二宮尊徳も言っている

200年くらい前に二宮尊徳が言っています。

行ひて教へ学んで行ふ
今の教ふる者、言うて教へ書きて教ふ、故に効なし

江戸時代に尊徳がそのように嘆くような状態になっていたのが意外ではあります。
が、この頃はすでに
町人層は識字率が高く、寺子屋が普及し、「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる教科書が大量に流通して、貸本屋も増加している
という状態だったようです。

尊徳は、農村の再興を手がけたことで有名ですが、その手法は
田畑を実際に耕し、村人と共に働き、その中で指導する
というものです。

そんな状態で、彼が問題にしたのは

  • 知識だけで完結する学び
  • 行動に接続しない教え
  • 体験を伴わない道徳講話

です。
もちろんそれは、経験に基づいて実感したということでしょう。

時代は繰り返すってことですかね。

夢工房の現状を振り返ってみると…

夢工房では何をやっているのか?
その辺をちょっと客観的かつ大雑把に見てみると…

異なる年齢層が一所に集まって、一つのゴールに向けて力を合わせて、主体的に努力している
より高い成果を得るために
継続するために

そんなことをやっています。
これは、彼らが社会に出た後に、絶対に必要になることです。

「学校で」という枠を外して見てみると、会社で仕事をするうえで必要となることそのまんまです。
彼らは、それを日常としてやっています。

やりたいこと

やるべきこと
が一致しているからこそ、日々頑張れるのでしょうね。

やりたいことを気が済むまでできる環境というのは、なかなか無いので貴重でしょうし、そもそも、そういう風にやりたい学生達も貴重です。
そういう環境を許容している学校自体も貴重です。
それらが融合している現状は、奇跡のようだと思います。

私は、こんな学生達の面倒をずーっと見てきました。
気付けば4分の1世紀です。
お陰で色々なことが分かったのですが、問題はそれをうまく言語化できないのです。

もちろんそれは、能力の問題もあるでしょうけど、どうも大事なことは言語や形式の外にある気がしてなりません。
とはいえ、頑張ってそれらを見えるようにしなければ、とも思っています。

いつやるか?

「やりたいこと」が「やるべきこと」になったらスタートしよう。

いつかそのうちやろう
なんて思うかもしれないけど、きっとそんな時は来ない。

自分がやりたいことをやったことがある人の話は参考になるかもしれないけど、当然ながら、やったことも無い人の話は参考にならない。

他人のアドバイスはありがたいかもしれないけど、自分と他人は違うのだ、という前提を忘れないように。

結局のところ、自分が信じたものが一番大事だということ。

やりたいことをやった結果、後悔するかどうかは分からないけど、きっと成長する。
やるとわかること、やらないと分からないことがあるから。
その経験はきっと活きる。

やりたいことをやらなかった後悔は、絶対にどうにもならない。
やらないことによって得られることは無い。