学びについて考える

「学び」なんて言うと、定型的な知識の獲得だと思われがち。
つまり「知る」ということですね。

で、十分に知ったら実践しましょう、なんてことにしたいのですよね。
何のためかというと、失敗しないために。

なるほど。

では、その逆を考えてみましょうか。
どういうことかというと…

十分知る前にやる
です。

まぁ、この場合の「十分」ってどの程度なの?ってのもありますが、それすらも十分考えないという前提でいってみましょうか。
思い付いたらやる
くらいで。

すると何が起きるか?
それこそ考えるまでもないかな。

失敗しますよね。

ここで大事なのは何か?
失敗したということじゃないのですよ。

「あぁ、こうすると、こういうことが起きるんだ」
というプロセスを知ったということです。

あまりに考えが浅くてうまくいかなかったのであれば
「あぁ、もっと考える必要があったのだな」
ということを知ります。

この「やって」「知る」のセットこそが学びです。
そして、このやるための知識、やって分かったことこそが、生きた知識です。
で、知ったことを次回の「やる」に活かして、さらにその先を知る。
その自発的な学びのループを回していくことが重要です。

このループを回し続けるモチベーションが重要なので、魅力的な高いゴールの設定をセットで考える必要がありますけどね。

学びって、他人から言われて覚えたことや、指示されてやることではありません。
そういったことが将来どれだけ効果的に活かせるかってのは大変疑問です。
「言われたことをやる」という原理で動いていると、心の片隅に「できればやりたくない」が発生しがちです。そんな気持ちでは過去の経験を活かすなんてできません。
さらに言うなら、自発的に学ぶサイクルを持たずに社会に出てしまうのはどうなのでしょうね。

対して、自らゴール到達のために必要性を実感して知識を獲得し、それを実際に活用した一連のプロセスや、それによって得られた知識や自信など、これらは社会に出ても、どのような業種についても、きっと有効なんですよ。
そして、一番価値があるのは「やらないと分からないこと」です。

時代は巡るのだ

当然のことなのだけど、忘れられ、意識されていないこと。
資本主義だって、自由主義だって、政治だって、経済だって、人が考えたシステムは完璧では無いし、絶対的なものでもない。
地球の歴史、人類の歴史から言ったら、誤差みたいについ最近に誕生したもので、いずれは終わり、きっと新しいものが生まれる。

成長していずれ滅びる、それは必然。
今あるものの終わりは、楽しいものになるかもしれないし、辛く悲しいものになるのかもしれないが、新たなものが生まれるためには必然のプロセス。

この世の全ての物事は移り変わってしまい、一定では無い。
終わりの時、変化の時はいずれ必ず来る。
そして今現在もそのプロセスの途上にある。

変えたくないし変わりたくない
現状に拘り、とらわれてしまって無意識で自然とやってしまうのだけど、そのとらわれる心が恐れとか苦悩を生むわけで、それによって変わりたくない気持ちが強化される。
でも、そこにとらわれているうちはループから抜け出せない。

どうせいずれは変わらなければならないのだから現状に執着するのは無駄なことで、とらわれから解放されて自由にならないと明るい未来には行けないのでしょうね。

あとは、待ちの姿勢で変化を受け止めるのか、それとも自ら掴みに行くのかの選択も大事。
それは自分次第だけど、その思いや気持ちに気持ちによって未来が変わるというか、決められるものでもある。

そういうの、分かってはいるけど、いざやるとなると難しいことですよね。

と、そんなことを考えていると、仏陀は良いこと言うよなぁ。凄いなぁ。なんて思うのです。

諸行無常とか、色即是空 空即是色なんて、まさに真理ですよ。

成績って何だ?

いわゆる能力主義だと成績が気になるのだそうです。
そうでしょうなぁ。

そもそも、成績って何ですか?
数字ですね。
能力を数値にして可視化されたものです。

それは一体どういった能力ですか?
記憶力とか、計算する能力とか、いわゆる論理的思考力ですかね。

そういう能力があるのは結構なことです。

ですが、それのみってのはどうかと思うのです。
だって、論理的思考力の能力を数値で、となると、答えが合ってるか間違ってるかという話になるでしょう。
というか、それしかないわけですよ。

でも、そういった能力って、社会で仕事をする上で必要な能力のごく一部なわけで「それがあれば他は知らん」というより、「それだけあれば良いのだ」となっている現状はどうなんだ?と思います。

そんな単一の尺度や可能性のみに準じて努力しても、なんだか未来は先細りな感じがしちゃいませんか?

もちろん、そんな皆さんを受け入れる社会の側(会社と言った方が良いのかな?)も、そんな狭い価値観にとらわれて、似たような経験しか無い新人を採用して育成して行くのも限界があるでしょう。

社会に出て
成績とか学歴とかを言われたところで
「で、何ができんの?」
という話になってお終いなのですけどね。

本当は、色々な経験や価値観を持った人達が集まって、力を合わせて大きな何かをつくっていくような未来が良いと思うのですが、そういった不確定な、何が起きるか分からないのは不安でダメなんでしょうかねぇ。

だれか強力な指導者(支配者)が絶対的な答え(命令)を持っていて、それに従えば安心?
それもあるけど、まぁ楽なんでしょうな。
大事なところは指導者に判断を任せられるし
何かあっても、その指導者のせいにできるし。

でもそんなのつまんないんですよね。

なので、自由で面白いやり方を模索していきますよ。