成長するために大事なもの

成長するためには何が大事なのでしょう。
時代とともに変わるものもあれば
変わらないものもあるでしょうけど
思い付くものを挙げてみましょう。

好奇心
まずはこれでしょう。
何かに意識を向けるところからスタートするのですから。

そもそも「好奇心」って何だ?という話もあるのですが
どうやら本能的なところに結びついていて
重要な働きをしているようです。

例としては…
生存のための情報収集とか、危険回避とか、環境への適応とか。
脳の報酬システムへの刺激にも関係していて
好奇心が満たされるとドーパミンが放出されるようですね。

チャレンジする心
興味を持ったらやってみないとね。

でも、どうしたらチャレンジしたくなるのでしょう?
抑圧された環境で
我慢できなくなる人もいれば
諦める人もいる。

諦めない心
何かにチャレンジしても
うまくいかないことは往々にしてあるわけで
諦めなければ何とかなることも多い。

諦めない理由は何でしょう?
チャレンジする動機が大事なのでしょうね。

自分ごとと考える
「他人事」の反対です。

他人事は、「俺のせいじゃねぇ」なわけで
自分がやる必要は無いわけで
その結果、誰かにやってもらうことを期待するわけで
つまり、できない自分をキープしてしまいます。

「自分のせいだ」
ってのは悲観的なので
「自分にできることだ」
という意識は大事でしょうね。

「これは自分にできることだ!
だからやる!」
と。

柔軟性
ここまで考えてきて思いました。

そもそも持っている資質とか性格とか
色々あるだろうけど
最初から最適なものを持っている人なんてそうそういません。

なので、現状を変えられる柔軟性があれば最強でしょう。

いくらダメな考え方ややり方をしていても
それに気付いて変えられれば良いのです。

ま、言うのは簡単ですけど
気付くのは難しいし
変えるのは勇気やパワーが要る。

ってなわけで
色々挙げてみました。

こういうのって
生まれながらに持ち合わせているとか
環境の影響なども大きいのでしょうけど

果たして後天的に強化できるものなのか?
ゼロでは無いでしょうけど、その程度は?
その辺は大変興味あるところ。

でも、後天的にどうにもならないものだったら
教育なんて身も蓋も無いですけどね。

やってみなけりゃ分からない…のだが

そりゃそうです。

でも、多くの学生達は悩みます。

「分からないからできない」
と。

今回は、これに関するお話しです。

夢工房の学生達は
毎年クルマを作ります。

燃費を競うとか
速さを競うとか
まぁ、色々ですが。

で、色々考えて決めなきゃいけないのですが
その時に

「今の自分が知っていることや
できること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とすることがあります。

特に理系の、技術系の学生は良くやります。
だって、技術(=手段)好きですから当然です。

これ、一見良さそうだけど
ダメです。

なぜでしょう?

彼らが作るのはコンペティションのためのクルマです。
目的とか目標があります。
つまりプロジェクトのゴールですが。

「今の自分が知っていること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とやると
ゴール到達のための手段を先に決定する
ということになります。

「え?何がダメなの?」
と思うでしょう。

手段を固定してしまうと
それによって得られる結果も固定されます。

その手段が、ゴールに向いていれば良いのですが
大抵はそうではありません。

今現在の自分が知っていることや
できることをやっただけですから。

そのやり方を超ハードにプッシュししても
ゴールには到達できないでしょうし

そのやり方で
数百回繰り返しても
結果はあまり変わりません。

だって、今現在できることを何回繰り返したって
「できること」は大して変わりませんから。

まぁ、そういうのも
やってみれば分かるので
それでもまた勉強ではあると思いますが
時間がもったいないですね。

というか、そんなことしていたら
思考停止するか
心が折れるでしょう。

ビギナーは、とかく経験することが大事なわけですが
その時に大事なのは

今できることをやる
ではなく

ゴール達成のためにチャレンジすることです。

上位概念のゴールを決めて
そのためのコンセプトを決めて
そのための戦略を決めて
用いる手段を決めて…

これらは全て仮定であって
正解ではありません。

だって、まだやっていないのですから。

ともかく
ここまでのワンセットを決めたら
最下層の「手段」をやってみる。

ここで
「やってみなけりゃ分からない」
の発動です。

もちろん、やってみても
望み通りの結果は得られない可能性があるけど
分かることはある。

それによって、必要とあらば
手段を変更したり
上位の方の概念を修正したりする。

その辺のグルグルに手間と時間がかかるので
ビッグなゴールに到達したければ
早く動く必要がある
ってことです。

おっと
その際はアウトプットも忘れないように。

あれは良かったのだろうか? 環境の話

自分が学生の頃
学校ではどうだったんだっけなぁ?
なんてふと思ったのです。

色々あったけど、一言で言うなら
ジャングルで冒険しているみたいな感じだった

どういうことかというと

日々、何があるか分からない

色々やらかす子供だったので
先生に良く怒られてたかな
ってのはあるのですが

友人関係では
やはり強者、弱者がいるわけで
やったり、やられたり

今日はやってやったが
明日はやられるかもしれない

今考えると、しょうもない子供時代だったと思います。

先生からも殴られましたね。
それが普通だった。

そんな環境がどうだったか?
あれは果たして
良かったのか?
悪かったのか?

そんなの分かりません。
何と比べて
ってのもあるでしょうし。

家庭がしょうもなかったから
相対的に学校の印象は良かったのかなぁ
いや、良かったわけではないなぁ

ただ、そんなに不幸な感覚は持っていませんでしたね。
学校では。

結構、好き勝手やってた
というか
好き勝手やってた
と言うべきかな。

やりきった感は無かったけど
そこそこ満足いってたのかもしれない。

いや、どうだろう?
満足はしていなかったかな。

でも、しょうもないことに対しても
面白いことに対しても
そこそこ工夫はしていた…つもり
だったと思う。

今回言いたかったのは…

我々教員は
良かれと思って学生達に教えたり環境を整えたり
しているつもりだけど

それは果たして
彼らにとって良いことなのだろうか?

ということです。

いわゆる恵まれた教育環境で学ぶと
本当に将来は良い事になるのか?

それは大変疑問です。

望む知識・情報が容易に手に入る
余計な問題は起きない
障害に対しては即座に問題解決の手が差し伸べられる
設備は万全に整っている
などなど

可能な限り困難を排除する

そういうのって、一見理想的ですよね。

でも、それによって
彼らは何を得られのだろう。
色んな意味でね。

IT技術やら何やらが発展したお陰だったり
倫理観がどうたらこうたらで
今のようなレベルで困難が排除されたことは
恐らく今まで無かったはずで

そんな環境で人がどのように成長していくのか
なんてのは、誰も経験が無いわけです。

困難の中からしか得られないものはあるわけで
困難が無いから得られないものもあるわけで

環境を作る
と一口に言っても
こりゃ難しいよなぁ
と思ったのでした。