鉄は熱いうちに打て!

言われたことをやったりして
受け止めているだけでは
できるようにはならないよ
と言うお話しです。

ビギナーのトレーニングとして
言われたことをやる
というプロセスは大事なのですが
なかなかその先に繋がっていかなかったりもします。

古来日本では
職人の技術継承のプロセスは
守・破・離 (す・は・り とか しゅ・は・り)
と言われてきました。

「守」は、師匠にやっている通りにやる
「破」は、受け継いだやり方に、オリジナリティを加えて、ちょっと変えてみる
「離」は、自分の独自のものに移行する

こんな感じです。

昔の職人さんは
「技は見て盗め」
なので、お師匠様はあまり教えてくれず
弟子は「見よう見まね」でやったのですね。

これは結構厳しいです。
同じようにやっているつもりなのに
同じようにならない。
どうしたら良いか分からない時期が続くでしょう。

その時点で、頑張ったらどうにかなりそうか
ある程度の判断が付くので
見込みがなかったら進路変更となるでしょうね。
本当にやりたいと思っていなければ続きません。

見よう見まねと言っても
考えなければできません。
できるようになるためには工夫が必要です。
効率は悪いかもしれませんが
良い職人が育つやり方だと思います。

これ、現代なら
「言われた通りにやる」
ってのをビギナーのファーストステップにすると思います。

「見よう見まねでやる 」

「言われた通りにやる」
似ているようで大分違います。

「言われた通りにやる」
という場合は
あまり考えなくても良いのです。
工夫も必要ありません。

自分で考えて、やる
というのは
言われたことを、やる
の先にあって
シームレスに繋がっているような気がしますが
そうでもありません。

考えずにやっていると
その先のオリジナリティを加える
「破」の段階に繋がらないのです。

もっと良い物を作ろう
と思うと
今の自分が持っていないもの
が必要になります。

今の自分が持っている知識や情報だけでやったら
今と同じものしかできませんから。

これ、当たり前なことなんですが
学校で勉強していると
今まで学んだ基礎艇な知識を使って応用
ってなことをやるので
すでに知ってることで良いものを作ろう!
なんてことをしちゃうんです。

なので、本当は
色々調べたり、考えたり、試したり
ということをする必要があるのですが
言われたことしかしていないと
自発的に 調べたり、考えたり、試したり
その辺が上手にできません。

というわけで
言われたことをキッチリやるからといっても
その先のプロセスができるかというと
そうでもないのです。

マジメで勉強ができるコが
仕事ができるとは限らないってのは
この辺でしょうね。

では、逆はどうなのでしょう?

言われたことはキッチリできないけど
オリジナリティあふれたもの
良いものが作れるのか?

できる!
と断言はできませんが
やり方によっては何とかなる場合が多いです。

前提としては
本人が
「どうしてもやりたい!」
と思っていることです。

基本的な知識も無い人間が
高いレベルのチャレンジをしようとすると
「お前、基本的なことも知らないのにできるわけないだろ」
なんて言われることが多いと思いますが
それ、あまり正しくないです。
「できるわけない」
は、明らかに余計です。

それが本当なら
ビギナーはエキスパートになれない
という理屈になってしまいます。
どうせビギナーは基本的なことも知りませんので。

そういうのを鵜呑みにして
夢の実現を先送りにして
基本的なことを片っ端からやっていくと
時間も情熱も使い果たしてしまいます。
出口の無いトンネルを全力疾走して
途中で心が折れます。

どうしてもやりたいなら
何とかすれば良いだけの話です。
基本的な知識が無ければ手に入れれば良い。
鉄は熱いうちに打て!
です。

これが嘘なら
学生がレーシングカーや惑星探査機を
作ったりなんてできないでしょう?

夢を持てたり持てなかったり

夢があるのか?
それを実現する気があるのか?

夢工房の面倒を見ている身としては
大変興味深いところです。

私の手元にいる学生達の多くは
大なり小なり夢があるようです。
どちらかというと大きい夢が多いかな。
結構なことです。

彼らは、夢を叶えるために
色々考えたり、やったりしているわけなので
毎日ヒーヒー言いながらも
それなりにハッピーなのですが

このご時世、夢を持てなかったり
行動できなかったりする学生は多いようです。

これ、何でなんでしょうね?
というのが今回のお話しです。

この夢ですが
端的に言ってしまうと
将来の希望などですよね。

で、これは
往々にして抽象度が高いビジョンで
ぼんやりしてる、不明確なことです。
それで良いのです。
上位の概念だから当たり前です。

で す が

この、ぼんやりしていて不明確な状態に対して
「良くない」ものだと捉えてしまう 場合があるようです。
「はっきりしていないからダメだ」
と。

そんな風に考えてしまったら  
何も始められません。

いきなり明確なものを思い付かなきゃダメ
ってことになってしまいます。
そんなの無理ですよ。

この状態にあると
「夢はありません」
と言ったりすることがあるようです。

夢に対するアプローチも
ぼんやりしているものに対して
いきなり具体的な特定の手段を
繋げようとしたりする場合があります。

ぼんやりしている上位概念を実現するのであれば
目的や戦略を考えたりして
徐々に明確化していって
最下層の手段にたどり着かないと
どうにもならんと思います。

ちなみに
手段は最下層ですよ。
超現実的ですから。

もちろん、この過程においては
考えてるだけじゃどうにもならなくて
何かやってみて初めて分かることも多いはずです。

それをいきなり最小限の手数で
特定の手段に結びつけようとしたりするので
手段と目的が入れ替わっちゃったり
することも多いと思います。

乱暴な言い方をするなら
手段なんて何でも良いのですが
手段と目的が入れ替わっちゃうと
理由もなく、やり方に固執することになるわけで
そうなると何かと難しくなります。

すでにこの時点で
「何のために?」
なんてどこかに行っちゃっています。

でも、正直なところ
仕方ないと思います。

だって、学校では明確な課題を提示されて
決められた手段で解く
そういうことしか経験できませんから。
それが習慣化するのも当然です。

というわけで
夢工房の学生達は
抽象度の高いぼんやりした目標を立てて
それを実現する
そんなチャレンジを年がら年中やってます。

もちろん、今までの習慣から脱して
考え方を変えるなんて簡単ではないですけどね。

でも、これが習慣になって
楽しめるようになってしまえば強いです。

抽象的なものを明確化するプロセスを
楽しめるようになるってことですね。

ものづくりってそういうものだと思いますけどね。

無意識を意識して…いじる

何か特別な成果が欲しいと思ったら
そのために必要なことを
実行する必要がありますね。
当然ですが。

でも、なかなかうまくいかないことも多いです。

学生を見ていると
「あ~、こういうのが難しいのか」
って感じで気付きが多いです。

夢工房の場合は
私が
「ああせい!こうせい!」
という指示をしているわけではないので
学生自身が、色々考えて、やってみて
私のところにアドバイスを求めてきます。
「こんなんなったんですけど、どうですか?」
って感じですね。

具体例を挙げてみましょう。

何か特定の部品を作ろう
と考えていたとします。

場数を踏んだ設計者なら
その部品が使われる環境や要件から
「そういうときは
こんな感じだよね~」
って決めていけますが
学生だとそうはいきませんよね。

なので、最初はアイデアを出すところからスタートです。
まずは、その部品に求められるものを明確化して
次に、概念的なボヤーッとしたとこと
「こんな風にしたいなぁ」
「こんなのはどうかなぁ」
というアイデアを出していきます。

そんなのをベースとして
徐々に明確化していくのですが

この最初の段階は
異なる原理を使ったアプローチとか
異なる材質とか形状とか
できるだけ多種多様なアイデアが欲しいのです。

というのも
最初のステップは
方向性を定めるための
「選択」をしたいから。

そして、「こうすると、こうなる」という
引き出しを増やして欲しいから。

ここでやってはいけないのは
最初から一つの方向性だけで進めることです。

アイデアが1コだと
本当にそれが「良い」のかは分かりません。

だって「良い」って相対的なものだから。

まぁ、簡単に言っちゃうと
「最初は色んな方向性で
たくさんアイデアを出すといいよ」
ってことですよね。

…とまぁ、こいうことを
あらかじめ学生に伝えたとしましょうか。
「なかなかうまくいかないんです」
という 者に対するアドバイスとして。

もちろん
この程度のことは理解できます。
決して難しいことではありませんから。

でも、実際にやってみると
最初からアイデアは1コしか出さずに
いきなり具体的に部品の形状を決め始めたりします。

当然ながら、そういうやり方をすると
「なぜそういう形になっているのか?」
という根拠は薄いですし
「それで良いのか?」「それは良いのか?」
ということに関しては説明できないでしょうね。

もちろん、それによって作られる部品は
大したものではなくて
本人も納得できないでしょう。

その辺を指摘すると
本人も理解します。

でも、なかなかやり方は変わりません。
なので、結果は変わりません。
頭では分かってます。
でも、実際にやると大して変化しなかったりします。

これ、能力の問題ではなく
やり方の問題なのですが

何かをやるとき
考えるとき
最小限にしてスタートする癖が付いてるんですね。

はい。これは「癖」なので「無意識」です。
コイツが勝手に発動します。

できるだけ余計なことをしないで
効率的に正解を出したい
そんなやり方が癖になっているのでしょう。

ちなみに設計に正解なんて
そもそも無いんですけどね。

結果として
せっかくアイデアを出しても
「振り出しに戻る」
となってしまって
残念ながら全く効率良くなりません。

でもこれは「癖」で
「普通」このとですよ。

さらに言うなら
この学生が劣っているわけではなく
「普通」なんです。

勝つためのレーシングカーを設計していて
「普通」のやり方をしていたら
「普通」の成果しか出ないわけで
(普通って何だ?というのありますが)
いくらやっても希望は叶いません。

頑張って力強く全力で
「普通」のやり方をしても
悲しいくらい結果は変わりません。

むしろ時間の無駄遣いになって
時間切れで諦めることが増えていくかもしれません。

普通じゃないことをやるのであれば
それはどちらかというと
一般的な見方からすると非常時に近いわけで
そういうときには
日頃のやり方、考え方から
離れなければならないはず。

でも、日頃自分がどうしているかなんてのは
ほとんど無意識なわけで
それを理解するところから
スタートする必要があるかもしれません。

あたかも幽体離脱して
自分の周囲も含めて俯瞰するように。

「あ~、自分はこんな環境で
こんな風にやっているよなぁ」
みたいに。

そこから
「じゃぁ、こんな風にやってみよう!」
となれば上出来です。

そういうものの見方や考え方ができれば
うまく行かなくても次の手が打てます。

とまぁ、こんな風に言うのは簡単ですが
やるのは意外と難しいかもしれません。

だって、無意識を意識できるようにして
その領域をいじるわけですから。

でも、できるようになると結構楽しいし
他にも色々できるようになっちゃうんですけどね。