもしない状態
つまり静的な、安定状態にしたいと思うのではないでしょうか。

何もせずとも済む状態
とか
同じことを繰り返せば良い状態
そういったところに持っていきたいのでは?

しかし!

状態を安定させるためには何もしなくて良いのか
というと
決してそんなことはありません。

一見安定した状態でも、全く何もないわけではない。

多くが忘れがちなのは
外乱があるということでしょう。

イレギュラーは起きる
想定外は起きる
自分に変化が無くても、外部が変化して、相対的な状態が変わる
そんなことは必ず起きます。

加えて、我々人間は一人では生きられないので
相互に依存する必要があります。
そんな環境で
「自分は安定したいから
他のことは知らん」
とかやっちゃうと
途端に色んなことがうまくいかなくなったりします。

そんなことを考えていると
一口に「安定」とは言っても
なかなか難しいことだよなぁ
なんて思うのです。
特に利己的なケースは。

そう。皮肉なのは
自分のことばかり考えていたりすると
自分すら生きづらい状態になりがち
ということ。

ならば、逆をやれば良いってことなのです。