一体何が大事だったのか

仕事をする上で大事だったのは何だったのだろう?
なんてことを、よく考えるのですが…

具体的に「これだ!」みたいのは無い
というか、簡単には明確化できないのですよ。

そういうピンポイントの要素のようなものではなく
もっとこう、点ではなく、面のような…というか
明文化しにくいものがあったのは確かです。

だってね、そんな簡単に明文化できたら
それを明らかにして共有して
誰だってそれをやれば良いわけで
そうじゃないから苦労するわけで
その中に価値の源泉が隠れているのです。

なので、夢工房の学生達には実践を通じて
大事なことを獲得しているわけです。

とは言うものの
何とか大事なものをひねり出して見えるようにできないかな
と、日々色々考えたり、思い出そうとしたりしています。
それがこのブログ。

正直なところ、実体験に勝るものは無いので
果たして文章でどこまで表現できるか
というのが課題ではありますが。

せっかく前職でエンジニアをやってたのだから
その辺をもうちょっと真剣に考えて
可能なところは明文化にチャレンジしてみるべきだよなぁ
なんて改めて思っているのです。

逆は…不可だ

現状の教育現場はどうなっているのでしょう。
どうしたくて、どうなりたいのでしょう?

学校は、学生を同じように仕上げたいし
学生は、皆と同じようになりたい

そんな感じではないでしょうか。

これを
そもそも同じじゃなくていいじゃん
とすると、どうなるのでしょうね。

というのも
学生達は小さい頃から「やらされ」まくっちゃっているので
心の片隅に、「できればやりたくない」とか
「できるだけ楽したい」とかが見え隠れするというか
やらされているときのやり方しか知らないような感じがするのです。
これ、まずいなぁと思います。
というか、もったいない。

そういう私も学生の時分は、そんなものだった気がします。
機械工学科に入りましたが、授業が全然面白くないというか
これを学んで何かができる気がしないというか
実践に結びついている感じが無くて
なんでこんなことやらなきゃいけないの?
これができないと、仕事もできないの?
と、ずっと思ってました。

なので、「できればやりたくない」とか「できるだけ楽したい」
という気持ちになっちゃうのは分かります。

でも、社会に出たら
そんなのできなくても仕事できるな
仕事しながら必要なことを学ぶのが勉強だ!
と実感しましたが。

勘違いして欲しくないのは
知識なんか不要だ
と言うことではないのです。

エンジニアリングするのに工学の知識が必要なのは当然です。

確かに基本は重要で
細かい個別の知識が基本だと言えば基本なのでしょうが

が!

工学の知識があればエンジニアリングできるとは言いきれません。
これに関しては、逆は不可だと思います。

それ以前に
エンジニアリングしようとして壁にぶつかった時に感じる
「工学の知識が欲しい!」
という自身の「思い」とか「気持ち」が重要なのであって
それが知識をモノにしようとする原動力であるべきでしょう。

本当に必要なときには、知識は自然と入っていきますし
そんな時に掴んだ知識とか経験は
そう簡単には忘れません。

原動力がない状態に、知識を突っ込んだところで
利用なんてできないどころか
外力で突っ込まれたものなんて
遅かれ早かれ嫌になるでしょう。

一番まずいのは、その習慣が身についてしまって
「消極的」が、デフォルトの姿勢になってしまうことです。

そうなってしまったら、仮に何かやりたいことが見つかっても
なかなかうまくいかないだけに限らず
なぜうまくいかないのか、自分でも分からない状態になります。

本人は、自分が「消極的」になっていることに気付いていないわけですから。
それは大変不幸なことです。

「消極的」な人にチャンスをあげたり、協力したりする人はいないでしょう。

…と思ったけど、学校は違いますね。
積極的だろうが消極的だろうが
「やらせる」から、そういうの関係ないのですね。

でも、積極的で行こう!
学校では評価されないけど、その習慣を身に付けるのは
社会に出てからでは遅いから。

勉強ってなに?

勉強って、知識を知ったり覚えたりすることでしょうか?

それも勉強の一部でしょうけど
それが勉強なのだ
というのなら、全力で否定したい。

なので
勉強ができるイコール頭が良い
という価値観には違和感を感じるのです。

やってみること
それによって分かること・気付くこと
いわゆる暗黙知ですが

私としては、そっちを得る方が
よほど「勉強」らしいと思うのですけどね。
というか、それこそが勉強だと思っています。

暗黙知は、やることによって得られるので
より「できる」に直結しやすい。

対して、机の上のお勉強で得られる形式知は
言ってみれば知っているだけ。

利用することを前提に得たものではないので
密度も定着率も十分ではなかったりします。

そして、卒業後は
あっという間に忘れてしまうでしょう。

ただ、ある程度の実践経験がある人が持つ形式知は
暗黙知と結合して利用ができるので
単なる「知っている」とは次元が違っていて
価値が段違いだったりしますが。

一般的に、学生の学びのほとんど全ては形式知なわけですが
人生の今後の基礎を作る大事な時期を生きる
彼らの貴重な時間のほとんどに実践が含まれておらず
暗黙知が得られないのが残念でなりません。

でも、実際のところ
何をするかは彼ら次第であって
別に、受け身で指示待ちに徹する必要はないのです。

自分の好きなように決めて行動できる自由を持っていることを
気付いているか、気付いていないか
そこが明暗を分けているだけなのです。