仕事の話

君にとっての「仕事」って何ですか?

食うために必要なこと?
そりゃそうですね。

でも、どうせやるなら好きなこと、楽しいことをやったらいいよ…というのは、このブログでも何度か言っていること。
だって、大学を卒業したら40年以上もやるのですから。

私は、結構好きなことをやってきた、と思っています。

なのですが、前職で自分がやってきたタスクの内容をカウントしてみたことがあります。
そうしたらなんと、7割くらいが、そのタスクを割り振られたときには望んでいなかったことでした。

いくらクルマが好きで、開発の仕事をしていると言っても、その内容は全て自分で選ぶわけではありませんし、雑用や、全く指向に合わない仕事もありました。

では、そういったものを嫌々やっていたのか、というと、そうでもありませんでした。
結構楽しんでやってましたね。

で、今になって思うのは、いかに仕事を面白いものにしていくかってが大事だったんだなぁ、ということです。
考え方や工夫が大事ってことですね。

もちろん、工夫したつもりで失敗したりすることもあるのですけど、自分で考えてやったことなら、どんな結果になろうと得られるものはあるのです。
なので、全然損してないどころか、経験の数が増えるわけですから得してるわけです。

なので、そういう考え方を拡張していくと、別に望まない仕事でも良いじゃん、となるのです。
まぁ、確かにその通り。

でも、どうせなら好きなことでチャレンジできたらベターです。
そう、チャレンジを楽しむってのが根本的に大事なことなのかもしれません。

仕事とは、好きでもないことを我慢してやるものだ、と思うのも、楽しく変えていくのも自分次第。

日本の強みを活かすには

夢工房では未来のエンジニアを育成していて、もちろん彼らには高い価値を生み出すエンジニアになって欲しいわけです。

でも
何をもって「高い価値」とするか?
どうやってそれを形づくるか?

その辺についてちょっと思っていることをお話ししましょう。

果たして「高い価値」は何でできているか?

色々あるとは思いますが、詰まるところ独自性かな、と思うのです。
性能やら、品質やら、信頼性やら、と色々指標はあるのですが、それらは他と同じでは意味が無いわけで、突出すればそれは「独自性」となるでしょう。

基本的な科学や工学の知識なんてのは、もちろん重要なのですが、それはほぼ世界共通なわけで、それで独自性を発揮できる領域まで行っても良いのですが、やはりそれとて、いずれはライバルが追いついてきて独自性を失います。

そして、形式的な知識は大事なのですが、何度も言っているように、我々が作り出す「もの」は、一体どこから作り出されるのかを辿っていくと、「心」に行き着くわけで、思いやら考え方やら、そういったところが根源にあるわけです。

なので一番良いのは、我々日本人のの持つ独自性を強みにすることでしょう。
それを認識して、ブラッシュアップして、未来に繋げていく。
それは絶対に必要なことでしょう。

ところが、それは我々には見えにくい。
なぜかというと、それは我々にとっての日常であり、普通だったりするから。
普通のことなんて意識しないから見えないのです。

それを見るには何が必要か?

一つは、古来からの習慣、風習などの再認識が必要かな、と。
当時の日本人は、何を考えて、何をしていたのか?
そこに潜む、ものの見方、考え方を理解するのは大事なことです。
我々日本人のオリジナリティの根源はそこにあります。

そういったものを知るために、本を読むとか、人の話を聞くというのは有効でしょう。
にしても、やはり我々にとっての「普通」のことは十分見えてこなかったりします。
普通のことなんて、あえて書かない、あえて言わない、というのはあるでしょうから。
なので、十分とは言えない。

そこで目を付けたのは、我々日本人では無く、イギリスの女性探検家、イザベラ・バードの冒険記。
彼女は明治時代に、東京を発って北海道まで単独で旅をして、その記録を残しています。
そういった「外からの目」からは、我々には見えない日本人の特長を、ある程度は見つけることができます。

最近目を付けているのが、縄文時代の遺物を始めとした遺物です。
土器や土偶などの出土品、これらは、いまだに何のために作ったか良く分からないものが多数あります。
それらは決して稚拙なものではなかったりします。驚きです。

そして忘れてはいけない重要かつ強力な独自性。
それは現存する最古の国家である、我が国と天皇の歴史です。
ここには、我々がものを考えるに当たって重要な、根源的で強力な何かがあるのは間違いない。
けれど、それはあまりに日常であって、意識しなければ見えないし、感じられなかったりするのです。

と、色々考えているのですよ。
これ、今だからこそ大事なのではないでしょうか。

やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

やってみもせんで何が分かる
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。