燃え尽き…るのか?

ふと思ったのですが、「燃え尽き症候群」から来た「燃え尽きる」ってあるじゃないですか。
やり切って終わっちゃうって感じの。

多分、漫画のあしたのジョーから来てるんでしょうね。
どうでも良いことですが。

あれ、あまり実感がないのです。
ホントにそんなことになるのか?って思います。

そこそこ色々一所懸命やったつもりなのですが、どうも燃え尽きて灰になっちゃって、その先が無くなっちゃうような経験は無いんですよね。

レースなんか、長丁場の耐久レースなんか、結構…というか、かなりキツイのですけど、そういう感覚になったことは無いし、仕事もとんでもない状況があったりしたのですが、同様です。

「そんなのお前が一所懸命やったことないからだろ」
なんて言われると身も蓋も無いのですが。

夢工房でレーシングカーを作っている学生達を見ていても、一時的に燃え尽きたように見える状況はありましたが、彼ら社会に出てから楽しそうにバリバリやってますしね。

そもそも、一時的に燃え尽きちゃうような状況を経験すると、格段にパフォーマンスは上がっているわけです。自信も付くし。
なにより、自分の限界点を知ったというのは大きいですね。

そんなことを考えていて思ったのは、皆が言っているのは、やらされる状況で燃え尽きちゃうことなのか?と思いました。

うーん、それはキツイだろうなぁ。

仕事していて思うのは、自ら望んでバリバリやっている状況では過労死なんてしないだろうなぁ、ということです。

「やらされる」となると話は別です。
肉体的な負荷の上に、精神的な負荷が乗っちゃうと本当にキツイでしょうね。

以前、どこかで読んだのですが、ナチスのユダヤ人収容所で、意味を感じられない過酷な労働を課して、延々と繰り返すと人は簡単に死んでしまう、と。

そういうことなんだと思います。

仕事なんて、好きなことをやってるつもりでも、業務指示があったり、お客さんの要望に応えたりして、結局は、よそから来るものだったりするわけです。

そこにどれだけ意思入れして、面白く感じられるようにしていくかってのが大事なんだろうなぁ、と思った次第です。
燃え尽きるとかってのを別としても、ですよ。

資質の話

資質とはなんぞや

辞書を引くと、生まれつきの性質とか才能とか、「生まれもっての…」というニュアンスです。
でもそうなると、そこに自分の意思が介入する余地は無さそうです。

じゃぁ、資質は作れない?
どうでしょうね。

資質はどんな働きをするのか?

性質やら才能やらというのなら、無意識のレベルを構成しているのは間違いないわけで
ちょっと分かりにくいけど、無意識のレベルの「考え方」みたいなものでしょう。

無意識レベルに落とし込まれた価値観によって、直観的な判断が行動に繋がる状態と言ったら良いのかもしれない。

これが、遭遇したものごとに対して、反射的に対応できる、といったような感じで、仕事に対して自然に発揮されれば、「資質がある」と言われる状態になるでしょう。

なので、そのような状態になるのであれば、本当の意味での「生まれついての」ということでなくても良いのではないかなと思うのです。

そもそもの「資質」は習慣や環境によって形作られるものでしょうから、同じく習慣や環境で修正が効くはずです。
だって、訓練とかトレーニングって呼ばれるものは、そういうものですから。

考えなくてもできるようになる
そのためにやるのが訓練やトレーニングです。

考え方と行動を変えて、それを習慣化すればOKでしょう。

カギになるのは知能やら知識ではなく、望む行動を駆動するパワーや決断力でしょう。

尖ってないとね

スイスアーミーナイフってありますよね。
多機能で便利なナイフです。
古い言い方だと、十徳ナイフと呼んだりもしますが。
スイスのビクトリノックスのものが有名です。赤いグリップのヤツ。

これ、色んなことに使えるのだけど、それぞれの機能がさほど優れているわけではないです。
缶切りも栓抜きも、個別の道具に比べれば、どうも中途半端な使い心地だったりします。
挙げ句は、ナイフ自体も中途半端な使い心地。

でも、それは仕方ないことです。
往々にして、色々できるようにしちゃうと、何かしら妥協をせざるを得ないから。

レーシングカーもそんなものです。
ある特定の使用法に特化していますから、それ以外の使い方をすると、すこぶる使い勝手が悪かったりします。当然です。

じゃぁ、色々使えちゃう乗用車はどうなのでしょう?
日常使いの使い勝手とか、安全性とか、コストとか、それはもう凄いレベルで開発されています。
でも、ある範囲のユーザーの使い勝手を想定して開発されているので、その範囲外では使い勝手が悪いこともあります。
もちろん、純粋な走行性能でレーシングカーに敵うはずはありません。これまた当然です。

さて、今回何を言いたいかというと
別にまんべんなく色々できなくてもいいじゃないの
ということです。

「色々できると選択肢が広がる」
なんて意見があって、一見それはもっともな気がしますが、そうでもないことが多いですよ。

それは、就活などで考えると分かりやすいかもしれません。

特に何ができるわけでも無いけど、そこそこまんべんなくできたりする人を採用するのは難しいです。
だって、特徴が無いなら選ぶ理由がないからです。

それに、まんべんなくそこそこ色々できる人のゾーンってのは、多くが狙うところなので、過当競争のまっただ中に突入することになります。

結果、「中途半端に色々できでも選ばれない」ということになる可能性があります。

さらに言うなら、勉強ができるというのと仕事ができるというのは全く別の話です。

なんでもかんでもムチャクチャできる、というなら話は別でしょうが。

これ、「ボチボチのところで妥協しようぜ」という話ではなく、戦略の話です。
就活向けの戦略と言うより、生きるための戦略と言っても良いかもしれません。
自分自身の価値の作り方です。

なんでもそこそこできるのも良いけど、そのゾーンで優位性を発揮できる自信が無いなら、何かに特化した、尖ったところを狙のが良いでしょう。

すでに「やるべき」と決めたものがあるなら、そこに力を入れ続けるのが良いでしょうし、何も無いなら、何かピンと来たものに手を付けて、継続するのも良いでしょう。

気をつけて欲しいのは「探す」は案外危険だということです。
こんな時、何を探すかというと、大抵は「今の自分にできそうなこと」でしょう。

これ、今の自分にできるなら誰でもできそうなことだったりしますし、そもそもそんなものは見つからずに、時間を浪費することになるのも良くある話です。

ピンと来たものがあるなら、それこそがチャンスです。
最初はうまくいかなかったりするなら、それは誰がやってもうまくいかないことだったりもするわけで、あまり気にする必要はありません。むしろチャンスです。

何をやるかってのも大事かもしれませんが、諦めずに継続できるってのは、仕事をする上で最も大事な資質の一つですから。

継続して磨き続けていれば、きっと尖ってきますよ。

とは言うものの、学生であれば特定の単位を取らないと、進級や卒業が心配だったりするでしょう。
それらをやっつけながら、ということになるので、なかなか厄介ですね。