「快適」なのはいいですが

人は快適を求めます。

不便がなくて楽ちんなのは快適です。

でも
快適な領域にいると成長できないのですよ。

新しい事を始めたり
色んな人と会ったり

そんなことをすると
ひょっとしたら失敗したり
傷付いたりするかもしれません

なので
そういうのは
快適な領域から出る
ということになりますね。

でも、新しい発見とか経験をして
成長するにはそれしかありません。
大なり小なりチャレンジが必要だ
ということです。

不便がなくて楽ちんな環境は快適ですが
そこに留まって安住してしまうと
行く先はどこまでも快適な世界なのでしょうか。
まぁ、考えるまでもないでしょう。

むしろ
快適な状態に安住して
成長できないことが不快なのだ

と価値観を入れ替えてしまってはどうでしょうか。

で、チャレンジャーになりましょう!

ずっと同じじゃつまんないじゃん!
いつか変わる?
誰かが変えてくれる?
そんな時は来ませんよ。

快適な状態を保って
知識を蓄えていけば
ノーリスクで成長できるのでは?

そんなふうに思いがちかもしれませんが
それ、成長ではないです。
価値は高まりません。
満足感は得られるかもしれませんが。

価値は自分から他に向けてアウトプットするものです。

知識を蓄えるというのはインプットすることです。

「知識を蓄えれば価値が高まるのでは?」
というのは
「インプットすればアウトプットできるようになるのでは?」
というようなことで
理屈が破綻しています。

「知ってる」と「できる」は違う
というのはそういうことです。

「膨大な知識を持っているけど、何もできない」
よりも
「大して知らないけど、ちょっぴりできる」
の方がマシです。
それを繰り返していけば、結構なことになりますから。
凄いスピードで繰り返せば凄いことになります。

「今はいっぱい蓄えておいて
あとで思いっきり使う時が来るのさ!」

「あとで」ね。
それ、いつ?
そんな時は本当に来るの?

そんなこと言わずに
今、チャレンジしましょう!

やるかやらないか いつやるか

「どうしようかなー」
と迷ったとき

大抵のことは
やった方がいい

しかも
すぐやった方がいい

まぁ、ものごとにもよるとは思いますが
どんなものごとならやるべきか
というのも
判断材料は過去の経験です。

なので、若いうちは
やった方がいい

その結果を経験として
未来の判断材料にすべきです。

誰かに聞いたり
何かを見て参考にしたり
そんなのもいいかもしれませんし
時としては必要でしょう。

でも、どうするかは自分で決めて
やってみましょう。

そもそも
人に聞いたことを真似てやってみたところで
同じ結果が出るとは限りません。

特に自分の人生に関することは。

失敗したくないから
なんて考えて
人に決めてもらっていたら
そんなのは自分の人生じゃないですものね。


決めたらやりましょう
すぐにやりましょう

結果はどうであれ
早く分かれば、その分早く次の手を打てるから。

冷めたピザは美味しくないのですよ。

必要以上に時間をかけるということは
価値を増大させるどころか
価値を低下させる

時間切れになったら価値はゼロです。

それほど分厚い人生経験があるわけじゃないけど
たぶんこれは確かです。

長い時間迷ったり
判断を他人に委ねたり
実行を先送りにしたり

そんなこともしましたけど
大抵は良い結果に繋がりませんでしたから。

この件に関しては
まだまだ修行中で
まだまだ納得いってませんが
でもこれは確かだと思います。

そもそもね
長々と迷うとか
実行を先延ばしにするとか
そんなのは勇気が無いのですよ。

勇気の無い考えとか行動なんて価値無いでしょう。

あぁ、自分で言っていて耳が痛い。

問題の先に理想があるのか?

問題を解決するのはもちろん意味のあること。大事です。
学校でも「問題解決能力を!」なんて言ってますものね。

しかし、問題を解決した先に何があるかが大事では?
というのが今回のネタです。
何のための問題解決なのかが重要ですよね
というお話しです。

まず、問題が完全に解決して、完璧な状態になることなんて無い
というのが最初に言っておきたいことです。

「完璧な状態」なんてのは、理論ではあり得るでしょうけど
現実社会ではまずあり得ません。
とはいえ、それを目指して頑張るのは意味があることだし
ことによっては、そうありたいとも思ったりします。
でも今回、これはオマケみたいなものなので、このくらいにしておいて
問題は「問題」についての認識です。

そもそも、ものごとは多面性をもっているので
「問題」とはいっても、別の側面から見ると
何かしらのメリットがあったりもするわけです。
なので、あっちを立てればこっちが立たず
みたいなことになりがちです。

学校での教員と学生の関係とか会社の労使関係なんてのは
そういうことになりがちでしょう。
特に、組織としての方針とか方向性がはっきりしていないと
そうなりやすい気がします。
というか、そうなります。

そんな状態で
双方が力を合わせて良い成果を出す
なんて無理でしょう。
共通の理想もないのに
力を合わせて同じ方向に進んでいく
なんてできるわけはないのです。
なので、社是が明確化されて意思統一された会社組織などは
成果を上げられたりするのでしょうね。

「社是とか理想とか、そんなのきれい事だ」
なんて言いがちな人の多くは利己的だったりする気がしますけど
そういう人が多い組織は
大抵は大した成果は上げられていないと思いますよ。

利己的な人って、組織としてのゴールを嫌う傾向がありますよね。
だって、組織としてのゴール達成を最大化していくと
そのために我慢したり頑張ったりってのが増えるわけで
自己の短期的な利益とか欲求がトレードオフで最小化されちゃう可能性がある
なので、組織としての長期的で大きな利益は達成しにくくなるのだと思います。

というわけで
問題だの何だの言う前に
皆で目指せる共通のゴールや理想の明確化をしないと
そもそも何のための問題解決なのさ?
ということになりがちですよね
というのが今日言いたかったことなのです。