効率の正体

効率よくやりたい

気持ちは分かります。

そしてそれは
生きものの本能に根ざしているので
そうなっちゃうのはある程度仕方ない。

といのも
生きものは
生きるために無駄なエネルギーを使いたくないのです。
だからラクしたい。

それが
面倒なことをやりたくない
に繋がっているし

テクノロジーを進化させて
便利で楽チンな世の中にしていく
原動力の一部になっています。

しかし
テクノロジーを進化させるためには
面倒なことをやる必要があります。

面倒なことをやった経験があるなら
「この面倒から何とか脱することはできないだろうか」
となるのでしょうけど

面倒なことをやらずに済んできたのなら
別に何かを変える必要性は感じないでしょう。

恐らく、その辺が先進国のジレンマでしょう。

効率の向上は
どうしたいか
どうすべきか
があって初めて必要となります。

そのためには非効率な経験が必要です。
その状況を何とかしたいという
思いが発動しない限りは
何ともなりません。

今の学校のように
「どうすべきか」
の決定を他人に依存して
何が起きるか決まっている環境で
限られたものに対応できるように
効率よく教育する
というのは
今後も通用するのでしょうか?

先人が頑張って今の環境を作ってくれた
そして現状に満足しているので
(特に不満は無いので)
別に自分が頑張る必要は無い。

なので、自分のことだけ考えて
効率よく生きたい

ということになっているとしたら
果たしてそれで
この先の世の中を生きていけるのか?
と思ってしまうし

そもそも
そんなの面白いの?
と思ってしまいます。

あ、効率の良いものって
あまり面白くはないですよね。
そうじゃないですか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です