オタクの話

↑ChatGPTが想像するオタクの姿。へー。

最近ではあまり聞かなくなりましたね。
「オタク」というワード。

かつては強烈なアニメファンを指すワードとして、そこから様々なマニアを指す際にも使われてきました。

ただ、単なるマニアでは無く、一般的なというか、常識的な一線を越えたようなマニアっぷりを持つ人を指す場合が多いのではないかな。

「プロフェッショナル」は、その働きが多くに向けられる場合が多いですが、「オタク」は、価値観を共有できる少数が価値を発信する対象でしょう。

正直なところを言わせてもらうと、私はオタク的な気性を持つ人は嫌いではありません。
というか、むしろある種のリスペクトすら感じます。

それはなぜか?

彼らは常識的な一線を軽々越えてしまうパワーを持ち合わせているからです。
というか、人の目を気にしていない?
そんなことはないだろうけど、閾値のレベルが一般的じゃないのかな。

そもそもレースをやってるとか、かなりオタクっぽいんじゃないかと思うこともあります。
一般人の持つ価値観とはかけ離れた感性とか価値観とか、変な拘りとかを持っているのは間違いないでしょう。

もちろん他の分野でも、そういった気質を持っている人はいるでしょう。
そんな彼らに共通するのは、自分の好きなことのために、普通の人が捨てられない何かを軽々捨ててしまう潔さではないでしょうか。

それ、うまくいくためには必須だと思うのです。
何のために、それをどの程度の高いレベルまで高めるか。
ブチ抜けて極みに達すれば、「凄い人」と呼ばれるようになるのでしょうね。
ま、そんなものでしょう。

変わるものと変わらないもの

製造業は国内回帰するのか?
かつては工業大国でもあったアメリカが、まさにこの問題に直面しています。
果たして狙い通りに変貌を遂げることができるのか?
狙い通りにならないにしても、何かしらの変化は起きるわけで、どういった形に落ち着くのか、それにはどれだけの時間がかかるのか、壮大なチャレンジが行われようとしています。

アメリカも我が国も同様ですが、国内の製造拠点をより人件費の安い国外に移転すれば、企業の収益は増大して、消費者は安くて良いものを買えるようになります。

けど、それまで国内で製造に従事していた人は職を失うという事態になります。
アメリカの場合、年齢が低ければ、職業訓練を受けるなどしてIT系の職に就くなどして、むしろ収入が上がる例もあるようです。

が、そうでない場合も多いでしょう。
なにせ大規模な製造業には多くの人員を擁しますから、それだけの人口を吸収できる仕事が必要になるわけです。
サービス業やインフラ関係など、後は何でしょう。やはりアメリカと言えば農業でしょうか。でも、新規参入は難しそうですね。
もちろん仕事を得られない場合もあるでしょう。

対して我が国はどうなっているのでしょう?
今は過渡期なのか、それとも製造業からシフトした人の受け皿が十分にあるのか?
そもそも労働人口が不足しているから問題無い?
実感がなく、良く分かりません。
工場の海外からの呼び戻しも無くは無いようですが、こちらもあまり実感がありませんね。

そもそも、人件費を節約するために海外進出したわけで、製造を国内に戻したら単純に製品価格が上がってしまいます。
なので、むやみにそうすることもできないのでは?

それにしても、製造を海外に出してコスト低減して、会社は儲かるようになったのかもしれませんが、国民の日々の暮らしが総じて豊かになったようには感じません。
で、「暗黒の~年」とか言われているわけです。

さて、これから我が国も製造を国内に戻す方向に行くのでしょうか?
そうならないにしても、何かしらの変化が求められるでしょう。
恐らく想像よりも早く…と思っておいた方が良いです。
というのも、変化が求められてからアクションをしても、大抵はオロオロドタバタして、うまく対応できないだろうから。

いずれにせよ、かつて理想的だった状態があったとして、そこへ戻ろうとしても無駄です。

一度なくしたものは復活しないから。
技術や文化など総じてそんなものです。

やめてもまたやればいいじゃん
のようなことを考えているなら、それは大間違い。

明文化できるものはそのまま残せます。
でも、文章や音声、動画などの視覚情報で伝えられることには限界があります。
やらないと分からない経験知などは、無くなってしまったら、もう分からない。

航空産業などは分かりやすい例です。

戦後、日本は航空機の開発を禁じられたので、航空技術者がいなくなりました。
その後も防衛産業として、飛行機を作ったりやめたり。
やめる度に施設は失われて、人もいなくなります。
「またやればいいじゃん」で以前と同じように再スタートできるかというと、そんなに簡単ではないのです。

というわけで、今後の我が国に限らず、世界中が未知の未来に突入していくことになる気配があります。
そんな未来に恐怖したところで事態は好転しないわけで。
ではどうしましょう?

時代が変わって、必要な知識やスキルが変化しても、恒久的に求められるものはあります。

困難に立ち向かい
屈しない心
乗り越える心

そういったものの重要性は、いつも時代も変わらないでしょう。
何事も始まりは「心」からです。

できればそういったものを、楽しさとか好奇心を動機として構築していけるとハッピーですよね。
なので、今のうちに好きなこと、楽しそうなことでチャレンジしておくと良いと思います。
その経験は近い将来、きっと役に立ちます。

いつやるのか?何をやるのか?

学生は色々やりたいことがあったりするでしょう。
そこでが陥りやすい間違いが今回のネタです。
学生に限らないかもしれないけど。

「なぜやらないの?」
という問いに対して

「できないから」
とか
「やったことがないから」
という答え。

一見もっともそうですね。

多くの場合、本当の答えは
「やりたくないから」
ではないでしょうか。

できないからやらない
できるようになったらやる

一見、凄くまともでもっともな気がします。

でもこれ、凄く変な理屈なのです。
やったことがないことは、やらない限りはできるようにならないから。

夢工房の学生達がやってるレーシングカー関連なんかは、凄く分かりやすい例です。

授業でどんなに一所懸命学んでも、車を作れるようにはならないでしょう。
座学や実習、実験などでは分からない事が多すぎるからです。
実際にやらないとできるようにはなりません。

クルマを構成する小さな要素であれば、それなりに理解することはできるかもしれません。
であれば、そういう感じで色々な小さな要素を学んで、それらを組み合わせればクルマが…

できませんよ。

この辺が大きな勘違いをするポイントなのですが、小さな要素を合体すると最終形態の製品になる?
なりません。

順番が逆だからです。

最終形態、つまりどのようなクルマにしたいかによって、構成する要素がどうあるべきかが決まるわけで、その逆はあり得ません。

「あり得ない」というのは言い過ぎかもしれませんが、仮にそのような要素から組み上げるプロセスでクルマを作るとどうなるか?

当然ながら
「こんなんなっちゃった」
というクルマになります。

想像が付きにくいかもしれませんが、恐らく、というか、ほぼ間違いなく…
見るも無惨な、滑稽な見た目の、何に使うか分からない、奇妙なクルマになるはずです。

個別の要素は優れていても、何のためなのか明確でない要素を組み合わせていったら、訳が分からないものになるのは当然なのです。

素晴らしい部品を組み合わせていったら、素晴らしいクルマができあがると思いましたか?
残念でした。

そもそも最終形態のクルマとしてのゴールが無い状態で、個別の部品に良いも悪いも無いのです。
あえて言うなら、目的の無い部品は良いものではありません。
だって目的が無いのだから、評価指針自体が無いのです。
そんなものを組み合わせたところで、良いものになるわけはありません。

これこそ「やってみないとわからないこと」です。
やるべきだと思ったことをまずやってみる。
すると必要なことが分かる。

やるべきだと思ったけど、まずは色々と細かいところから…
それはあまりに遠回りというか、取り返しがつきません。
それが習慣化すると修正が難しいし、時間は戻せないから。

恐らくその辺は、個別の科目を生真面目に学ぶ経験をしてきた学生達には理解しにくいところだと思います。

これ、学校の勉強だって一緒だと思うのですけどね。
個別の科目の出来が良かったり、さらに言うなら、学歴が立派だったりすると素晴らしい将来が待っているような気がしますものね。

成績が良かったり、学歴が立派だと将来の選択肢が広がる…とか最近でも言ってる人がいますが、それに対しては疑問を感じます。
確かに昔はそんなこともあったと思いますけど、そんなの20~30年前に終わっちゃってるはずなのです。

好きなことを突き詰めた結果、成績が良かったり立派な学歴を手に入れていたりすることはあるでしょうけどね。