無意識の大切さ

人が一日に行う行動のほとんどは無意識によるもの
なので、この無意識の領域について理解して
うまく利用できるようになれば
きっと良いことがあるはず
そう思って色々調べたりしています。

無意識による行動は
本能的なものだったり
いわゆる習慣とか癖だったり
そんなものですが
意識的な行動の根底の方にも確実に結びついています。
いわゆる行動原理とかですね。

なので、我々が行うことの結果は
無意識による影響が大きい
というか、その辺ですでに決定されているのではないかな。

で、この無意識について色々調べていくと
育った家族の
とか
文化的な
とか
そういう広いところに行っちゃうんですよ。

無意識は、決して個人的なところで終わっていないってことですね。

その民族の持つ共通の無意識があって
それが行動原理に繋がっていたりする。
まぁ、そうでしょうね。

そうなると、建国の歴史とか伝説とか神話とか
それこそ、子供の頃に聞いた昔話とか
そういうのが思いのほか効いてくるってことですね。

「自分」は、そういう諸々によってできている
ってことです。

興味深いのは、その「諸々」は
どの辺から含めて考えて良いのかな?ってことなのです。

例えば、縄文時代なんてどうでしょう?
その頃は、文字がなかったので
当時の人が何を考えて何をしたのかなんてことは分かりません。
遺物が残っていて、当時と変わらないであろう自然環境が
多少は残っているのかな?って程度でしょう。
そこから伝わってくるものは
多少なりともあるはずです。

建国の歴史とか伝説とか神話とか なんてことになると
年号は多少覚えているかもしれませんが
誰が何のために何をした
なんてところは良く分かりません。

この国がどのようにできたのか
なんてのは、今や学校では教えませんね。
恥ずかしながら、私が初めて古事記を読んだのは40歳くらいだったりして
大事なところを知るのがあまりに遅すぎました。
まぁ、知らないよりは良いかな、と思いますが。

という具合に
我々日本人は、共通の無意識を構成する根底の部分が弱い。
これ、後々えらいことになりそうな気がします。
今現在、すでに問題になっているのかもしれませんが
それがあまりに当たり前すぎて良く分かりません。

で、危機感持って、ただオロオロしてもしょうがないので
できることをやってみています。

幸いなことに、最近では夢工房の学生達は
ちょっと時間ができると本を読んでいたりして
週に最低でも一度は
人間学について考えたり話し合ったりしてます。

そういう経験が、彼らの無意識領域を構成してくれるでしょうし
そんな彼らが将来どうなるかってことが今後の参考になるかな
と思っています。

技術は人なり

価値観のお話し

以前こんな話をしました。
で、もちろん心は大事なのですが、ここでも中盤に言ってますが
じゃぁ、価値観はどうなんだ?
というところが今回のお話し。

心がクリーンで上向きで前向きでパワフルでも
「その価値観はどうなの?」
という状態では、どうにもこうにもですから。

「価値観」とか言うと
分かりやすいようで分かりにくいですが
簡単に言うと
「何のために?」
ってことです。

ただ、難しいのは
絶対的なものは無いってことです。

どんな価値観を持とうと個人の自由です。
当たり前ですが。

例えば
夢工房で頑張っている学生達です。
彼らは本当に朝から晩まで
それこそ休日も
自分のやりたいことを一所懸命やってます。

彼ら自身は、自分の信じている大事なことのために
労力を使っていているわけなのですが
「できるだけ労力を使わずに
リスクを取らずにやっていきたいよ~」
って人から見たら
バカみたい
なのかもしれません。

「そんなことやっても
うまく行く保証無くね?」
とかね。

まぁそうですね。
保証はどこにもありません。

でも、面白いものって
リスクを取って一所懸命頑張ることの中にあったりするのです。
少なくとも夢工房の連中にとっては。

彼らにしてみれば
「大変でもない、誰でもできそうなことやって
それ、面白いの?」
「やったらできるって分かってることをやって
それは価値があるの?」
ってところでしょう。

この辺の価値観の溝は
そう簡単には埋まらないと思います。

でも、将来プロのエンジニアになって
お客さんが喜ぶ製品を開発したいとしたら
未来のお客さんがどう思う製品を開発したいのか?
そのために今の自分はどうすべきか?
そんなことを考えたら
今やるべき事は結構簡単に分かるのではないかな。

当たり前ですが
お客さんが喜んだり驚いたり
そんな製品が作りたいですよね。

だったら、そのための準備は早ければ早いほど良い。

重要なことは
今の自分はどんな価値観を持っているのか
ですが
その価値観はどうやって形づくられたか
これが最も重要です。

もしそれが
自分自身で形づくったものでなく
誰かに言われたからとか
そんなことが原因にあるなら
恐らく面白いことにはなりませんし
どんなことになっても
誰も責任を取ってくれません。

もちろん、自身の責任ではないのであれば
過ぎてしまったこと対して後悔するかもしれませんし
誰かを恨みたくなるかもしれません。
でも、 誰も責任を取ってくれません。

自分で決めてやったことであれば
もし思い通りにいかなかったとしても
あまり後悔はしないでしょうし
考えて実行したプロセスの中で
学ぶことは山ほどあったはずなので
気付けば色々できるようになっているはずです。

いやぁ、なぜこんな話を長々としているかというと
私が学生の頃から変わらないのですが
必ずいるんですよ
クルマやバイクが好きな若者に

「好きなことを趣味にするのはやめとけ~」

って言う人。
で、それを真に受けて悩んでいる人。

私は、ぜひ聞いてみたい
「そんなこと言うあんたは
自分が大好きなことを仕事にしたことあるんですか?」
と。

少なくとも
昔私にそんな話をして下さった方は
そういう仕事はなさってませんでしたけどね。
ま、そんなもんです。

え?自分ならどう言うかって?
「大変だけど超面白いから絶対やれ!」
ですね。

うつむいて反省なんてしなくて良いんだよ

真面目な学生がうまくいかない理由を一つ発見しました。
最初に理由を言ってしまうと

ダメなところにフォーカスするから
です。

教員は学生に対して
いわゆる「ダメ出し」をすることが多いのですが
「ダメだ!ダメだ!」だけじゃなく
「こうしたら良いんじゃない?」
までアドバイスして、その時の反応で
どうなってるかが分かったりします。

「あ、そうか!」
ってなるか

「う~ん…」
ってなっちゃうか

反応が
「 あ、そうか!」
の場合は、新しい発見をして
「そちらに行きたい!」
という意思が働いています。
新発見の「行きたい方向」にフォーカスしてるから大丈夫。
新たな気付きに対してトライするでしょう。

「う~ん…」
の場合が問題で
アドバイスに対して本人が納得できていないなら
納得できるように話し合えば良いのですが
納得していて、かつ
「う~ん…」
の場合の多くは
指摘された、自分がやらかしてしまった(と思っている)
ダメなところにフォーカスしている可能性があります。

心情としては
「ダメなことをやってしまった」
「ダメなところを直したい」
ってところなんでしょうけど
いかんせんフォーカスしている先が「ダメなところ」なので
無意識にそちらに進んでしまって
次も同じことをやってしまう可能性があります。

まさか?同じことはやらんでしょう?
と思うでしょう?
無意識は、良いとか悪いとか判断できませんから
フォーカスしている方に向かってしまう可能性があるのです。
自分でも「嫌だ」と思っているのに繰り返してしまう
そんな場合は、まさにそういうケースでしょうね。
なんか皮肉です。

いわゆる、おとなしい良い子は
やらかしてしまうことに対する罪悪感が
強かったりするのでしょうね。

推測ですが、過去のやらかしに対して
いわゆる「お前、反省してんのか!」的に
やり込められた経験があるのかもしれなくて
その時に、問題そのものにフォーカスして
うつむいて思考停止していたなら
今も条件反射的にそういう反応をしている
可能性があるのではないかと思います。

まぁ、色々なケースがあるのでしょうが。
そんなこんなで
問題そのものに集中してしまうのは、よろしくないことです。

問題にフォーカスして、それを良くしようとする
そういうのも必要で、大事だとは思いますが
それができる人間と
苦手な人間がいるってことです。

うまくいかない時に
うまくいく方にフォーカスするか
うまくいかない理由にフォーカスするか
この辺がどうにかなるのかな?
切り替えられるのかな?
というのが興味深いところ。

エンジニアを目指すなら
失敗した時が成長するチャンスなのだから
その辺を解決できたら最高なのです。

正直なところ
どうせ皆、違う特性を持っているのだし
同じような方向に成長なんてできないのだから
そもそも持っている特性を有利に使う方法が
きっとあるはずで
それが戦略的にベストなソリューションなのでしょうね。