パッションで解決だ!

そもそも受験などというシステムありきで
教育をしていることが間違いではないか
と思うことがあります。

塾に行って
良い学校に行って
良い会社に入って…

で、将来何すんの?

そもそも、「良い」学校とか会社って何?
という疑問もあるんですけどね。

多くの学生は
「楽に暮らしたい」
とか言うんでしょうね。
私も、かつてはそんなことを考えていた気がします。

とにかく何もやらなくて済むのが良いのであれば
植物状態になっちゃうとか
死んでしまうのが一番
ということになります。
極端な話ですが。

若いうちは経験が少ないわけで
にもかかわらず
色々できるようにならなければならないんですよね。
つまり、成長しなきゃいかんということですが。

でももちろん
経験が少ないから
うまく行かなかったりするわけです。

それはまぁ仕方ないことなんですが
それは一体何をやった末に起きてるかというと
大抵は
「やらされたこと」
です。

小さいうちは
いろいろやらされるのも
仕方ないかもしれません。

でも、成長するに従って
「やらされる」
から
「やる」
にシフトしていって
やる事自体が他に対する価値になっていったり

もしくは、自分のやりたいことと
他が求めることをマッチさせていって
仕事になるわけですよね。

で、仕事の価値を高めるためには
その内容のレベルを上げる必要があるわけですが

そんなこと
人から言われて仕方なくやってることで
うまくいくのかい?

無理です。

ちなみに
恐らく学生の多くは
「仕事ってのは、言われたことを我慢してやるもんだ」
と思ってます。
多分、60%以上はそう思ってます。

ということは
学校で勉強するというのは
社会に出た後にすることになる
我慢の負荷を軽減するための材料
ということになるのかな。

それなら 「楽に暮らしたい」 という気持ちも理解できるかも。

で、そのために一所懸命勉強する?

でも、勉強できるけどパッションが無い人に仕事をさせるには
しっかり作り込んだ業務指示と
それを伝達する労力が必要になりますが
そんなことを一々やってたら自分の仕事をする時間はありません。

業務量に対応するために人を増やしたのに
そんなことしてたら、できる仕事の量は増えませんね。

というわけで
日本は先進国の中でも生産性が低い
と言われていますが
その原因は
知識とかスキルじゃないと思うのです。

じゃぁ何かというと

じゃないですか?
パッションですよ。

というのも、何かをやって
できるようになるために必要なものは
学力という能力に限定されないからです。

そういうのって
偉人伝とか
昔の人のストーリーで明らかになっているはずなんですけど
大抵は苦労を伴う展開だから真似したくないのかな?
大変そうだもんね。

もしかして
「そんなの古いぜ!
勉強だけして、チャレンジせずに、失敗せずに
成功しちゃうぜ!」
と?

いや~、それは無理だわ。

というわけで
夢工房ではパッション重視です。

もちろん、簡単にはうまく行かないことも多いですけど
それらは全て成長に必要なことだからOKなのです。

オリンピック終了~学生達のオリンピック

東京オリンピックが終わりましたね。

コロナ禍の中での開催ということで
色々と議論がありしましたし
困難もあったかと思いますが
いざ始まってみれば
やはり世界のトップアスリート達の
レベルの高い闘いは見応えがあったし
日本選手の活躍にもエキサイトしました。

私は、開会式や競技はあまり見られなかったけど
閉会式はネットのライブ中継で見ることができました。

当初の計画通りに行かなかった部分も
多かったのではないかと思うのだけど
「さすがトーキョーだな」
って感じにまとめたのではないでしょうか。

やり切った選手達を見るのは気持ちが良いものです。
やはり何かを一所懸命やって極めるというのは凄いことで
人の心を動かすだけのパワーがある。

オリンピックの商業的な効果などは
もちろん大事なことの一つなのでしょうけど
最も重要なのは、この
人の心を動かす
というところなのではないかと思います。

平常時のオリンピックでも
自分の競技が終了した時点で帰国してしまう選手はいますので
今大会の閉会式はどうなることかと思っていましたが
多くの選手が参加してくれて良かったですね。
改めてこれだけの選手達が一堂に会しているのを見ると
理屈抜きで嬉しくなりますが
やはり自国でのオリンピックは特別なのだ
と感じました。

開催できて良かったなぁ。

今回は海外からの観客が来られなかったのは本当に残念です。
その分、閉会式が終わった後に
各国の選手達が日本を充分に
楽しんでから帰国してくれれば
と思うのですが
そうもいかなさそうなのは残念です。

さて、オリンピックのこの雰囲気ですが
我々にとっては
そうそう遠い世界という感じはしないのです。

と言うのも
Formula SAEのイベントは
アメリカ大会やドイツ大会が世界最大規模で
1大会で80チームくらいが世界中から集まります。
人数で言ったらかなりのものだし
会場の雰囲気や盛り上がりで言ったら相当なものです。

近年、我々が参戦しているオーストラリア大会だって
参加数は30チーム強といったところですが
色々な国からの参加があるワールドシリーズの一つなので
レベルが高く
それなりに国際色豊かなイベントです。

もちろん
単純にオリンピックと比べるのは
色んな意味でおかしいのかもしれませんが
参加している学生達にしてみれば
間違いなく
彼らにとってのオリンピックです。

学生が国際的な大会で一番を目指して頑張っている訳ですが
一生のうちに、こんな経験をできる人がどれだけいるでしょうか。

その貴重な機会を大事にして
悔いのないよう頑張って欲しいと願ってます。

学びの根底には心があったりする

難しいお勉強が生き残るために必要なのか?

こういう言い方は語弊があるな。

高いレベルの知識は成功するために必要なのか?

必要だろうね。
でも、違うな。
言いたいことはそうじゃなくて
やはり

外から突っ込まれた知識があると
ハッピーになるのか?

これだ。

答え:ならん!

そう思ってるんですけどどうでしょう?

こういう疑問を投げると
二元論での答えを返されることが多いです。

「無いよりあった方が良いに決まってるだろう!」

違うんです。
ここで言いたいのは
持っている知識の量ではないのです。
心の問題。

と言うのもね
外からいっぱい
「やれ!やれ!!」
って、知識を突っ込まれると
嫌になるわけですよ。

何が嫌になるかっていうと
学ぶことが。

学びって、別に知識を暗記することではないですから。
まして、人にやらされることでもない。

社会人なら多くが実体験として持っていると思いますが
自分が必要と感じて何かを調べたり、試したり
もしくは、業務上色々経験して
それが身に付いて
いわゆる「できる」状態になっていく
これが学びでしょう。

多くの人が
学校での教育のやり方で得られるものが
「学び」って思っているかもしれませんが
それは単に記憶としての知識に過ぎないでしょう。

「学び」という行為についてはむしろ
社会に出てからの方が意味のある学びをしている
と言えるでしょう。

でね
学校で無理矢理色々突っ込まれちゃうと
とにかく自発性とか探究心とか
致命的に重要なことを失っちゃうケースが多い
そんな気がします。

これを失ったら学べませんから。

そもそも
「これができないと単位出さないぞ」
と言ってやらせるのって
恐怖によるコントロールでしょう?
それによる行動が将来的に役立つとは思いにくいのですよ。

その結果
学びに対する心が折れたりするのでしょうけど
それで社会に出ちゃったりすると
凄くもったいないんですよ。

だって、仕事って結構面白いものですからね。
実社会との真っ向勝負で
顧客満足度とか実績で
成果や成長が分かりやすいので
自身の満足度も高いです。

学校じゃ、授業で頑張ったところで
成績表に表された記号とか数字でしょう。
その先が欲しいですよね。

たまに卒業生から
「在学中に、あの授業をもっと頑張っておけば良かった」
なんて聞きます。
よくある話ですよね。

気持ちは分かるけど
そんなことはありえません。

だって、その時は
やりたくなかったのだから。

問題は「やりたくなかった」ことです。

解決策は「やりたい」と思わせることです。

と、理屈はシンプルなのですが
解決は結構難しいです。

理屈だけで何とかなるものではないからです。
「これが正解!」という答えも無い。

理屈で解決するなら
「この本読んどけ」
で済むでしょうし

「これは重要だから、やれ!」
「はい!」
で終わりでしょう。

でも、そうはいかない。
心の問題だから。

文科省のお役人とか
学者さんとか
いわゆる「頭の良い」皆さんでも
どうにもならんから
現在の状況があるのです。

きっと難問です。

だからこそ
そこに価値があって面白いんですけどね。

というわけで
これからも授業はもちろん
夢工房の活動でも
チマチマ工夫していきますよ。