卒業生はありがたい

このところ偶然にも結構な数の卒業生と会う機会があって
色々と貴重な話を聞けています。
彼らには感謝することしきり。

学校での教育って、在学中には
最終艇な成果・効果が見えないので
卒業生達がどうしているかというのは
今後どうするべきか
という方針を決める際に
最も重要な情報なだと思っています。

学校での成績が全てだ
学校で身に付けた知識が全てだ
という意見があるとしたら
全く同意できません。

しょせん学校で学ぶことって
全て過去のことなので
未知の問題などと対峙したときにどうするか
という対処を身に付けるのは難しい。

なので夢工房では
現状の学生達の知識や経験では
どうしたら良いか分からないようなことに
日々チャレンジしているわけで

そこで鍛えられるメンタル
そこで構築されるマインド
これが最も重要なところ。

その成果が現れるのは社会に出てから
なので、卒業生達の意見はとても重要なのです。

当然ながら
彼らの仕事はもちろん
価値観や考えていることは様々です。
彼らの喜びや悩みも様々で
そんな彼らの話を聞いていると
やはりマインドの部分は大事だ
ということが良く分かります。

テクノロジーだって経済だって
それを支えているのは人間のマインドなわけで
決して理論のみで何とかなるものではありません。

さて
卒業生達の職場での問題などについても
色々と情報が収集できて
そこで起きていることは
そこそこの確度で予想が付いていました。

でも、私は占い師でも評論家でもないので
当たったの外れたのというのはどうでも良くて
常に
「じゃ、どうする?」
が大事なのです。

今のところ大筋はOKです。
新しい弾もリロードできましたし
夢工房は今後もブラッシュアップと
チャレンジを進めていきます。

やれ!と言われてやるなら苦労しません

文句言ってても何も良くならないよね
とはいうものの
じゃぁ一体どうしたら良いのさ?

これは大問題なのでしょうけど
どうにもこうにも難しいですね。

だって人から言われて
物事良くなるなら苦労しませんから。

クリティカルな問題に対する指摘を受けたときなんかは
そりゃぁ何とかしなきゃ
って気になるでしょうけど
多くのことは何ともならないことが多いです。

じゃ、分かりやすい例

親が子供に
「勉強しなさい!」
と言う。

言われた子供は
「よーし!やるぞー!!」
なんてことにはならない。

良くてもせいぜい
仕方なくやる。

大抵はやらない。
少なくともやりたくはない。

いずれにせよ
渋々やっても
良い成果は出ません。

だって本当はやりたくないのだから。

やりたくないものなんて
成果出ませんよ。
当たり前じゃん。

でも「やれ!」って言う。

何でそんなことを言うかというと

ダメだと思ってるから。

ダメだから言わなければダメだと思っている。

そうじゃないですか?
イケてると思ったら
そんなこと言いませんよね。

もし自分がダメだと思われていたらどうでしょう?

少なくともやる気は起きませんよね。

相手に対して
ダメだ
と思うってどういうことでしょうか?

相手を信じていないってことでしょう。

相互に信頼できていない関係で
成果を出すって可能なのでしょうか?

聞くまでもないですね。

中にはまれに
言われて渋々やって
何とかなる
そんなケースもあるでしょうけど
そんなのはレアなケースでしょうね。

じゃぁどうしましょうね?

一つ可能性があるのは

相手を信じることでしょうね。

「今はダメでも何とかなるはずだから大丈夫だ」
って。
凄く勇気が要ると思いますが。

ただ、成果に関しては
冷静かつ客観的な評価があっても良いと思います。
こと、プロを目指す場合なんかは。

そういうことによって
自身による現状の把握ができないと
次のステップが決められませんし
主観的な評価だけでは
自分の外の世界では通用しませんから。

もちろん
本人が現状把握をしたら
次のステップは自分で決めないと意味がありません。

ただ
「やれ!やれ!」
言われ続けていると
やるべき事から素早く無意識に回避する癖が付いていたりするので
そうなるとちょっと難しいことになりますが。

ここでは子供と親の関係を例に挙げてみましたが
実際はこんなに単純なことではなくて
色々と大変なのだと思います。

でも、この関係を
他の様々な人間関係に当てはめてみても
基本的な構造は変わらないと思います。

学生と先生
従業員と経営者(従業員同士も同様)
国民と政治家
などなど

なお、今回言いたかったのは
性善説とかそういうことではなくて
気持ちの問題ですので
その辺は誤解なきよう。

文句言っている暇があったら何かやろう

前にも似たような記事を書きましたが
今の世の中色々あって
文句の一つもいいたくなることがあるでしょう
コロナ禍もありましたしね。

ただ気をつけて下さい。

行動せずに文句を言う
これは自分では無く
他のせいにする
ということです。

ということは
自分には非は無いから
変わらなくても良いということです。

文句を言う相手にやって欲しくて言うのでしょうけど
言われた方は
やりもしないひとも文句言われても
こっちだってやりたくないよ
と思うのが関の山。

…と
文句を言っている人に
文句を言いたいわけではなくて

もしここで
自分にも何かできるはずだ
と思って行動すると何が起きるか。

ちょっとは何かが変わるはずで
誰かがちょっぴり喜んだり
自分が成長したり
良いことが起きるはずで

それをしないのは
もったいない話しだなぁ
と思ったのです。

まぁ、色々文句言いたくなる気持ちは
分からなくも無いのですが
それをやっていると
確実に自分の行動に影響が出ます。

仕事なんかだと
文句を言われないための仕事
をするようになります。

「結構なことじゃないか!」

いえいえ。
文句を言われないための仕事を全うすると
何があるか?

安心です

成果としては最低限
ということになります。

それで十分ならそれでも良いけど
安心は喜び未満なので
幸福とはちょっと違います。

それに
安心に到達するまでは
不十分で不安だということですよね。

そこまでは基本的に
マイナスでネガティブということでしょう?

その状態で
良い仕事をするって無理なんじゃないかな。

それに
ここで言う安心とか不安とかは
あくまで自分の話であって
一緒に仕事をしたり
仕事の成果を受け取る相手はどう感じるでしょう?

例えば
お客さんからクレームを付けられることが無いように
という仕事と
お客さんを喜ばせるための仕事
これ、全然違うでしょう?

でも分かっていても
いつの間にか
文句を言われないように仕事をする
とかいうことになっていたりしませんか?

これ
「何のために」
がどこに向いているか
という話しなのでしょうけど

皮肉なことに
「何のために」
が、自分自身に向いていると
最終的には
自分のために
すらならなかったりしますよね。

逆に
「おや?」
と思って
自分にも何かできるはずだ
と、行動を起こせるなら
何かがちょっぴり良くなって
似たような人が集まってきて
ハッピーな環境が作れるのではないかな。

別に今日、何か嫌なことがあったわけではなくて
コロナ禍が収束するかどうかという昨今
これからはこの辺を見つめながら過ごさないと
成長のチャンスを逃してしまうな
なんてことを考えていました。

気付いている人にはチャンス到来です!