手段と目的を入れ替えちゃダメ

教育は手段と目的が入れ替わりやすい。
そんなお話しです。

学校教育は何のため?

社会に出たときに役に立てるように、知識とかスキルとかを身に付けるためです。
理想は、仕事ができるように…というか、仕事ができるように下準備ができることですかね。

夢工房では、学部4年間を卒業して、社会に出たら即戦力!というのが理想です。
そんなのを目指して頑張ってます。

話を戻して、一般的な学校教育です。
身に付ける知識やスキルは何かというと、それは手段です。

何のための手段かというと、社会に出た後に、何かしらの目的が現れますね。
「仕事」という名の。

なので、学校に身に付けるもののほとんど全ては「手段」です。

しかし、学校においては手段を身に付けるのが目的です。
そりゃそうだ。

多くの場合、手段は、狭い領域における特定の知識だったりします。
それを指示に従い習得する。
何に使うかよく分からないままに。

「そんなの分かってるよ!!」
と言いたいでしょうけど、実践抜きでは本質は見えないままです。

というわけで、知識とかスキルは手段なのに目的化してしまう。

問題は、この目的化された手段を与えられることによって、本当の目的が見えなくなってしまうことです。

多くの場合、工業系の知識やスキルは最終形態である「製品」です。
なので
製品はどうあるべきなのか
そのためには何が必要なのか
そういったことが最も重要で、そのために必要な手段を得るべきです。
もちろん、自分が「必要だ!」を思った上で。

というのも、何が必要なのかを考えて、それを手に入れるプロセスこそが重要だからです。
そこが一番おいしい部分だと思います。

というのも、そういう経験があれば、社会に出た後も自ら学べますから。

そこをすっ飛ばして、自ら考えること無しに、あらかじめ用意されたものを受け取るだけでは…当たり前ですが、受け取ることしかできなくなります。

つまり、仕事をする上で、言われないとやらなかったり、言われたことをやるだけになる可能性が高い。
習慣を甘く見てはいけません。
職場では、オブラートに包んだ言い方で
「真面目だよね」
なんて言われたりしますが。

まぁ、そういう人も必要と言えば必要なのですが、あまりハッピーではないと思います。
本人も周囲も。

ウチの学生達は
「あいつ変態だよな」
と言われて欲しい。

失敗や分からないことは悪いことじゃない

経験が無ければ仕方ないのかもしれませんが。

失敗すると怒られる
失敗すると恥ずかしい

分からないと怒られる
分からないと恥ずかしい

そう思ってしまう環境はありますね。確かに。
何なのでしょうね、これ。

一人で何かをやっているときは、そういうことはありませんよね。
まぁ、一人ですからね。怒られるわけはない。
そして、恥ずかしくもない。

怒られるのはなぜ?

相手の意にそぐわない場合かな。
まぁ、人に迷惑を掛けるのは論外として。

恥ずかしいのはなぜ?

他に対して劣っていることが明確になるから、かな?
相手がいなければ恥ずかしくないですから。

ま、それはそれとして。

この「失敗」とか「分からない」を、どう処理するかによって、キミの成長の度合いはもの凄く変わってくる…ということに気付いているだろうか?

これらが、恥ずかしいとか悲しいとか、ネガティブな感情に結びついてしまうと、その先はどうなるだろうか?

「もうやりたくない」
せいぜい良くても
「できればやりたくない」
かな。

何を「やりたくない」かというと、原因になった行動ですね。
そう、チャレンジです。

そこで負けん気が発動する人もいます。
それはそれで素晴らしい。

そうじゃないデリケートでナイーブな人は、どうしましょうか?
まぁ、経験が十分じゃなければ、みんなそんなもんですけどね。

相手に対して怒るとか笑うとか、それは何をしたいかというと、早い話マウント取りたいのですよ。優位性を示したい。
動物的な本能なのでしょうね。
なので、ある程度仕方ない。
だって、自然にやっちゃったりするから。

それに、リアクションをする相手は選べなかったりすることも多いです。
なので、その辺は諦めるか、環境を変えるしかないかもしれない。

でも、一番良いのは自分を変えることです。
相手は変えられないし、環境を変えるのは難しい。

さて、自分の何をどう変えたら良いか?

ズバリ、価値観ですよ。

失敗した

これは、「こうやったら、こうなる」が分かったということ。
これは、やった人にしか分からないことです。
良かったじゃん!

分からない

これは、「自分はこれが分からないのだ」ということが分かったということ。
分からない事が分からない人は沢山います。
良かったじゃん!!

不幸なのは
何をやったらどうなるか分からないということ。
分からない事が分からないままであること。

開発の仕事をしていたとき、一緒に仕事をしたくないのはどういう人か?

それは
失敗したことがない人
です。

そんなヤツと仕事をしたら…と考えると、ゾッとします。
開発はチャレンジなので、失敗します。
最終的に要件やら要求を満たす必要はありますが、そのためには、やったことが無いことに挑戦する必要があるからです。
失敗する度に思考停止したり、悲しみの淵に沈まれたらたまりません。

幸いにして私の場合は、周囲にはチャレンジャーが沢山いたので、楽しく仕事ができましたけどね。

問題と解決について

学生を管理する側は、問題が発生することを嫌がります。
なので、できるだけ問題が起きないように努力します。
当然ながら、学生は問題に直面する機会は最低限になります。
そして、問題に対する印象は良くありません。
問題に対峙した経験が少ないと、いざ事が起きたときに思考停止したりします。

当然ですが、ここで言う「問題」とは、テストの問題ではありません。
まぁ、学生にとっては、そっちも重要でしょうけど。

でも、問題を解決するのは重要なことです。

ここで言いたい「問題」は、自分が為すべきこと、為したいことに対する障害や不足です。
チャレンジの結果として発生したりするものです。

チャレンジの結果、問題が起きると、心がネガティブ側に振れてしまう?
ビギナーならありがちかもしれませんね。

しかし、問題が見えたこと自体が収穫なのです。
問題を解決すると、間違いなく改善するのですから。

問題が見えたということは、チャレンジできたということでもあります。

さらに、問題に向き合っていると言うことは、解決する意思があるということですし、解決する度に成長できるのですから、得したとも言えます。

開発職に限らず、仕事をしていれば何かしら問題は起きます。
問題を解決した経験があれば、その時必ず役に立ちますし、自分の存在価値が確立されるのはそんな時です。

面倒だけど、面倒だからこそ価値があるのです。
なので、価値観が問題に対する向き合い方と結果を決めると言っても良いかもしれません。

というわけで、問題は決して悪いことではありませんよ。
というのが今回言いたかったことです。

でも
そもそも問題が起きない方法はないのか?
という考え方も大事ですけどね。かなり。